第10話 二人の過ちが大きな災厄になるまで

 赤軍の仲間たちとがやがや騒ぎながら昼食を取った後、その面子で城の中庭の日陰に転がって昼寝をすることになった。


 戦闘が行われているわけではない現在の赤軍では、早朝から午前中のうちに射撃の訓練、午後遅くから早晩に体術や潜入活動の訓練をすることになっている。早起き遅寝だ。その少し足りない睡眠時間を暑くてろくに活動できない日中に補う。訓練生を抱えるアルヤ王国軍では一般的な日課であった。


 赤軍はこれでも専門職である。有事には一般人、基本的には農民から兵士を徴収する地方五部隊とは事情が異なる。銃の扱いに長け、暗殺術に通じ、とにかく狙った獲物を的確に殺すことを求められる赤軍の兵士たちには、白軍に負けず劣らずの厳しい訓練を課せられるものだ。


 ホスローはそんな赤軍兵士であることに誇りを持っていたが、それはそうとして訓練は疲れる。眠れるうちに少しでも眠っておきたい。日没になったら叩き起こされるのだ、一刻も早く眠りに落ちなければならなかった。


 そこを邪魔する女がいる。


「なんやあんたたちこの臭い!」


 どこからともなく現れたスーリが、彼女の細い腕一抱え分ある大きな籠の中から、大判の白い布をまき始めた。着替えの襯衣シャツのようだ。


 スーリはすっかり赤軍名物になってしまった。赤将軍の『小姓』も一応まだ兼任しているようだが、最近は少年兵士たちの第二の母親になりつつある。

 ホスローには年の離れた兄しかいない上、本当は自分が一番上の長男だ。したがって、お姉ちゃん、というものがどんなものか知らない。けれど母はスーリを見てよく「長女気質だね」とこぼしている。最初は妹のように大事にするようにと言っていたのに、今ではスーリの方が姉なのだ。


「くっさいわ! せやから赤軍はて言われるんやで!」


 年かさの少年兵が上半身を起こして、後頭部を掻きながら「うるっせーな」と呟く。


「着替えなはれ! あんたたちが寝とる間にうちが洗っといたる! 次の訓練までには乾くやろ!」


 そう言われると頼みたくもなってくる。実際自分たちは今汗と硝煙で臭う。赤軍兵士とてできれば清潔でいたいのだ。

 自分たちが寝ている間に、スーリが全部処理してくれる。

 まあまあ魅力的な話だ。


 ある兵士が脱ぎ始めた。ひとり、ふたりと脱ぐ人間が増えていき、結局ホスローも着替え始めた。最終的にはほぼ全員がスーリが持ってきた籠の中に今まで着ていた襯衣シャツを入れた。


「ほな行くで。いっぱい寝るんやで」

「おー、ありがとな」


 スーリの華奢な腕が大量の布を積んだ籠を持っていこうとする。

 その足取りがふらふらしているように見える。

 口では威勢のいいことを言うが、その実はか弱い女の子だ。

 ホスローは睡眠時間が削れることを覚悟して立ち上がった。


「持ってやろうか?」


 そう言うと、誰かが口笛を吹いた。


「なんだよホスロー、紳士じゃん」


 すぐ振り向いてにらみつける。


「は? 殺すぞ」


 腕力でホスローに勝てる十八歳未満の兵士はいない。茶化した少年も「すいませんでした」と言って横たわり、目を閉じた。


「ていうか俺基本的にアルヤ紳士だし」


 スーリが「何言うてんねん」と歯を見せて笑う。


「じゃあな、すぐ戻ってくる」

「おー」




 スーリは昨日ホスローの背中を洗ったのとは違う水道を目指した。

 今度の目的地は地下らしい。

 まだタウリス城の構造に慣れないホスローにはよく分からなかったが、スーリが言うには洗濯に使っていい水場と使ってはいけない水場があるようだ。調理や飲料水に使う水と洗濯で汚れる水が混ざってはいけないからだそうだ。


「うちもそんな詳しいわけやないけど」


 そうは言ってもユングヴィの小間使いとしてあちこち走り回っているスーリである。毎日同じ屋上、同じ中庭、同じ寝所を往復しているホスローよりは詳しいはずだ。


「母ちゃ――将軍の命令であっちこっち行かされてるんだろ」

「おつかいには行かせてもろうてるけど、どこでも、てわけやないよ。今はこれを洗いに地下に行くけどな、地下には入っていいトコとあかんトコがあんねんで」


 二人で階段を下りていく。薄暗い階段は涼しく、石で作られた踏み段はすり減って若干斜めになってはいたが、不快感はなかった。


「――思うんやけど」


 スーリが声の調子を落として言う。


「地下の入ったらあかんトコ、人がおるんちゃうか」


 ホスローは顔をしかめた。


「は?」

「いや、うち、考えたんやけど」


 廊下の薄暗さが急に涼しいものからうすら寒いものへと変わる。


「将軍、戦争がもうすぐ始まる、やなくて、戦争はもう始まってる、て言わはったやん」

「ああ、昨日の?」

「なんでそんな言い方するんやろな、誰もどんぱちしてへんのに、て思て考えたんやけど――何やの、政治的駆け引きってやつ?」

「政治的駆け引き?」


 ホスローの苦手分野だ。難しいことを考えると拒否反応が出てしまうのだ。

 そんなホスローの性格を分かっていながらもスーリは続ける。


「冷静に考えたらな、おらんねん」

「誰が?」

「サータム人が」


 言われてから、血の気が引いた。


「タウリス城には政治をするサータム人のお代官様がおったはずやろ。タウリス城には西部州を仕切ってるアルヤ人の官僚だけやなくてサータム人の官僚もおったはずや」

「そう……言えば……」

「実際何人か会うたことあるしな。仕事で店に来てくれはったサータム人のお偉いさんがおってん。いやうちの店を利用するくらいやったらあんまり偉い人やなかったのかもしれへんけど、確かにサータム人の官僚がおったんやで」


 彼女の気のせいではないだろう。

 アルヤ王国に派遣されるサータム人は皆アルヤ語を流暢に話すし外見的にもそんなに大きな違いはない。だが、言葉の端々や生活の些細なところに信仰している宗教の違いを感じる。

 彼らはとにかく熱心に神を信じている――太陽ではないこの世で唯一とかいう変わった神を、だ。宿泊を伴うような利用であれば礼拝などもしたかもしれなかった。


「あの人ら、どこに行ったんやろうな。……と思うと、うち、なんや寒いな、と思て」


 ホスローも気になった。


 追い出したのかもしれない。ホスローたちが訓練と称して屋上でこんがり焼かれている間に、ユングヴィを筆頭とする幹部たちがそういう仕事をしていたのかもしれない。

 だがそれならスーリが気づくだろう。何せスーリはタウリス城に辿り着いて最初の夜にやって来た元踊り子だ。あの晩からずっとユングヴィにくっついて歩いている彼女が気づかないわけがない。


 では、自分たちが来る前に、だろうか。空軍の人間がやったのだろうか。アルヤ人の官僚もいるにはいるが、こういう荒事はきっと軍隊の力が要るだろう。


 聞いたことがない。


 気になる。


 ホスローとスーリは顔を見合わせた。


「……その、入っちゃいけないトコ、ってどこ?」

「タウリス城の北西の棟の地下や。鷲の塔、て呼ばれてる棟の」

「いるのかもな」


 スーリが唇を引き結んだ。


「サータム人のお代官様」


 二人で階段の途中に立ち止まり、目と目を合わせる。

 心臓の鼓動が早まる。


 たぶん、今、同じことを考えている。


「……見に行ってみようぜ」


 ホスローの言葉に、スーリは小さな声で「あかん」と言った。


「将軍には行ったらあかんて言われてるんや」

「でもお前も興味があるんだろ」


 一瞬押し黙る。


「……世話になってんやんか」


 小声でぼそぼそと喋る。


「なんだかんだ言うて、先のタウリス戦役から十五年、この西部州を守ってくれた方々やで。何か、できることがあるならしたいやん」


 まるで確実にそこにいるかのような言い方だ。


 だが可能性は高い。


 こういう建物には、必ず、地下牢というものがあるのだ。


「行こう」

「ついてきてくれる?」

「何かあったらまた俺が母ちゃんに怒られてやる」

「ほんま? ほんなら心強いわ」


 二人は階段を下り切ると、左側へ――北西の方へ向かって歩き出した。




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