第8話 西部方言を話す少女
ユングヴィはひっ捕らえた少女をすぐに宴会場の外へ連れ出した。そして、タウリス城に仕える女官を叩き起こして着替えを用意させた。服を替える気らしい。少女はばつの悪そうな顔をしながらも無言でユングヴィに引きずられていった。
ホスローはなぜか宴会場で待っていろと言われた。意味が分からなかったが、赤将軍様には逆らえない。
城の使用人たちが片付けをしている真ん中でひとりぼんやり突っ立って待つ。
片付け係たちの刺すような視線を感じる。なぜ自分がこんな晒し者のような扱いを受けねばならないのか。
ややして、ユングヴィがあの少女の手を引っ張って宴会場に戻ってきた。
連れてこられた少女は、胸と腰から下を覆うだけの布面積の狭い衣装ではなく、膝まで丈のある
顔の輪郭や鼻、口の形からして、確かに先ほどの彼女と同一人物だ。だが目元の化粧を落とすと一気に若く――というよりは幼く――なってしまった。
彼女は先ほど十四歳だといっていた。ホスローと同い年だ。しかし十四歳とはこんなに子供だっただろうか。同い年の自分がすっかり大人の気でいたので、十四歳の少女がこんなに弱々しく頼りなげであるのを見るとびっくりする。それとも彼女が特別か弱いのだろうか、妹のアイダン十二歳が怪獣なのだろうか。
「――さて」
これから何が始まるのだろう。
「座りな」
ユングヴィに言われて、少女がしぶしぶ絨毯の上に腰を下ろした。
「あんたもだよ」
ホスローはなぜか頭を小突かれた。眉間にしわを寄せて「いってぇな」と抗議したが許してもらえそうな雰囲気ではない。しぶしぶ少女の隣に座り込んだ。
ユングヴィがいつになく怖い顔をしている。
「あんたたち、何してたの」
ホスローがきょとんとしていると、少女が必死に声を張り上げた。
「まだ何もしてません! ちょっとお酒をと思っただけです」
言葉のひとつひとつこそエスファーナ標準語だが、独特の抑揚がある。西部方言だ。彼女は地元の子なのである。方言女子――なかなか可愛い、と思ってホスローは目を逸らした。
「まだ!?」
「すいません、何もです。姐さんたちにちょっとお酒をお注ぎしなさいて言われただけで、何もせんとお隣におっただけです」
「ほんとだろうね」
「ほんまです!」
ユングヴィがホスローをきっとにらんだ。
「って言ってるけど、ほんと?」
「は?」
「あんたこの子に変なことしてないでしょうねって訊いてんの」
「変なことって何?」
すると彼女はちょっと驚いた顔で言った。
「あんた、図体はでかくなったのに、意外とこういうことは疎いんだね。母ちゃんてっきり悪い遊びを――女遊びを覚えたのかと思ったよ」
ホスローはかっとなった。熱い頬のまま立ち上がって「このクソババア!」と怒鳴った。
「ていうかなに!? 宴会に女の人を呼ぶってそういうことだったの!?」
「そうだよ、あんた気づいてなかったの? いわゆる乱交ってやつだよ、乱交」
「うっわ、きっも! 俺ぜんぜん考えてなかった! 踊り子のお姉さんたちがひらひらしてんの綺麗だなーぐらいの気持ちで見てたわ!」
ユングヴィが分かりやすく胸を撫で下ろした。どうやら息子が乱痴気騒ぎに参加したと思って怒っていたらしい。
ホスローの方が不名誉だ。
正直に言えば、興味がないわけではない。そういう欲求自体はあるし、嫌がるラームテインの前でヴァンとそんな話題でげらげら笑ったこともある。だが、両親や義兄夫婦を見てきたホスローにとって、いわゆる本番行為というやつは、いつか見つかるであろう可愛い奥さんと一対一でするものだ。
大人の考えることは分からない――と思ってから自分も大人であることを思い出した。大人とはなんと不条理な立場か。
「じゃああんたたち別にそういう関係になったわけじゃないんだね」
「ぜんぜん!」
「まったく!」
「よかった。お母ちゃん一瞬心臓口から出た」
しかしすぐ解放してくれるわけではないらしい。時刻はもう深夜であること、いっぺんにいろんなことがあったことや旅の疲労も残っていることからホスローはもう寝たかったが、ユングヴィはまだ許してくれる気配ではない。
「あんた、名前は?」
少女が縮こまって、上目遣いでユングヴィを見る。
「スーリです」
「スーリちゃん。年齢は十四歳だっけ?」
「そうです」
「おうちの人は?」
少女――スーリが沈黙すると、ユングヴィは溜息をついた。
「まあ、まともな親がいたらこんな仕事させないよね。ごめんね訊いて」
「いえ……いいんですけど……」
「でも一応確認させてね。タウリス生まれタウリス育ち?」
「違います。もっと南の田舎出身です。仕事を探して十二の時にタウリスに出てきました」
ユングヴィの目が真ん丸になった。
「十二の時に出てきて、その時からこの仕事してんの?」
スーリが無言で頷く。
「十二になるまでは?」
「兄弟多いんで……。弟と妹が全部で七人おって、長女のうちが出ていかなあかんことになって……」
「で、十二から、踊り子を……」
「最初は見習いやったんですけど、去年からは舞台に立ってます」
突然だった。
ユングヴィがスーリを抱き締めた。
「可哀想に」
その声には涙が滲んでいるように聞こえた。
「可哀想に……!」
スーリの頭を撫でる手が震えている。
「だっ、大丈夫です」
ユングヴィの腕の中で、スーリが言う。
「もううちも立派な踊り子ですし」
「そんなはずないでしょう! こんな、こんなこと……っ、しかも十四歳の子供に!」
「将軍が気にしはることやないです、ちゃんとお仕事させてもらってるの、ほんまに満足してます。自分で選んだ仕事やし、もうちゃんとお嫁に行けるとも思てへん」
もう一度きつくスーリを抱き締めてから、ユングヴィは彼女を離した。
といっても、彼女から完全に離れたわけではない。その二の腕をしっかりつかみ、真正面から向き合った。
「スーリちゃん」
「はい」
「あんたうちの子になりな」
スーリが目を真ん丸にした。
「決めた。あんたのことは私が引き取る」
「そんな、いきなり、何言わはるんです?」
「もう絶対帰さない。ここにいなさい。戦争が終わるまでタウリス城にいて、戦争が終わったらエスファーナに連れて帰ります」
ホスローも仰天して「マジで!?」と叫んでしまった。
「えっ、養女にするってこと?」
「そうだよ」
「てことは俺ときょうだいになるってことじゃん」
「そういうことだよ。あんた、自分の妹だと思って大事にしなよ」
妹、と言われてアイダンの顔が浮かんだ。何度でも言うが、あの怪獣は兄であるホスローが大事にしてやる必要のある妹ではない。スーリのような可憐な少女ではないのである。
改めてスーリを見る。
こぼれ落ちそうな大きな目、小さな鼻と口の、小動物めいた少女だ。栗色の髪と瞳、白い肌をしている。
視線を下に落とす。
あまり豊満とは言いがたい胸、それでも悩ましい腰つき――これはたぶん忘れた方がいい。
こんな、華奢な、ちょっと押したら吹き飛んでしまいそうな少女が妹になるなど、考えられない。
薄い布の下の胸、滑らかな白い肌――忘れた方がいい、忘れた方がいい、忘れた方がいい。
「とりあえず、スーリちゃんはしばらくタウリス城にいてね」
ユングヴィが真剣な顔で言う。
「申し訳ないけど、人手不足だから赤軍の雑用もしてもらうと思う。でも男たちには絶対触らせないから! そこのところはきっちり分けて、スーリちゃんにはできる限り私の傍にいてもらうようにするから。いいね?」
「やけど、お店――」
「私が辞めたって言ってくる!」
もうどうにもならない自分の運命を感じたのだろう、スーリはうつむいて「はい……」と呟いた。
「ホスロー、あんた、スーリちゃんのこと守ってあげてよね!」
「へえ、へえ」
面倒なことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます