第7話 ホスロー初めての踊り子遊び

 タウリスは難攻不落の城塞都市だ。三重の城壁に囲まれており、一番内側にある城は山中によく見える形でそびえたっている。城自体は史書にあるほど大昔に建てられたものだが、大砲の備えもあるので今の戦争でも充分使えると聞いた――ラームテインから、だ。


 古都タウリス――二千年にわたってアルヤ人とチュルカ人とサータム人が攻防を繰り広げた都市――いにしえの都は何度戦禍に見舞われようとも美しく華々しくよみがえる。

 実際タウリスの一番外側の城壁――というより市壁――の門をくぐった時、ホスローはタウリスの古く長く少し厳めしい歴史の香りというものを感じた。ホスローはヴァンにはないそういう繊細なところもあるのである。




 タウリス城に着くとホスローの読みどおり赤軍は歓迎された。


 正確には、赤将軍が、かもしれない。

 将軍とは軍神であり、軍の頂点であってアルヤ王国軍の象徴だ。しかし西部州守護隊隊長である空将軍は今タウリス城にいない。彼らは自分たちの将軍を欲しがっている。本当は彼らの本物の将軍である空将軍エルナーズが必要なのだと思うが、代わりにユングヴィがいてくれるというのでもある程度は満足らしかった。

 しかも空軍の古い連中は十五年前のタウリス戦役のことを憶えている。ユングヴィがまた帰ってきてくれたと言って泣いて喜んでいる。

 十五年で多少年を食っておばさんになっているはずだが、彼らには今なお戦女神に見えるという。

 もしかしたら、だからこそ、かもしれない。彼らは十五年前のまだ若かった頃のユングヴィには見られなかった母性を感じているのかもしれなかった。


 いずれにせよ、ユングヴィが引き連れてきた赤軍と蒼軍の一部は城の中の各駐屯施設や宿屋を提供され、人間らしい生活を保障されることとなった。


 長くつらかった行軍は終わったのだ。


 これでようやく銃を撃つ訓練ができる。


 母から授けられた銃を握り締める。

 ホスローはこれを撃つ瞬間を何よりも楽しみにしていた。

 早く正しい使い方を教わりたい。そして何でもいいから撃たせてほしかった。


 しかしその前に歓迎の宴だ。


 おじさんたちはとにかく酒が好きだ。

 対する十四歳のホスローはあまり好きではなかった。十五の成人まではだめだと言う母や義兄に黙って父にこっそり飲ませてもらったことがあったが、おいしさがよく分からない。


 しかも、同世代の少年兵たちとともにお酌をさせられている。

 ユングヴィが酌婦の同席を拒んだからである。

 酒を飲んで酔っ払うくらいなら目をつぶってやるが、その勢いで女に手を出そうというのなら厳しく処分する――女将軍にそうと言われてしまっては皆従うしかない。


 音楽が演奏されている。少年たちがお酌をして回っている。舞い男カランダールたちがくるくると舞っている。宴として最低限のものは揃っているように見える。ユングヴィの目には、だ。

 赤軍の幹部たちが欲しいのはお酌もしてくれて舞いも舞ってくれる女性なのだが、仕方がない。


 そういう空気をホスローも感じ取ってしまうのだった。


 だからといってホスローは女性に同席してほしいとも思わない。


 みんなで集まり車座になって飲食するのは楽しい。ホスロー自身も学校の友人たちと昼食を取る時はよくはめをはずしてはしゃいだものだった。そういう場に妹たちのようなうるさくてふにゃふにゃした生き物に入ってこられても困る。男には男の楽しみというのがあるのである。


 そんなわけで最初は不満もあった宴席だったが、幹部のおじさんたちのおこぼれにあずかっておいしい料理を食べさせてもらえるのはありがたい。加えてホスローはユングヴィの息子として全員に顔と名前を知られており、なんだかんだ言って可愛がってもらっている。


 楽しい宴席、のはずだった。


「じゃ、私は先に寝るね」


 宴もたけなわ、というところでユングヴィが席を立った。

 副長が呼び止める。


「なんだお前、もう寝るのか」

「あのね、私はあんたたちと違ってこの前まで主婦だったの。体力を取り戻すのに時間がかかるの。こんな長旅でへろへろにならないわけがないじゃん」

「お前はもっと、こう、鋼鉄製なんだと思ってたな」

「若い頃はね。今はこんなにでかい息子がいるんだよ」


 ユングヴィの手が突然ホスローの頭をはたいた。突然だったのでホスローは「いてぇな」と叫んだ。


「チビたちもそろそろ解放してよ。みんなまだまだたくさん寝てたくさん背を伸ばす頃なの」

「何がチビだ、ホスローはもうお前よりでけぇぞ」

「気分の問題だよ。あんただってこの子が私の腹にいる時から見てるだろうにさ」


 ひらひらと手を振りつつ、「おやすみなさい」と言う。

 そんなユングヴィを幹部の男たちは止めなかった。何人かの少年が「おともします」と言って逃げるように将軍の後を追い掛けたが、宴の進行に影響はなさそうだ。


 そう思っていた。


 ホスローはもう少し夜更かしして何か食べようと思い宴席に残った。


 その頭上を、男たちの酒臭い息が飛び交う。


「おい、ユングヴィが行ったぜ」

「やっと行ったか。待ってました」


 男たちが手を叩いて喜んだ。


「さて、呼ぶか」


 何の話をしているのか、最初のうちは分からなかった。


 ほとんど間を置かずに、宴会場の扉が外から開けられた。


 頭がくらくらするような香水の香りが部屋の中に入ってきた。


「ご指名おおきに」


 そう言って女性が一度に十数人も現れたのだ。


 ホスローは顔が真っ赤になるのを感じた。


 女性たちはいずれも臍を出していた。上半身にはかろうじて胸を覆うだけの帯を、下半身には透けて中身が見えそうな脚衣をまとっている。

 豊満な胸の谷間が、形の良い臍が、なだらかに布の下へ続いていく丘が見える。

 目のやり場に困る。


 副長がホスローの肩を抱いた。


「どうだ?」

「な、何が?」

「こういう席にはこういうお姉ちゃんが必要なんだよ」


 ホスローは料理を取り分けていた小皿で顔の下半分を隠しつつ、目だけをぎょろぎょろさせて辺りを見回した。


 艶めかしく美しい女性たちが、酔った幹部たちにしなだれかかっている。


 すごい光景だ。


「子供の頃のラームテイン将軍みたいな絶世の美少年とは違って、うちの小僧どもみたいなガキに酒を注いでもらっても、嬉しくないワケよ」


 女たちが舞い踊る。腹部が波打つように揺れる。

 男たちが気に入った女の胸と胸の間に硬貨をねじ込む。女たちが「おおきに、おおきに」と笑いながら輝く胸の谷間をさらけ出す。


「いい社会勉強だろ」


 悪くない。

 悪いことをしている気分だが、悪くない。


 布面積の狭い、官能的な女性たちが、男たちの間を行き交う。

 足首につけられた足輪が軽やかな音を立てる。

 花のような香りがする。


 鼻血が出そうだ。


「お前にはまだちょっと刺激が強すぎたか?」


 副長がからかうように言う。

 ホスローは何と答えたらいいのか分からなくてうつむいた。代わりにこう言った。


「母ちゃん、こういうの嫌だって、だめだって言ってたんじゃねえの」

「ばっかお前」


 副長はホスローの頭を撫でるようにはたいた。今日はよく頭に触られる日だ。


「何のためにユングヴィが途中で退席したと思ってんだよ。あいつ気ぃ利かせてんだよ。俺たちがこれから先もっと羽目を外せるようにってわざと出ていったに決まってんだろ」

「なるほど」


 そう思うと我らが女神は粋だ。


 不意に視界に硝子ガラスの器が入ってきた。酒杯だ。


 差し出してきた手の方を見た。


 目元に濃い化粧を施した女性だった。


 否、女性、というのは正しくないかもしれない。少女かもしれない。

 まだ薄い胸元と尻をしている。

 ホスローと同じかもう少し下くらいの少女なのではないか。


 それでも彼女はホスローに艶然と微笑みかけた。そしてホスローが酒杯を受け取るのを待った。


 なんとなく拒むのが悪いような気がして受け取る。

 その器の中に、少女が酒を注ぐ。


 大人の世界に足を突っ込む――


 そう、思った次の時だった。


 また、宴会場の扉が外から勢いよく開けられた。


「あんたたち何してんの!」


 ユングヴィだった。


 一気に酔いが冷めたらしい幹部たちが「げえ」「ぎゃあ」と騒ぎ出した。


「ちょっと、なんでこんなことになってんの!? だめって言ったじゃん!!」

「えっ、えっ、俺たちてっきりお前が許してくれたんだとばっかり――」

「私はそんなこと一言も言ってないよ! バカ! このバカ、お前もバカ、お前もバカ、みんなバカ!」


 どうやら見逃すために早く寝ると言い出したというのは副長の勘違いだったらしい。手当たり次第近くにいた人間の頭を拳で殴り始めた。ホスローもまずい現場を押さえられたことに胸が震えて縮み上がった。


「もう! あんたたちどこの娼館の人か知らないけど帰って! お代は後で私が全額払うから今日はもう店に帰ってよ!」


 ユングヴィにそう怒鳴られ、女たちも慌てた様子で宴会場を出ていく。ある女は気丈にも「後で精算しなはれや」と言い放ったが、ある女は怖がっているのか悲鳴を上げながら駆けていった。


「嫌な予感がして戻ってきてみたらこれだよ」


 ホスローのすぐ傍にいた少女も立ち上がった。


「待ちなさい!」


 その首飾りをユングヴィの手がつかんだ。


「おい、この、バカ息子! この子と何をどこまでやったの!?」

「何もしてねぇよ!」

「ほんとに?」


 すると少女が西部弁で答えた。


「ほんまです、何もしてません」


 ホスローは初めて間近で聞く西部弁の可愛らしさにちょっとだけ興奮したが内緒だ。


「えっ、ていうか、あんた何歳?」


 他の女たちどころか幹部の男たちも皆逃げ出し、ウードを持った男たちは呆然とその場で次の指示を待っているというのに、彼女とホスローだけがユングヴィに捕まってしまった。


「めちゃくちゃ若くない? 若いっていうか、子供じゃん」


 少女が視線を逸らす。


「十八です」

「うっそぉ」

「うそです。ほんまは十四です……」


 なんと、本当にホスローと同い年だったのだ。


「なんでそんな嘘つくの」

「姐さんたちに、年を聞かれたら、そう言え、って言われててん……」

「ちょっと待ってよ、まだ十四の子供がこんなことしてるってこと!?」


 ユングヴィが少女を引きずって歩き出した。


「ごめんなさい、ほんま離してください、うちも帰らなあかん」

「許しません! ちょっと来なさい」


 そしてなぜかホスローがまた頭を殴られた。


「あんたはそこに残りな!」

「はい……」



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