第3話 気分は遠足

 つまり、両親が思っているよりこの戦争はすごい戦争かもしれない。


 夜、ホスローは、掛け布団の端を握り締めながら、ひとり悶々と考え続けていた。


 子供部屋はちゃんとあるが、夏も盛りに向かっていくこの季節は、ホスローは家の屋上で寝ることにしていた。

 快晴の夜は満天の星空で、乾燥した大地は気温が下がって涼しい。時間が来たら朝日で自動的に目が覚める仕組みだ。

 簡単な寝台を置いて、少し厚めの掛け布団を掛けて寝る。


 戦争とはいったいどんなものなのだろう。


 ラームテインは、口では、地獄だと言う。血と硝煙の臭い、人馬の悲鳴、常に危険に晒される命――慣れない一兵卒は逃げ出す世界だと彼は言う。

 だが口先ばかりだ。皆彼は本当は戦争に行きたがっていると言っている。事実彼は戦争の話になると目が輝き出す。戦争について話している時、彼はこの上なく楽しそうなのだ。


 戦争とは、本当は、楽しいものなのではないか。


 将軍でも副長でもない自分に軍隊を動かすことはできない。ラームテインが感じていたような万能感を味わうことはできないだろう。

 それでも、十神剣に近いところにいる自分には、大軍団の波が動くところを間近で見ることができるかもしれない。


 それに、自分は剣術が得意だ。体術もできる。体力にだけは人一倍自信があった。並みの兵士には負けない。自分の身ぐらい自分で守れるだろう。


 敵をばったばったと薙ぎ倒す。

 国のために、英雄になる。


 戦争、戦争、戦争――頭から離れない。


 本物の伝説である父の背中を思う。


 英雄に、なる。






 その日は呆気なく訪れた。


「じゃあ、行ってくるね」


 長い髪を一本の三つ編みにして垂らし、男物の服を着た母が言う。

 長い主婦生活のために色白で安産体型になった彼女に男物の服はあまり似合っていない。だが、赤軍の荒くれどもと一緒に働くには都合がいいらしい。


 今日の彼女は珍しく神剣を背負っていた。あくまで十神剣の一人として行くのだ。


 ヴァンが神剣を抜いた時、ホスローはうらやましいとは思わなかった。十神剣であることで両親が苦労してきたのを見ていたからだ。ラームテインも迷惑そうにしている。十神剣であることがすなわち楽しいわけではない、とホスローは理解していた。


 だが今ばかりはうらやましかった。


 自分も将軍だったら、タウリスに行けたのだろうか。否、行くことを許されるのではなく、行ってほしいと頼まれるのだろうか。


 ヴァンはまだ王都に留まっている。サヴァシュもだ。ユングヴィ以外の十神剣は北部州のみどり将軍アフサリーの到着を待ってから皆まとめて行くことになっているようであった。蒼軍の一部はユングヴィが先遣隊として連れていくことになったらしいが、まずは赤軍が行って下準備をしてくるとのことである。


 下準備とは、何だろう。

 知りたい。


「みんな、いい子にしてるんだよ」


 ユングヴィは子供を下から順繰りに抱き締めていった。


 まずは一番下、生まれてほんの三ヵ月の四女だ。最初に抱き締めていた彼女に頬ずりをすると、最近雇った乳母に渡した。


 次に下から二番目、二歳の三女である。彼女は何かを感じ取ったのか声を上げて泣いていた。そのうちサヴァシュが抱き上げ、「俺がいるから大丈夫だ」と囁いた。


 下から三番目、五歳の四男を抱き締める。彼は置いていかれることを理解していて大きな目に涙をいっぱい溜めていた。


 下から四番目、上からは五番目の次女だ。彼女もまた涙を流していたが、離れ離れになっている期間が長いことを察してのことであり、戦争が何か分かっているわけではない。


 上から四番目の三男を抱き締める。彼は可愛らしく笑って「いってらっしゃい」と言った。この子ももしかしたら戦争が何なのか分からないのかもしれない。


 上から三番目の次男は強気で、「僕がちゃんとしているから大丈夫」というようなことを言って笑みを作ってみせた。ユングヴィは彼の頭を撫でた。


 それから上から二番目の長女――アイダンはにらむように母を見つめていた。


「負けたら承知しない。アルヤ王国は私たちのものだ」


 そう言ったアイダンをユングヴィは笑いながら抱き締めた。


 そして最後に、長男のホスローに腕を伸ばそうとした。


 このままだと抱き締められる。


 ホスローはもう十四歳、次で十五歳の成人なのだ。


 恥ずかしい。


 身をよじって逃れた。ユングヴィが腕を空振りさせて「おおっと」と言った。


「俺のことはいい。俺はもう大人だし。いまさら母親にぎゅってしてもらうとかありえないくらい恥ずかしい」


 早口にそう言うと、ユングヴィは「生意気な!」と言った。口では叱っている雰囲気だったが、表情は笑っている。


「まあ、いいでしょ。帰ってきたらいくらでもぎゅっぎゅしちゃうからね」

「よくねぇよ。ガキじゃあるまいし、勘弁してくれよ」

「子供だよ」


 ふと、黒い瞳を細める。


「永遠に子供だよ。私にとってはね」


 それも無性に腹が立って、ホスローは受け入れがたいのだ。


 こんな大袈裟なことをして、楽しいことをしに行く。


 自分も行きたい。


 小さな子供たちの涙の大合唱を聞きながら、ユングヴィが家を出ていく。彼女は時折後ろを向いたが、そのたび笑顔で手を振った。


 どうせ何をするわけでもない。後方の、タウリス城に引きこもって、戦う兵士たちを見下ろしているだけだ。それだけで武功とみなされ、戦勲とみなされ、偉くなれる。


 うらやましい。


 彼女の姿が角を曲がった。

 子供たちは父と使用人たちに連れられて家の中に入らされた。

 ホスローも、もやもやするものを抱えながらも、一度は一緒に家の中に入った。


 もやもやが消えない。


 こういう時どうすればいいのか、ホスローは知っていた。


 体を動かすのだ。


 やりたいことをやれと、何事も後悔しないように好きなことをやれと、そう教育したのは父のサヴァシュだ。


 すぐさま、ホスローはふたたび玄関に向かって駆け出した。


「ちょっと師匠のところ行ってくる!」


 サヴァシュが「今かよ」と言う。


「だって師匠だって連れ出して戦場に連れていかなきゃなんないんだろ? 十神剣が揃わなきゃいけないんだろ? 俺、説得してくるわ」


 父はしばらく何かを考えたようだった。少しの間、ホスローの顔を見つめていた。

 彼には何もかもバレてしまう気がして脈が速くなる。怖い。彼はすべてを見透かしているのではないか。


 しかしややして、彼は「行ってこい」と言った。


「後悔しないようにな」


 使用人の一人が言う。


「まあ、坊ちゃんたら、こんな時に飛び出していくなんて。少しはお母様のことを思ってしんみりしていたらよろしい」

「ほっとけ、男にはそういう時間が必要なんだ」


 父の言葉に救われた。

 そう、男にはこういう時間も必要なのである。




 ホスローはラームテインの家には向かわなかった。

 辿り着いた先は赤軍の詰め所だ。


「あっ、ホスロー」


 ホスローより少し年長の少年兵たちに見つかって声を掛けられる。急いで口の前に人差し指を立てる。


「俺がここにいること、お袋に見つからないようにしてくれ」

「なんで?」

「いいから」


 うまい具合に嘘が出てきた。


「母ちゃんのことが心配なんだよ。長男の俺が守ってやりたいと思うだろ? 俺はもう十四で次で成人だし、体力には自信があるし」

「そうだな」


 少年兵たちが顔を見合わせる。


「なんだかんだ言って俺らの間ではホスローが一番腕っぷしがいいしな。いや、ホスローは赤軍兵士じゃないけど」

「赤軍兵士として扱ってくれよ。俺、母ちゃんの許可さえ出れば赤軍に入りたいんだからさ」

「将軍、いいって言うかな。我が子だぜ」


 そして口を尖らせる。


「知らねーけど。俺には親なんていないからな」


 ところがそこで、とある兵士が言った。


「だからこそ、じゃん。俺らには分からない親子の絆っていうのがあるんだろ? 子供だから親が心配になる――あるんじゃないの。母親が心配になるっていうことも母親が生きて傍にいればあることなんじゃないの」


 しめた、と思った。


「一緒にタウリスに連れていってくれ。母ちゃんにはナイショで」


 こういう時に頭を下げるのは大得意だ。


「頼む! このとおりだ。下働きでも何でもするからさ」

「ええ、でも、将軍にバレたら怒られるんじゃ……」

「タウリスまでとは言わないから! 街道の途中まででいいから、俺がついていっていることを秘密にしてくれ。もう引き返すよりタウリスの方が近いと思えるところまででいい、全部の道のりで黙ってる必要はない」

「ったって、なあ」


 皆、自分の母親代わりであるユングヴィに叱られたくないのだ。


 もう一押し、とホスローは大きな声で言った。


「俺の意思だから! 俺が怒られるから、みんなは気にしなくていいから!」


 そこまで言うと、彼らは、頷いた。


「お前の責任だからな。俺らは知らないからな」


 詰め所のすぐ傍に並んでいる荷馬車のうちの一台を指す。


「あんまり乗り心地は良くないと思うけど、あそこに乗ってくれ。ある程度はごまかせるだろ」


 ホスローは喜びのあまり拳を握り締めた。

 これでタウリスに――戦争に行ける。





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