第2話 さすが師匠、頭がいい

 翌日、二歳の妹に付き合って昼寝をしてしまったホスローは、いつもより少し遅れてラームテインの家に向かった。


 ラームテインの家ではすでにヴァンがいて勉強道具を広げていた。しかし勉強している様子ではない。いったい何に興奮しているのか、早口で何かをまくしたてている。機嫌がよさそうだ。聞いているラームテインの方は迷惑そうな顔をしていて、ヴァンは一人で喋り続けていた。


「よおホスロー、遅かったな!」

「なになに、何かあった?」

「さっき国王陛下がここにいらしたんだよ!」


 またすれ違った。義兄と会って戦争について聞きたいのに予定がなかなか合わない。

 義兄とはいえ一応王だ。そんなに気軽に会おうと思って会えるわけではない。彼から予定を調整して会いに来てくれないことには、十神剣の息子といっても十神剣そのものではないホスローにはどうにもならないのだ。

 会いたい、でも会えない――まるで恋みたいだ。実際は首根っこをつかんで揺すぶりたい気分なのだがそれは王に対して不敬なので内緒だ。


 ヴァンが興奮で赤く染まった顔で話を続ける。


「国王陛下が戦争をするから来てほしいってさ!」


 いつかの隊商宿キャラバンサライでのことを思い出した。


「師匠に、だろ?」


 両親の言うタウリス戦役とやらで、当時十四歳だったラームテインは多大な戦果を挙げたのだ。

 と思ったが、微妙に違うらしい。


「俺も、俺も」


 道理で大はしゃぎなわけである。


「十神剣はいるだけでいいから、って。何にもしないでタウリス城にいるだけでいいから、十神剣を集められるだけ集めたいんだってさ」

「ええ!? 親父そんなこと一言も言ってなかったけど!?」


 ということは最終的には父も戦争に行くのである。

 否、冷静に考えたら大陸最強の軍隊である黒軍が行かないわけがない。


 彼が落ち着いていたのは、最愛の妻を一人戦場に放り出すことに抵抗がないから、ではなかったのだ。自分もすぐ追い掛けていくから、だったに違いないのだ。


 迂闊だった。うちはそのうち両親とも戦争に行ってしまうわけである。母があんなに留守番について念を押していたのもそのせいかもしれない。


 父が戦争に行ったら、父べったりの妹たちが泣くだろう。それを思うと頭が痛い。

 というより、父はその展開を想定してあの場では言わなかったのかもしれない。きっと収拾がつかなくなっていた。父の判断は正しい。


「まあ、僕はまだ行くとは言っていないけど」


 ラームテインが茶を飲みながらそんなことを言う。

 だが、現場に居合わせたヴァンが許さない。


「師匠、めっちゃ動揺してたじゃん」

「うるさい」

「本当は行きたくて行きたくてたまらないくせに。我慢してるのみえみえだったぜ」

「言わなくていい」


 珍しく、ヴァンは意地の悪い顔で笑った。


「認めちゃえよ師匠。本当は行きたいんだろ? 今の国王陛下についていっちゃいたいんだろ? でも前の主君の手前素直に言えないだけであってさ。前の主君から今の国王陛下に簡単に乗り換えられたと思われたくないからそうやって意地張ってるだけじゃん?」


 ヴァンは時々鋭い。

 この件についてはホスローもヴァンと同じように捉えていた。ラームテインのことだから簡単になびいたと思われたくないに違いないのだ。


「俺らが知らないだけでさ、実は、陛下、何度も師匠に会いに来てくれてるんだってさ。これが三顧の礼ってやつだぜ!」


 覚えたての東方の言葉を使いたいのであった。


「とにかく、俺は行くぜ。で、師匠は俺の保護者というていで来てくれればいいと思う。それなら抵抗ないだろ?」

「それなら、まあ――」


 そこまで言いかけて、ラームテインは首を横に振った。


「そんなことでは騙されません」

「惜しい!」


 ホスローは卓を挟んでヴァンの向かいに座った。


「兄ちゃん、何だって?」


 母とは違って、ラームテインならもうちょっとマシなことを説明してくれるのではないかと思ったのだ。


「うちの母ちゃんも戦争行くって言ってるんだけどさ、なんで行くのかよく分かってないみたいなんだよな。なんで戦争になったの? って訊いたら、よく分かんない、ってさ」

「お前んちの母ちゃんさ――いや、何でもない……」

「言ってもいいんだぜ……俺も最近やべー女だなって思い始めてきたからさ……」


 おそらくヴァンが飲み込んだのであろう「馬鹿なのでは」という言葉をラームテインが口にした。そこまではっきり言われるのも微妙な気持ちになるから親子というものは不思議だ。


 ラームテインが溜息をつく。


「まあ、独立戦争であることは分かっているよね?」


 それすらよく分からなかったのでありがたい。


「これを機にアルヤ王国はサータム帝国の支配を脱する。外交権、徴税権、それから自衛権を取り戻すんだ。その辺の権限がすべてアルヤ王国に返ってくればもっと政治がしやすくなるし、大陸での存在感も増す。やっと一人前の国として各国に承認されるというわけだ」


 ちょっと難しい話になった気もするが、その辺も一応分かるようにそこそこ勉強したのでまだついていける。


「きっかけは? どうして今? やっぱり砲術学校の件が割れた?」

「それもあるけど」


 首を横に振る。


「それはどうやらとっくの昔に知られていて泳がされていたようだ」

「汚ぇぞ執政フサイン」

「決定的な証拠を押さえた上で、誰か王子を帝国に人質によこして、反抗しないと約束しろ、と言われたんだそうだ」


 そこが引っ掛かった。父に話を聞いたホスローはそこがどうなのか疑問だったのだ。


「ね、俺ちょっと思ったんだけどさ、訊いてもいい?」


 言うと、ラームテインは「なに?」と応じた。彼は訊けば答えてくれるのである。なんだかんだ言っていいやつだ。


「国王ともあろうお人がさ、我が子可愛さに戦争、みたいなの、どうなの? 息子を人質にやりたくないから戦争、って。そりゃ人質とか言われたら気分悪いだろうし、普通の親は嫌がるかもしれないけどさ」

「ほう」

「人質に行ったら何かすごい酷い目に遭うのかな? 帝国の今までのやり方からした感じ極端に王国の国民感情を逆撫ですることをするとは思えないんだよな。ちゃんと教育してくれるなら、何だっけ? 前にそういう人歴史でいなかったっけ」

「よく勉強したねえ」


 やっとラームテインに褒められた。初めてかもしれない。ホスローは喜びで跳ねる心臓を胸の上から両手で押さえた。


「これが帝国の中の一介の太守パシャとかだったらそういうこともありえたかもしれないけど、アルヤ王国国王の息子だからね。アルヤ王国とサータム帝国は本質的に別の国だ」


 ラームテインが葦筆ペンの先端で卓の上を叩く。


「王はまだ後継者を指名していない。ただ、髪が蒼い双子の王子がいる。普通に考えれば双子のどちらかが王位を継ぐはずだ。でも玉座にはどちらか一人しか座れない。そこをどちらにするまでは王はまだお決めになっていない」


 ヴァンもホスローも神妙な面持ちで聞く。


「王位継承権を持った王子を連れていかれる。やがてその子供が成長してから王位を狙って継承争いのために戻ってくる。彼は帝国に都合のいい教育を施されているかもしれない。その王子が王になり、やはり帝国の宗主権を認めると言い出したら――」

「元の木阿弥じゃん」

「つまり王にとって息子を連れていかれるというのは内政干渉なんだね。だから何が何でも阻止しないといけない。次の王こそ、あくまでアルヤ王国のために働く、帝国の下僕ではないアルヤ王でなければならないんだ」


 やっと納得して頷いた。なるほど、兄はそこまで考えていたのである。やはり兄は偉い。


「まあ、そこまで考えたのはリリ王妃だろうけどね」


 何もかも台無しである。高笑いをする義姉の顔が浮かんだ。


「そうなったらやっぱり戦争しかないかあ」


 ヴァンが天井を仰ぐ。


「次のアルヤ王をうんぬんされちゃうんじゃなあ。いよいよ本気で独立する時が来たってことか」

「次の世代に持ち越さないということさ。ソウェイル王もやればできるじゃないか」

「おっ、ソウェイル王を認める発言か!?」

「違います。この話はこれで終わりです」




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