第18章:紅蓮の女獅子と紅蓮の若獅子
第1話 なんかよく分かんないけどってなんなんだよ
話は二ヵ月前にさかのぼる。
それはいつもと変わらない夕飯の席のことであった。
ホスローの母であるユングヴィが、いきなりこんなことを言い出した。
「あ、お母ちゃん戦争行くことにしたから」
本当に、明日中央市場に家具を買いに行くから、と同じくらいの調子だったのだ。ちょっといつもと違う道で買い物に行くけど、ぐらいの言葉だったのである。
「留守番よろしくね」
いつもと変わらぬ声、いつもと変わらぬ顔だった。
ホスローは思わず弟妹たちを見た。
みんなきょとんとしている。何が何なのか分からないのだろう。
父サヴァシュの顔を見た。
彼も落ち着いた顔で食事を続けていた。膝の上に、下から二番目、二歳の妹をのせたまま、素手で
「は?」
反応したのはホスローだけだったように思う。もしかしたら弟妹たちも何か言いたいのかもしれないが、こういう時に代表して母に物申すのはだいたい長男のホスローの役目だ。
「どこに行くって?」
「タウリス」
「何しに?」
「戦争」
母は息子がなぜそんなに驚いているのか分からない様子であった。彼女もまた、子供たち同様、きょとんとしている。
「いや、何がどうなってそうなったのかよく分からん」
それはもっと重大な、もっと悲壮な感じで言うべきことではないのか。
戦争――このアルヤ王国が異国と戦うということだ。騎兵、歩兵、砲兵、輜重隊――国庫から出る軍資金、戦費を賄うための特別税、徴用する糧食や鉄、鉛――そういうことはラームテインに教わっているのでそこそこ知っている。とにかく、ホスローの両腕には余るくらいに莫大な人と金を動かしながら命を懸けて敵兵と交戦するということである。
この能天気な、季節の祭事に神剣を抜いて見せびらかしたり自分の部下である赤軍の若い兵士たちの子守をしたりしているだけの、一応兼業ではあるが基本的には主婦である母には、まったく似合わない言葉であった。
一口
「今日の午後、お兄ちゃんがうちに来てさ」
この場合のお兄ちゃんとは、彼女の最初の養い子であるソウェイルのことである。
ユングヴィは、十六歳の時に当時六歳だったソウェイル王子を預かってからというもの、この王子を我が子と思って、身分の上下を忘れて可愛がってきた。
この擬似的な親子関係は成人してからも変わらなかった。いろいろ行き違いがあって三年ほどやり取りを絶っていた時期もあったが、この六、七年はふたたび親子として振る舞っている。
現在そのソウェイル王子はこのアルヤ王国の王となり、政治の重鎮としてそれなりにこの国を動かすようになった。法律を施行したり、国の金を管理したり、各国来賓の相手をしたり、その他もろもろホスローにはよく分からないが、とにかく彼はすごくて偉いのである。
しかしそんなに偉くなった今でも彼はユングヴィに甘えて時々この家にやってくる。
ホスローは現在日中紫将軍ラームテインに勉強を教わるために彼の家に通っている。よって昼間この家で何が起こっているのかは分からない。
こんなことなら今日は家にいるべきだったか、とは思ったが、ソウェイルはこの家を訪れるにあたって先触れなど出さない。昼食を食べてすぐ飛び出すホスローには知る
「またサータム帝国と戦争するんだってさ」
言いつつ、彼女は自分の茶碗に茶を注いだ。
「またって、おい。俺が生まれてからこっち外国と戦争したことないだろ」
「あれ? そうだったっけ」
サヴァシュが言う。
「外国と戦争したのは、こいつがお前の腹にいた頃以来だな。十五年くらい前か? その間内戦はあったけどな」
「ああ、そうかも」
ユングヴィが頷く。
「戦争も内戦も一緒だよ私にとっちゃ。敵が誰かなんてどうでもいいの。お兄ちゃんが戦ってほしいと言ったら戦うの」
我が母ながらとんでもないことを言う奴だ。
「お兄ちゃんがさ、サータム帝国と戦争をするのに、まず赤軍にタウリスに行ってほしいって言うからさ。副長に任せて兵士たちだけ先に行かせてもいいって言われたんだけどさ、もう、何やらかすか分かんないからね、うちの子たち」
彼女の言うとおりだ。赤軍は相変わらずユングヴィ以外の言うことを聞かない。軍紀を乱した者に部隊長の独断で私刑を加えることができるのは、アルヤ王国軍の中では赤軍だけである。とにかく治安が悪い。ホスローも最近嫌な思いをしたばかりだ。これでもまだマシになったというから驚きである。
「ついていってやって子守しなきゃと思って」
「子守とか、そういう話かよ。母ちゃん戦争行ったことあるんだろ? そんなめっちゃ軽いノリで行っていいやつ?」
「かと言って重々しい口調で言われても仕方がなくない?」
はあ、と溜息をつく。
「戦場で死ぬかもしれないからあんたたち覚悟してお母ちゃんに最期のお別れをしなさい、とか言うのもそれはそれできつくない?」
ホスローは唖然とした。
五番目、五歳の弟が、不穏を感じ取って泣き出した。食器を放り出し、泣きながら母にしがみつく。母が「ほら、言わんこっちゃない」と言いながら息子の背中を撫でた。
「いや、生きて帰ってくるけどね? どうせずっと後方にいるし。前回のタウリス戦で自分が前線に出ていってごちゃごちゃやるといろんな人に迷惑がかかるってこと学習したし、もう若くないし、絶対無茶はせず基本タウリス城にいるつもりだからさ」
ホスローには何と言ったらいいのか分からなかった。ラームテインに教わっていろんな事態を想定する訓練をさせられてはいたが、タウリスの地理、もっと言えば前回のタウリスでどんな戦争をしたのか知らないのである。
「――ていうか、そもそもの段階で」
ホスローも溜息をつく。
「なんで戦争することになったの?」
そういえば、この前友人のヴァンことヴァフラムが黄の神剣を抜いた時にもそんなことを言っていたような気がする。あの時軍学校を新設したいと言っていたと思うが、それと何か関係があるのだろうか。
もしかして、アルヤ王国軍が軍制改革をしたがっているということが、サータム帝国に知られてしまったのではないか。
ごくりと唾を飲んだ。
ところが母の回答はこれであった。
「分かんない」
頭が痛くなりそうだ。
「なんで戦争するんだろうね?」
ユングヴィがサヴァシュを見る。サヴァシュが眉間にしわを寄せる。
「俺に振るなよ」
「あんたも一緒に聞いてたじゃん」
「まあ、そうだが――」
もしかしたら父にも分かっていないのかもしれない、と思うとホスローは気が遠くなりかけた。
「とにかく、あれだろ。サータム帝国が息子を人質に差し出せと言うから、嫌だ、と言ったんだろ?」
そう言われれば多少は話がつながるが、どうなのだろう。
「そりゃお前、自分の子供を人質として取られると思ったら、普通の親はキレるだろうが」
ホスローはちょっと照れた。サヴァシュが自分たちのことをそう思ってくれているかもしれない、と思うと嬉しいような恥ずかしいようなむずがゆい気分になったのだ。
だが、冷静に考える。
一国の王ともあろう男が、親子の情、家族の愛、などというものに振り回されてよその国と戦争をしてもいいものだろうか。子供一人のために国を荒廃させかねない大事業を行おうとしているわけではないのか。
義兄はのんびりしているが、馬鹿ではない。情の深い男だとは思うが、自分の身内一人のために国を一個揺るがすだろうか。
それに、もしも本当にそうであったなら、自分の養母であるユングヴィを戦場にやるとは何事か。血のつながった我が子は可愛くて、血のつながらない養母は命の危険に晒されてもいいということか。
一番下、生まれてまだ三ヵ月の妹が泣き出した。
ユングヴィが自分の食事を置き、布巾で手を拭いてから、赤子を抱き上げた。
そして、何のこともない顔で、ぽろん、と自分の乳房を出し、赤子の唇に寄せた。
赤子が母の乳を吸い始めておとなしくなる。
その様子を、ホスローは黙って眺めていた。
年頃の息子の目の前で堂々と乳を出す精神が知れない。
「え、チビたちはどうすんの? 母ちゃんが戦争に行ってる間、おっぱいは?」
「そりゃ乳母雇うでしょ」
忘れていた。普段は適当な暮らしをしているが、両親は十神剣としてそこそこ稼いでいるのだった。
「まあ、大丈夫よ。食事も洗濯もお手伝いさんたちがしてくれるし」
左腕で小さな娘を抱えたまま、右手で食事を再開する。
「あとは気持ちの問題でしょ。お母ちゃんがいなくて、寂しいか、寂しくないか」
ホスローは大きな溜息をついた。
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