第13話 多少みっともなくとも生きて戻るであろう
蒼宮殿前広場が揃いの白い甲冑を身につけた青年たちで埋め尽くされている。
彼らは普段、所属部署ごと、たとえば王族個々人の警護や王都の
圧巻の光景であった。
戦場に立つことのないリリも武者震いをする。
近衛隊である白軍が、戦争の最前線に行く。
それが意味しているのはただひとつ――王の親征だけだ。
「栄光は我らにあり!」
オルティが広場じゅうに響き渡る声でそう叫んだ。まるで練習していたかのように滑らかな動作で金の日輪に囲まれた蒼い太陽の紋章の刺繍のある国旗を翻す。
「太陽は必ずや我らに勝利を約束する!」
白軍兵士たちが勝ちどきを挙げた。
オルティの態度は見事なものであった。
彼が将軍――この場合は十神剣ではなく、文字どおり軍を統率する者――として生まれ育ったことをいまさら感じ取る。
鍛え上げられた背中、旗を掲げる仕草、腹から発せられる低い声、何もかもが今から戦場に赴く兵士たちを鼓舞するものだった。
彼は誰に言われずともどうやって命を預けるに足る将であることを兵士たちに示せばいいのか知っているのだ。
リリは宮殿の正門の手前、広場からすると北辺真ん中にあたる辺りで様子を見守っていた。ジャハンギルを伴って、だ。
背後からギルの肩を押すように握り締め、彼が走り出そうとするのを阻止する。
ギルも興奮している。
「オルティはかっこいいですね!」
リリの隣で涼しい顔をした鋼姫がしれっと「そうですよ」と答えた。
「今お気づきですか?」
「よう申すわ」
しかしシャフラは泣かなかった。ただ旅立とうとするオルティの背中を見つめている。
彼女はきっと泣かない。ここに秘書官長として立っているからだ。王とその一の家臣が出征するのを見届ける仕事に来ているのであり、戦場に赴く恋人を見送るわけではない。強い女だ。白い顔、黒曜石の瞳には何の感情も燈らなかった。
リリの方が泣きそうだが、別れが悲しいのではなく、揃いの武具を纏って同じ声を上げ一斉に動く統率のとれた白軍に感極まっただけだ。これぞまさしく理想の軍隊である。
兵の損耗を憂える身として何人生きて帰ってくるのかは気になる。だが誰が生きて帰ってくるのかまではあまり興味がない。白軍は判を押したように皆優秀だ。誰か重要な人物が死んだとしても、それが白将軍代理のオルティでもない限りは、すぐに機能しなくなる組織ではないのである。
最悪、ソウェイルが戦死しても、だ。息子の保護者である王が死ぬのは悲しいが、夫が死ぬのは大した問題ではない。万が一そうなった場合は、このジャハンギルを次の王にするためシャフラを後見人に立てるよう画策するだけだ。
というリリの思考を読んだかのように、オルティの隣で白軍兵士たちの動きを見守っていたソウェイルが振り返り、リリの方へ小走りで駆け寄ってきた。
「じゃあな。俺は行く」
ソウェイルの声にも感傷的な響きはない。リリはただ「おう」とだけ答えた。
彼は続けた。
「もう少し早く出発したかったな。俺的にはタウリスはもうもたないと思うんだ。結局俺も輿じゃなくて馬にした」
「さようか。落ちてタウリスに着く前に死なぬようにな」
「同じことオルティに百万回言われた」
名前が出たのに気がついたのか、オルティも旗を白軍の副長に託してから歩み寄ってくる。
白軍兵士たちが綺麗に整列したまま広場の南の方へ移動していく。次に号令をかけた時にはもう振り返ることなく王都を出ていくのだ。
宣戦布告からすでに三ヵ月が過ぎていた。フサインの遺体が帝都に到着してからすでに二ヵ月以上が経過しているはずだ。
この間帝国は兵を集めて東進している。目指すはおそらくタウリス、王国西部最初にして最大の都市だ。
もちろん王国側も何もしていなかったわけではない。
ソウェイルは真っ先にタウリスへ
最初は皆ソウェイルが自ら戦場へ行くと言い出したことに驚いたが、彼はこう言った。
――『蒼き太陽』がいると思えば、みんな死に物狂いで戦ってくれるんだろう?
そう言った時の彼の表情はけして楽しそうではなかった。笑顔だったが、少し悲しそうでもあった。
――俺がまだ若くて健康なうちにな。人生で、最初で最後の親征を。軍隊のみんなに、俺が担ぐにふさわしい王であることを知らしめるために。
リリはその時ばかりは黙って聞いていた。
――『蒼き太陽』というものを使ってひとを戦わせるのを、これで終わりにするために。どうしても、勝たないといけないから。だから俺も――
「行ってくる」
言いながらソウェイルは手を伸ばした。リリの腕に絡みつくようにくっついていたギルの頭を撫でた。
「いい子にしていてくれ。お母さんやばあやの言うことをよく聞いてな」
ギルが元気よく「はい!」と答えた。
「ちちうえがかえってこられるまで、ぼくがははうえをまもります! ははうえと、それから、ふたごも。ぼくもたたかいます」
予想だにしなかった言葉に、リリは思わず目を丸くした。四歳の息子がこんなことを言ってくれた――その感動は筆舌に尽くしがたく、王の親征が決まってから初めて損得勘定のない涙が目に溢れてきた。
「だから、だいじょうぶです」
ところが、ソウェイルは頷かなかった。
「いいんだ、ギル」
彼はギルの正面にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「お母さんや弟たちをどうやって守るか考えるのは、お父さんの仕事だ。お前はただ、たくさん遊んで、たくさん食べて、たくさん寝なさい」
ギルはしばらくきょとんとしていた。そのうち、「はい」と言って頷いた。
「お前はまだ何も考えなくていい。ただ、健やかに生きてほしい」
そこまで言ってから、立ち上がる。
「シャフラ、頼みがある」
「はい、何でございましょう」
「歴代のまっとうな死に方をした王の葬儀はどういう手順で行われたか調べておいてくれ。俺は先代の王から何の引継ぎもなしに王様業を始めたのでそういう儀式のことが何にもわからない。すべてお前に任せる」
「承知致しました」
「……あの、縁起でもないことを、とか、ご無事のお帰りをお待ちしております、とか、そういうことは言わない?」
「このシャフルナーズ、全身全霊をもって王の葬儀についてお調べし準備致します」
「いや……うん……そっか……絶対生きて戻ろ……それは五十年くらい後に俺が大往生してからやってもらうということで……」
オルティがからっとした声で笑う。
「まあ、なんとかなるだろう。この俺が守ってやるんだからな」
シャフラはしかと頷いた。
「何か不測の事態が生じたらすぐに王都へ引き返してください。次の王を守るために」
彼女の力強い言葉に、オルティもまた、深く頷く。
「ああ。必ず生きて戻る。だから、待っていろ」
彼女はそれ以上何も言わなかった。ただ唇を引き結び、感情のない瞳でオルティを見上げていた。そんな彼女を、彼はしばらく無言で見下ろしていた。
オルティが、ふと、微笑んでみせた。
初めてシャフラも微笑んだ。
「行ってらっしゃいませ」
ソウェイルが「話が違くない?」と呟いた。
「リリちゃん、何かこう……、何かいい感じの一言をくれ」
「特にない」
「あっそう」
リリも小さく笑ってギルの小さな頭を撫でる。
「何も言わずとも、そなたは生きて帰ってくるであろう。そなたは死ぬことがいかに不利益かよう知っておろうな」
百万のアルヤ王国臣民が、彼を見守っている。
それは裏返せば、彼には百万のアルヤ王国臣民の命運を背負う責任がある。
その責任を放り出して死ぬほど彼は愚かな男ではない。
「多少みっともなくとも生きて戻るであろう」
リリは、そう信じているのだ。
「であるからして、別れの言葉は不要ぞ」
「わかった」
ソウェイルは笑って頷いた。
「ありがとう」
「なんの」
「いってきます」
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