第11話 その笑み見たし、花咲かせたし

 季節は灼熱の夏だったが、夜のとばりさえ下りれば気温は下がって肌寒くなる。

 熱狂の渦に沸き立った宮殿も今なら多少は冷えてくれている――と信じたい。


 オルティはシャフラと並んで回廊を歩いていた。

 北の王の居住区での秘密会議の帰り道だった。

 これからシャフラをフォルザーニー邸に送り届けなければならない。家の中に入れば屈強な私兵たちに守ってもらえるのだろうが、宮殿から邸宅までの道中では何が起こるか分からないのだ。


「――まあ、するんだろうな。戦争」


 立場が立場であるため、オルティは表向きそれを憂えているふりをしていた。

 これから十神剣を招集して誰に何をしてもらうか話をしなければならない。くう将軍を欠いている空軍に眠りから覚めるよう指示して、蒼将軍を欠いている蒼軍を率いて西方に進軍しなければならない。


 その労苦を差し引いても、オルティは内心では血沸き肉躍るのを感じる。


 自分は本質的には戦士だ。九年ぶりの戦争を前にして楽しみにしている。できれば最前線に行きたいと思っている――矢をつがえ剣を抜いて戦いたいと思っている。

 ひとりの将として振る舞いたいと思っている。

 白将軍代理という立場上できないと頭では分かっている。でも、その空気を感じられると思うだけで喜んでいる自分がいる。


 シャフラには悟られないようにしなければならない。姫君である彼女にそんな野蛮な話は聞かせられない。できることなら血生臭いことのすべてから彼女を遠ざけておきたい。

 それがオルティにできるせいいっぱいのことだ。


「リリ様があんなにやる気なんじゃ、な。見ただろ、あの大はしゃぎ」


 シャフラが大きな溜息をついた。


「わたくしどもが説明する前に事情をご存知でしたわね。どちらで情報を入手したのでしょう。あのお方の情報源は主にわたくしで、実質的にはわたくしが後宮ハレムから政治の場に遣わされた間者の役目を果たしているのだとばかり思っておりましたが」

「俺たちが知らないだけで他にもいろいろな手段があるのかもしれないな。あの方だけは本当に分からん。俺はいまだに信用できない」

「しなくてもよろしくてよ。わたくしは何となく馬が合うので親しくさせていただいておりますが、あくまで何となく、であって、あの方の何がそこまで信頼に足るのかと申しますと説明に窮しますわ」


 普段怒らない者ほど本当に怒った時は怖いというが、ソウェイルはその典型例だ。

 常日頃は温厚を絵に描いたような男で、オルティが知る誰よりも我慢強く、極限まで耐え抜く性質の人間だが、堪忍袋の緒が切れると案外手が出る。オルティは彼が今は亡き自分の弟を過去に何度も殴っていたことを知っていた。


 彼がフサインを殴った時、やってしまった、とは思ったが、さほど驚いたわけではなかった。

 むしろ胸がすくのを感じていた。

 他のアルヤ人たちはオルティと同じように考えていたに違いない。歓声を上げた者もあったくらいだ。


 動揺して大騒ぎをしたのは、ソウェイルが王になってから王国にやって来たサータム人官僚たちである。彼らは初めて触れる王の憤怒におののき、その場で腰を抜かして神に祈りを捧げた。


 そんな彼らに、ソウェイルは、出ていけ、と命じた。


 ――三日以内にエスファーナを出ろ。四日後の朝までに自宅を空にしていなかったら宮殿の三階から吊るすぞ。


「リリ様はそれすら慈悲とおっしゃっていたな」

「冷酷非情を絵に描いたような女性ですわ」


 言われたサータム人官僚たちは慌ててその場から逃げ出した。どうやら素直に帝国への帰り支度を始めたようだ。

 しかし殴られたとうの本人であるフサインだけは余裕そうな顔をしており、ゆっくりした足取りでその場を後にする。

 彼は、少し頭を冷やす時間が必要だろう、と言い残した。


 ――では、四日後の朝までに撤回してくださると信じてお待ちしておりますよ、我々が育てた可愛いアルヤ王よ。


 一回決めたら頑固なソウェイルが撤回するとは思えない。

 だが、大使でもある執政がソウェイルの宣戦布告を帝国に持ち帰って帝国側でも正式なものとして受理してくれないと、それはそれで王国側も都合が悪い。

 フサインとのにらみ合いは四日後も続くかもしれない。


「陛下は実力行使で閣下を除く気なのでしょうか。そうなった場合落としどころは? 我々が望んでいるのは帝国からの独立であり帝国の不干渉であって帝国の滅亡ではございません。それこそどちらかの息の根を止めるまでやることになったら、軍備が制限されていた我々の方が不利です」

「そうとは限らないぞ。士気は異常なほどに高い、アルヤ人の誰もが望んでいたことだからな。タウリスに引きずり込めれば地の利もある。だいたい帝国はまだ三年前の大宰相イブラヒムが帰ってくる前後の皇位継承で揉めているんだから『蒼き太陽』を錦の御旗に掲げたアルヤ王国軍ほどの統率は――」

「オルティさんは戦争をしたいみたいですね」

「ばれたか」


 シャフラに背中を叩かれた。じゃれついているようなものでさほど痛くはないが、不安にさせてしまったかと思うと少し反省する。


「いや、自信満々というわけでもない。西方で戦争するんだろう。こっちは西部州の空軍の将軍がいないんだ。空軍のやる気をどこまで引きずり出せるか――」

「いまさら弁明しなくてもよろしくてよ」


 そこで一度、立ち止まった。


「ちょっと話は変わるが。ともかく、ソウェイルの奴、いいことを言うなあ、とは思った」


 シャフラも立ち止まった。

 二人で顔を見合わせる。


「家庭も守れない男に国は守れない、か」

「……オルティさん……」

「なかなか含蓄のある言葉だと思わないか? 王位継承者を守る公人でもあり息子を守る私人でもある」

「そう……、ですわね。ですが、オルティさんが真に受ける必要はないのでは?」

「というと、どういう――」


 そこに第三者の声が割って入ってきた。


「こんな夜更けに逢引きですか」


 オルティもシャフラも振り返った。


 柱の影から三日月の光に照らされて一人の男が歩み出てきた。


 執政フサインだ。


 一応二人ほど護衛を引き連れているようだったが、彼らは何も言わずに三歩後ろに控えている。実質一人で立っていたようなものである。


「いやあ、妬けるなあ。私はひとり寂しく貴女を待っていたというのに、他の男と楽しくおしゃべりしていたとは」


 どうやらシャフラに用事があるらしい。


 オルティは警戒した。リリにシャフラを守れと言われていたのを思い出したからだ。フサインはシャフラに何をするか分からない。ついていてよかった。ここで拉致されて帝国に連れ帰られたら話はさらに厄介になるところだった。


 案の定、彼はこんなことを言い出した。


「どうかな? 鋼姫。私と一緒に帝都を見に行くというのは」

「お断りします」


 シャフラは食い気味に拒否した。一分の隙もない否定であった。


「わたくしはアルヤ王のしもべ。アルヤ王の許可なしにアルヤ王国を離れるわけにはまいりません」

「立派な忠誠心だ」


 そこまで言うと、彼はひとつうたを詠んだ。


晦日つごもりの 別れの時は 惜しけれど

 たまが尽きねば うこともがな

 くれないの 神の御国みくにの 旗の下

 益荒男ますらおのみぞ 花を待つまじ」


 シャフラは即座に返した。


望月もちづきの 別れののちぞ 哀しきや

 たまが尽きても はげしかりけれ

 あおき旗 そはみどりの地 神の国

 花はじけり 話すくちなし」


「悲しいですね」

「ええ。まこと、悲しゅうございます」


 その、次の時だ。


 突如、護衛たちが立ち上がった。


 護衛たちが剣を抜いた。急に物々しい空気になった。


 彼らの目線の先を見る。

 フサインの背後を見ている。


「貴様、何者だ!」


 オルティもシャフラも目を丸くした。


 フサインが硬直した。


 口から大量の血を吐き出した。


 その胸に、剣の切っ先が生えていた。


 フサインが、徐々に倒れていく。


 フサインの背後に立って剣を握っていた者の姿が見えてきた。


 どこか悲しげな笑みを浮かべて立っていたのは、いつかシャフラに花束を捧げていたハーフェズ青年だった。


 彼は血に濡れた剣の柄を握ったまま、白軍兵士らしい穏やかで丁寧な口調で、こう詠んだ。


望月もちづきの 世に我がこの身は あらねども

 花は咲きけれ 想い語りたれ

 あおき旗 そのの下に 立たねども

 その笑み見たし 花咲かせたし」


 そして、首を垂れた。


「フサイン閣下は独立にはやった愚かな白軍兵士の軽挙妄動で亡くなられました。すべての責めは私一人で負います。何とぞ罰してくださいませ」


 シャフラが声を震わせる。


「お馬鹿さん……!」

「そのお言葉ひとつで、楽園に行ける心地です」


 いまさらサータム人の護衛たちが動き出す。


「この……っ」


 それも、オルティが何かを言う前に、ハーフェズ青年が一人で斬り捨てた。

 見事な腕だった。

 自分たちはこうして若く強く賢い兵士をひとり失うことになる。

 そう思うと、シャフルナーズ・フォルザーニーという女の魔性と白軍兵士たちのアルヤ王国への忠誠心の高さを感じて、オルティは一人寒くなるのだった。


 アルヤ人の青年が執政を斬った。

 本格的な宣戦布告だ。これで帝国は王国と戦わざるを得なくなる。

 だが王国も最悪一人の青年に罪を覆いかぶせることができる。シャフラの望む逃げ道を、ハーフェズ青年が作ったのであった。




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