第9話 御前会議 ~アルヤ王の忍耐~

 ソウェイルのやつは放っておいたら何をしでかすか分からない。

 そう思ったリリは次の御前会議で聞き耳を立てることにした。


 さすがのリリも御前会議そのものにしゃしゃり出ていくことはできない。御前会議に参加できるのは高位の官僚だけである。それに王妃の身分で参加することは政治的混乱に直結するだろう。

 ただでさえ後宮ハレムから王宮を牛耳っているだの王の寵愛を盾にあれこれ画策しているだのと言われているのに――否定のしようがないので黙殺しているが――これ以上出しゃばっていって分別のない女だと思われるのは御免被りたい。リリは良妻賢母なのである。


 ソウェイルとリリは十割通じ合っているわけではない。彼が誰に何を言われどう返したかまで全部把握することはできないのだ。

 そうできていれば夜もっと寝所でああだこうだ言えるのに――と思ったリリは後宮ハレムを抜け出して南の会議の間の隣室に忍び込んだ。


 会議の間は前面開放広間イーワーンである。

 つまり中庭側の壁がない。

 この季節は暑さ対策で風通しの良さを重視して掛け布すらしないことになっていた。


 御前会議が始まったらすぐ中庭に移動して話を盗み聞きする。


 リリが隣室の窓から身を乗り出して様子を窺っているとも知らずに、会議の間に続々と大臣たちが集まってくる


 ソウェイルは最後の方にやって来た。

 彼は、右隣にオルティを、左隣にシャフラを従えて、執務室の方向からゆっくりした足取りで歩いてきた。

 オルティとシャフラに挟まれてはいるが、オルティとシャフラがソウェイル越しに会話をしていて、ソウェイルは参加していない様子だ。ぼさっとしている。いつものことである。


 この三人を追い掛けるようにして近寄ってくる者がある。

 執政フサインである。

 彼は殊勝にも小走りをしてやって来て、わざわざ三人の足を止めさせて、優雅に礼をして挨拶をした。もう四十もとうに過ぎた中年のくせに、リリの嫌いな気取った男である。


 三人が会議の間に入ってくる。

 フサインがその後に続く。


 次の瞬間だ。


 リリは目を丸く見開いた。


 目が合った。

 フサインと、だ。

 誰かが情報を漏らしたのだろうか、それとも、彼が独自に気配に気づいたのか。

 フサインは確かに、隣室の窓から身を乗り出しているリリの顔を見たのだ。


 しかも片目を閉じ、微笑んでみせた。


 そしてその上で、何も言わなかった。

 何事もなかったかのような顔で、オルティの隣に腰を下ろしたのだ。


 リリは唇を引き結んだ。

 この男は、リリが聞いていることを知っていて、何かやらかす気だ。


 受けて立とうではないか。


 御前会議が始まった。


 リリはこっそり窓枠を乗り越えた。

 中庭に出る。灌木かんぼくの茂みに身を潜める。


 さっそくフサインが口を開いた。


「おや、王よ」


 さて、何を言い出すのだろう。


 固唾を飲んで見守っていると、最初はこんな話であった。


「今日はジャハンギル殿下はご一緒ではなく?」


 ソウェイルがしれっとした顔で答える。


「妃に連れ回すなと言われたのでな」


 事実だがリリのせいにされたかのようで腹が立つ。


「そうですか。では」


 フサインが立ち上がった。


「もう少し踏み込んだ話ができそうですね」


 そこにいた大臣一同が全員フサインを見上げた。


 フサインはまったく動じなかった。ひとびとの視線を受け、まるで舞台に立つ役者のような足取りで、ソウェイルに近づいていった。

 ソウェイルの両脇で、オルティとシャフラが身構えた。特にオルティは腰の剣の柄に手をかけた。だがまだ動かない。フサインは手ぶらだ。特に鍛えているわけではないフサインが素手で何かできるとは思っていない。


「坊やの前でお父様を泣かせてしまうのは気が引けますからね。父親としての威厳というものがおありでしょうから」


 意地悪く笑う。


「でも今日は深いお話ができそうだ」


 ソウェイルが珍しくフサインをにらみつける。


「何が言いたい?」


 そこで、だった。


 なんと、フサインはソウェイルとオルティの間に割り込んで膝をついた。


 ソウェイルもオルティも予想外のことに硬直して何の反応もとらない。


 フサインとソウェイルの距離が息もかかりそうなほど近い。


「悪い子だ。私に隠し事をしようだなんて」

「何が――」

「軍学校を新しく作りたいそうですね」


 リリは両手で密かに自分の口元を押さえた。


「それも、砲術をやる学校を」


 それは、フサインには知られてはならない、アルヤ王国軍の最高軍事機密だったはずだ。


「いけませんね。帝国に内緒で、そのようなこと。そんな悪さをするのならばアルヤ王国にはもう銃弾も砲弾も買えないようにお触れを出すしかありません」


 ソウェイルは黙っている。顔だけ見ていると冷静そうに見えるが、おそらく彼は今非常に動揺している。

 しかしリリはこういう展開をある程度予想していた。最後まで執政を騙し通せるとは思っていなかったのだ。

 帝国は王国が想定以上の軍事力を持つことを望まない。ソウェイルの思う軍事制度の改革などさせたくないだろう。そしてそれは人と金が動くので遅かれ早かれいつか知られていたはずだ。

 ただ、思っていたより早い時期に、思っていなかった機会に言われてしまった。


 ソウェイルは予想外の事態に弱い。彼はあまり機転の利く男ではないのだ。

 そういう頭の回転の速さはシャフラに求められるところであったが、秘書官であり文官である彼女が軍事に口を出すのは不自然だ。

 強いて言えば武官であり十神剣の長であるオルティになんとかしてほしい。けれど彼もまた不器用な男である。けして愚鈍な男ではないが、彼は元来戦士であるので政治的な駆け引きはあまり得意ではない。


「やめましょう。よくない」


 耳元で言う。


「今なら私が皇帝陛下には内緒にしてあげます。よしましょうね」


 幼子に語り掛けるような口調で言うのが気持ちが悪い。


 少しのあいだ、間が開いた。


「――分かった」


 ソウェイルは、頷いた。


「この案は一度凍結する。きちんと皇帝陛下にお伺いを立ててから改めて考える」


 リリは悔しかった。だが暴かれてしまったのだから仕方がない。お伺いを立てて可の返事が来るわけがない。事実上の破棄だ。

 いくら成長してもソウェイルはあくまで属国の王だ。必要以上の軍事力を持たないよう制限されている。ソウェイルがまだ幼く王国が独立国であった頃の七割、彼が即位した時に自治国として許可された程度の武装で、我慢するしかない。


 ソウェイルがそう答えると、フサインは一度立ち上がった。


 オルティとソウェイルがフサインを目で追い掛ける。


 リリはぎょっとした。


 今度、フサインはソウェイルとシャフラの間に膝をついたのだ。


 どさくさに紛れて、彼はシャフラの肩を抱いた。シャフラは声ひとつ上げなかった。ただ人形のような顔をして沈黙している。何事もなかったかのようである。鋼姫は強い。


「私に内緒で彼女にお手紙を書かせているようですね」


 それも、リリは心臓が跳ね上がったのを感じて、自分で自分の胸を押さえた。


「どこに送る恋文かな?」


 フサインは、嘲うかのように口角を持ち上げている。


「リリ妃のご実家かな? それともエカチェリーナ妃のご実家かな? どちらも大きな国だ。内緒のお手紙を書いているだなんて、皇帝陛下やイブラヒム閣下が知ったら泣いてしまうかもしれませんよ」


 涙を拭うそぶりを見せる。


 確かに、ソウェイルはシャフラに極秘の外交文書を書かせている。リリとオルティは知っているが、外部の人間は知り得ないことのはずだ。

 どこかの国が密告してきたのだ。そのどこかの国は王国を売って帝国とやり取りしたいに違いない。

 どこだ。

 まさかとは思うが、父帝か。


 違った。


「ましてや、遠い遠い、はるかかなたの西洋の国だなんて」


 ぞっとした。


 ソウェイルはシャフラに、帝国の西方の海を挟んだ向こう側、表面的な外交や商売のやり取りしかしてこなかったはずの西洋諸国にも文書を書かせている。


 西方の小大陸が航海を巡って戦争を続けた時代は終わろうとしている。海のかなたに新大陸を見つけた国々は大陸の富を食い潰して東方のこちらに手を伸ばしてくるだろう。そうなった時のためのエカチェリーナだったが、彼女がソウェイルに非協力的である以上、何らかの布石を打っておかねばならない――とは思っていたのだ。


 そうするよう仕向けたのは当然リリである。

 東方の実家である大華帝国、南方の友好国であるラクータ帝国、北方の同盟国であるノーヴァヤ・ロジーナ帝国と安定した外交関係を築いた今、アルヤ王国の敵は西方のサータム帝国だけだ。

 西洋の国々と手を結べば、挟み撃ちできる。


 それがばれてしまった。


 属国という身分で勝手な外交政策を展開するのは重大な裏切り行為だ。ただでさえリリとの結婚を良く思っていない帝国が怒らないはずがない。何らかの懲罰を受けてしかるべきだ。最悪自治権を取り上げられるかもしれない。


 冷や汗をかいたが――フサインは言う。


「今なら内緒にしてあげてもいいですよ」


 シャフラをさらに抱き寄せつつ、ソウェイルの耳にも口を寄せる。


「何もなかった。そうですよね? 王よ。貴方様は何もしていない。悪い女が勝手にやっているだけのことだ。なんと恐ろしく狡猾な女か。首をはねておしまいなさい」


 それがシャフラのことを言いたいのかリリのことを言いたいのか分からなかったがどっちにしても一緒だ。


 もう終わりだ。


 ソウェイルは頷いた。


「そう、余の意思ではない。詳細についてはこれから調査するため何も言えぬ。この件については別に沙汰を下す」

「よろしい」


 フサインが猫のように目を細めた。


「大丈夫ですよ、王よ。いい子で私の言うことを聞いていればいいのです。怖い怖い皇帝陛下には内緒にしてあげます。貴方様は何もしていない。いいですか、何もしていないのです」


 シャフラから手を離した。


 気持ちが悪い。


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