第7話 王室に干渉することとは

 オルティは北の棟、王の居住区画の中でリリを床に下ろした。


 長い廊下の一角、中庭の見える窓から眩しい光が差し込む。

 外気は夏に向かって急速に気温を上げていた。あともう少しで砂漠に囲まれたアルヤ王国は灼熱地獄と化す。

 涼しい中原北部から来たリリはこの夏が嫌いだったが、湿度が低いので後宮ハレムに引きこもり侍女たちに扇がせて過ごせばそれなりにしのげる。自分の順応力の高さも評価したい。


「御身はまだ無理できぬお体でしょう」


 オルティがひとり腕組みをして溜息をつく。


 ここでリリを下ろしたのは彼が男性で後宮ハレムに入れないからだ。生真面目を通り越して堅物だ。

 しかしそこをわきまえて線を引く強情な男だからシャフラは惚れ込んでいるのだろう。蝶よ花よとかしずかれて育ち絶世の美姫として育ったシャフラがこういう譲らない男に弱いのはとてもよく分かる。

 どうでもいいがリリの好みではない。リリは自分に服従する従順で飼い馴らしやすい男が好きなのでソウェイルは理想の男性といえた。


「何ゆえこのような暴挙を? 執政と何を話されていたのか」


 リリは真正面からオルティと向き合った。頭ひとつ分大きなオルティをにらみつける。自然と見上げるような――それも上目遣いのような――形になってしまうのが悔しい。


「そなたソウェイルとずっと一緒におるのに何も感じぬのか」

「何をだ」

「ソウェイルがフサインを嫌っている理由について、察するところはないのか」


 オルティは一瞬悩んだようだった。首を傾げながら答えた。


「過保護だから?」

「うむ、当たらずも遠からず。つまりフサインが過干渉なのを嫌っておるのだ。あやつはそれをまだうまく言葉で説明できぬようだがな」

「しかしそれが直接ソウェイルを害することにつながるとは思えませんな。イブラヒム総督は本気でソウェイルとその弟を殺し合わせた。ああいう危険のない穏やかな男だと認識しておりますれば」

「ばーか!」


 リリが大声で言うとオルティは顔をしかめて黙った。


「おのこはいかんのう、暴力沙汰にならねば争いにならぬと思うておる。のうシャフラ!」


 シャフラが首を垂れた。


「まことリリ様のおおせのとおりにございます」


 その表情は落ち着き払っていて読めない。どちらかといえばリリに賛成といったところか。彼女はオルティが真面目な顔の下に遊牧戦士特有の凶暴性を秘めていることを知っている。


「イブラヒムという男はさぞかし頭の切れる、そしてソウェイルを理解している男だったのであろうな。ソウェイルが家庭に踏み込まれることをたいへん嫌がっておるのを知っていたとみた。的確にソウェイルの弱点を突いてきよったぞ。そういうのが得意な男を後任にと送り込んできたのだ」


 オルティは顔をしかめたまま頷いた。


「フサインは王室に踏み入ろうとしておるぞ。わらわにも手を出そうとしている」

「色気もクソもないのに?」

「そういう意味ではないわ、たわけ! 王妃としての権力をもぐために探りを入れようとしておるという意味ぞ!」

「なるほど得心した、申し訳ない」

「そしてそのためにあの男よりにもよってシャフラと結婚したいそうだ」


 リリが突然シャフラのことを大声で言い放ったので、シャフラが大きな黒真珠の瞳を真ん丸にした。

 オルティがシャフラの方を振り返る。シャフラが顔を真っ赤にしてうつむく。まるでただの小娘のようだ。リリは舌打ちをした。


「あの男は分かっておるのだ。わらわとシャフラが親しくしておることを、そして、第一の秘書官であるシャフラをソウェイルが家族同然に思っておることも。シャフラを籠絡することでわらわとソウェイルの間に踏み込もうとしておる」


 そこまで言うと、オルティは「ああ」と頷いた。


「お前、なぜかそういう話には疎いというか、弱いというか、そういう意味では男慣れしていないよな」


 お前のせいだ、と言いたいのはさすがに堪えた。


「そんなはずでは……。わたくしは千の求婚を断ってきた女でございますよ」


 オルティのためにな、と言いたいのも一応堪えた。


「生娘の柔らかく繊細な心を愚弄するのは許さぬぞ、オルティ」

「は?」

「おやめくださいリリ様……わたくしのことはもうよいのです……」

「ええい鬱陶しい! オルティ、こちらを向け!」


 言われるがまま、彼はリリの方を向いた。


「とかくわらわが言いたいのは!」


 彼の鼻のすぐ傍に指先を突きつける。


「そなた、ソウェイルを守ろうと思うのならば、わらわを、ひいてはシャフラを守れ」


 シャフラがまた驚いた顔をした。


「先代の白将軍とやらがいかな男であったかは知らぬが! 王に密着し王の第一の家臣として動く以上は! そなたも家族ぞ! だが、フサインは男で武に長けたそなたに直接攻撃を仕掛けてくることはなかろう。ちょっかいを出すとしたら、女で腕力のないシャフラなのだ」


 オルティの表情がさらに険しくなる。


「ソウェイルがいかに不愉快に思うことか想像がつかぬか」

「まあ、そう説明されれば分かります」

「わらわは後宮ハレムの女王としてそういうところにも気を配ってやらねばならぬ」

「シャフラは後宮ハレムの女ではないが」

「女官みたいなものぞ。そしてわらわの庇護を求める限りわらわはすべての女を庇ってやるのだ」


 そこまで説明したところで、彼は頷いた。


「分かった。シャフラのことにももう少し気を配る」


 今は色恋でふざけている場合ではないのだが、リリからしたらオルティとシャフラがくっつくことに何の不都合もないのでよかろう。むしろ重臣と重臣を婚姻で結びつけることにより操作し支配するのは是である。たいへんよろしい。


「王室に干渉してくるということは王位継承に干渉してくるということぞ」


 リリに言われてはっとしたらしく我に返った顔で首肯する。


「わらわの母后としての権限が縮小されては困るのだ」

「それが本音では?」

「わらわほど強く賢く美しい女が後宮ハレムに君臨せずしてアルヤ王家を守れるか!」

「まあ……、これ以上はもう何も申し上げません」


 しばらくの間、オルティは何か考え込んでいた。

 言うほどこの男は愚かではない。ついつい罵詈雑言を吐いてしまいたくなる言動をとる男だが、冷静に考えれば物事の道理を解する男で、ソウェイルの傍に置いておいても信頼できる相手だ。


「オルティさん」


 シャフラがらしくもなく、か細くしおらしい声を出す。


「申し訳ございません。わたくしに隙があったばかりに」


 声を掛けられ、オルティはふたたびシャフラの方を振り返った。苦笑してみせる。


「いや、いいんだが。ただ、何かあったらすぐ俺に相談してくれ。どんな些細なことでもいいから」


 シャフラが赤い下唇を噛む。


「リリ様のおっしゃるとおりだ。俺がお前を守る」


 そこでやめておけばいいのに、彼はこう続けた。


「それがソウェイルを守ることにも、アルヤ王国を守ることにもつながる」


 おそらくこれが白将軍というものに違いない。余計なことを、と思ったがリリもまたそれ以上言うのはやめた。


「リリ!」


 後ろから男の声が聞こえてきた。

 振り向くと、後宮ハレムの方からソウェイルが息を切らせて走ってきていた。

 珍しい。普段焦るということをしないこの男がこんな風に急いでくるのを見るのはなんとも不思議なものだ。


 そう思っているうちに、抱きすくめられた。


「どこに行ったかと思った……! 心配した」


 リリも眉根を寄せ、眉尻を垂れた。


「まだ動き回らないでくれ。リリに何かあったらと思うと、俺――」

「ソウェイル……」

「双子を産んでから二ヶ月しか経っていない。せめて三ヶ月くらいは部屋にこもってじっとしていてほしい」


 リリが、はあ、と大きな溜息をつくと、ソウェイルも同じように息を吐いた。


「まあ、もうよい。オルティとシャフラは下がるがよい。わらわは部屋に帰る」


 オルティが「最初から素直にそう言えば」と言ったので、リリは「はあ!?」とにらみつけた。オルティは黙った。


「ともあれ、フサインの動向には気を配るように。見てくれに騙されるでない。狡猾で、卑怯で、気持ちの悪い男なのだ」

「承知」


 ソウェイルがリリの肩を抱いた。そして後宮ハレムの方に向かって歩き出した。解散だ。オルティとシャフラはリリに命じられたとおり散り散りになって自らの持ち場に戻っていった。





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