第6話 必要とあれば執政とも戦う王妃様
詰襟に長袖の、紅に染められた絹の
長い黒髪を二つの団子に結い上げる。
目元に赤い化粧を施す。
そして堂々と
リリは女奴隷ではない。まして王の寵愛がある。自分の意思で
唯一シャフラだけがリリを制止して咎めようとするが、そんなものは何の障害にもならない。
「おやめください! リリ様がお出ましになるような事態ではございません!」
「ええい黙りゃ! そなたが阿呆であるからわらわがこのようなことをせねばならぬのだ! このド阿呆!」
「お叱りの言葉ならいくらでもお受けします、ですが今は! 今はお体に障ります! お子をお産みになられてまだ癒えておらぬと――」
「もうふた月経ったぞ! わらわは元気! とても元気で力が有り余っておる!」
北の棟を早足で出て、南の棟に向かう。目指すは執政の執務室だ。
あのフサインがシャフラに求婚した。
どうやらシャフラはあまりにも求婚されすぎて他の男たちと一緒くたに考えていたようだ。しかしこれは王の知るところにすべき重大な政治的案件である。
あの男がただの色恋でシャフラに声を掛けるわけがない。
彼には金も地位もある。フォルザーニー家の令嬢としてのシャフラには興味はないだろう。秘書官長としてのシャフラに取り入る必要もない。
だがそれでもシャフラをと望んだのはなぜか。
彼女がソウェイルとリリの間に入ることのできる唯一の女性侍従だからではないだろうか。
フサインが欲しがっているのは、ソウェイルとリリの間に割り込むことのできる立場だ。
もっと言えば――リリの予想が正しければ、だ。
フサインはソウェイルを個人攻撃しようとしている。
ソウェイルが家族だと認識している人間を引き離すことで、ソウェイルの身ぐるみを剥がそうとしている。
養父母に大事にされて育ち家庭というものに強いこだわりのあるソウェイルにとっては、自分と妻であるリリの間に介入されることはどんな嫌がらせよりも不快だ。
「フサイン卿!」
執政の執務室の扉の前で声を張り上げる。
「会うて話したいことがある! 今すぐここを開けよ! 即刻わらわと話をするのだ!」
怒鳴るようにそう言うと、いよいよ諦めたらしいシャフラがようやく黙ってリリの一歩後ろに控えた。
「はいはい」
扉の向こう側から、少し陽気にもとれるおっとりとした声が聞こえてくる。
「どうぞ」
執務室の扉を白軍兵士たちに開けさせた。
中で待っていたのはサータム人の護衛四人とフサインだ。
彼は余裕の笑みで水煙草をふかしていた。さほど熱心に仕事をしているわけではなさそうだ。それなら私室に帰れと言いたいところだが、ソウェイル王が普段そこそこ真面目に働いて執政の負担を減らしているそうだし、王が
フサインはサータム人の侍従を控えの間から呼び、すぐに水煙草を片づけさせた。
リリに向き合う。
大人の男の色香漂う笑みを浮かべて言う。
「お久しゅうございます、リリ殿。お元気そうで何より。双子をご出産なさってから
「心配には及ばぬ、わらわは不死身なのでな。そなたにとってはまこと残念であるがわらわはとこしえにこの国に君臨する女ぞ、子を産んだ程度では死なぬわ」
強くにらみつけるリリをあしらうように笑う。やはり余裕の態度だ。腹が立つ。
「そなた、このシャフルナーズに求婚したそうだな」
単刀直入に言った。シャフラが背後で息を呑んだのも、驚きゆえかサータム人の護衛もアルヤ人の護衛も目を真ん丸にしたのも分かった。
けれどリリは止まらなかった。大股でフサインの文机に歩み寄り、机の上を踏むように片足をのせた。
「断じて許さぬ。わらわの許可なしにこのシャフルナーズが結婚するなどあり得ぬ」
断言した。
だがむしろ、フサインはこの言葉を待ち望んでいたに違いない。
何せ、リリとシャフラがつながっていることを明らかにする言葉だからだ。
シャフラが
だがそこに特定の王妃の後ろ盾があるとなれば話は別である。
特定の王妃が官僚を通じて政治に口を出していること、また官僚の方もその王妃の権威を笠に着ていることをおおやけにする――これは権力闘争の火種になる。シャフラに取り入ることを通じてリリに取り入ろうとする者、リリと敵対するエカチェリーナに取り入ろうとして女性従者を送り込んでくる者などが出てくるだろう。
その危険を冒してでもリリは言わねばならなかった。
もっと言えば、その程度の危険も分からぬ愚昧の王妃としてそしられる可能性を考慮しても、リリは今ここに来なければならなかった。
ソウェイルに言わせてはならない。
ソウェイルこそ一人の王として王室がただの家庭ではなく政治的な集団であることをわきまえぬ愚昧の王と思われてはならない。
女の自分が代表して、
彼を守らなければならない。
彼を世界に冠たる王にすることが、世界一の女王として君臨する自分の地位を築くのだ。
その日まで、リリは彼を守るために戦わなければならないのだ。
「リリ殿」
フサインが微苦笑する。その様はわがままなお姫様に困った顔をする兄か父のようだ。
「感心しませんね。あなたほどの方がこのようにいきり立って怒鳴り込んでくるなど」
「だが分かっておろう。シャフルナーズはわらわの第一のお傍付きぞ。オルティが白将軍代理としてもっとも王に近い存在であるとするならば、シャフルナーズこそわらわにとってもっとも近い存在。それが主君の許しなしに婚姻関係を結ぶであろうか、いやあるまい。これは侮辱であり挑戦であり宣戦布告とみなすがよろしいか」
「いやいや、落ち着いてくださいませ。私はただ愛を打ち明けただけですよ」
吟遊詩人のようだった。優しく歌い上げるように語る声は今まで幾人の女性をとろけさせてきたのだろう。
「私は帝国にいた頃二人の妻がありましたが、一人目は病を得て亡くなり、二人目は産褥にあって命を落としました。今は独身です。寂しいではありませんか。賢く美しい姫君、それもアルヤ王国の政治のことをよく理解している女性が傍にいてくださったら安心だと思いませんか」
「それが本音ならばさぞかし好色な男なのであろうな。それにシャフラと同い年の息子があると聞いたぞ」
「いえいえ、浪漫を解する者として捉えていただきたいものです。私もアルヤ人の血を引く者、アルヤ語は詩の言葉で愛を語らうためにある言葉ですよ」
「しらじらしいことを言うでない」
リリはフサインを見下ろしてできる限り低い声で言った。
「撤回せよ。そして二度と言わぬと誓え」
フサインはなおも穏やかな顔でリリを見上げていた。
「そなたには
そこまで言うと、彼はひらひらと手を振った。
「ですがリリ殿、あなたこそご理解されているはずです」
「何ぞ」
「王に私的空間などというものがございますかな」
きた、と思った。
「王室の行く末は国の行く末ですよ。王の家庭は国のもの。次の王が誰になるかは国の安寧を願う者すべての関心事ではございますまいか」
またサータム人の侍従を読んだ。扇子を持ってこさせる。優雅な手つきで自らを扇ぐ。
「
やはり本音はこれなのだ。
「あなたほどのお方が分からないとは言わせませんよ、アルヤ王国の女王よ」
彼はシャフラとつながることでリリとつながりたいのだ。
それは、家庭を神聖不可侵と考えているソウェイルにとっては、あってはならないことだ。
守らなければならない。
次の一手を考えていた時だ。
背後で乱暴に扉を蹴破る音がした。
「リリ様!」
大声で怒鳴る声はオルティのものだ。
振り返ると、彼はこめかみに青筋を浮かべながら部屋に入ってくるところだった。
「何の話か知りませんが勝手に
リリは舌打ちをした。誰がこの男に耳打ちをしたのだろう。白軍兵士の誰かに違いないが、空気が読めないことをしでかしてくれて気分が悪い。
「そなたソウェイルに会うてはおらぬか。何ゆえわらわがソウェイルと離れてここにおるのか察しがつかぬのか」
問い掛けると、オルティが腕を伸ばした。
答える前に彼はリリを抱き上げた。
「うおっ」
「知りません、俺は
たくましい腕でリリを姫抱きにしたまま、扉の方へ歩いていく。
「失礼した、閣下。お妃におかれては御子を産んだばかりで神経が不安定なのだと思っていただきたい」
フサインがひらひらと手を振って「そうするよ」と答えた。
「ほら、シャフラ、お前も来い」
シャフラが溜息をついてからオルティの後についてしずしずと歩き始める。
「しかし何ゆえ貴方はリリ様には敬語で王には普通語なのでしょうね」
「だってリリ様怖いだろ」
「こんなに可憐なわらわを捕まえて何を言うか!」
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