第4話 花束の行方
日が沈んだ。本日の政務は終了だ。
ソウェイルは南の執務室を出て北にある王の居住区に帰る。
オルティは一応護衛官筆頭としてその帰路を見守ることにしていた。
そして、このついでに今日の仕事について根掘り葉掘りソウェイルの話を聞くことにしていた。
この男は訊いてやらないと自分からは何も話さない。昔からそうだ。
ここ数年、オルティは気になったことは必ず質問するようにしている。
人は変わるものだ。
オルティが問い掛けるようになった最初の頃、ソウェイルはいつもしどろもどろだった。彼は自分が考えていることを言葉で説明するのが極端に苦手だったのだ。
何も考えていないわけではない。だが説明できない。結果として周囲には何も考えていないように見えた――実際に何も考えていなかったことも多々あるがそれはまた別の話だ。
最近のソウェイルが自分の意見や感想を話せるようになったのは、オルティのこの根気強い努力の成果でもあり、また厳しい訓練を課したリリの成果でもある。
否、どちらかといえばオルティよりはるかに厳しく叱責し問い詰めるリリの教育の方が大きな影響を与えていた気もする。リリの理想の王を育てようとする執念はすさまじい――がそれは今は置いておく。
いずれにせよソウェイルの成長はアルヤ王国の安定に直結する。ここ二、三年、蒼宮殿は平和だ。
ただし、ソウェイルとフサインが時々衝突することのほかは、の話だ。
ソウェイルはフサインを煙たがっている。理由はいまいち分からないが、帝国に対するある種の反抗期と言える。それは全アルヤ民族が待ち望んでいたアルヤ王に求める気概だ。
「やっぱりザードとダードが十五歳になってみないことには分からないな」
今日、オルティはソウェイルに王位継承についてどう思っているのか訊ねてみることにした。非常に繊細な話題ではあったが、白将軍代理であり本物の白将軍に次の王を引き継ぐ使命を負ったオルティにとっては重大な関心事だ。
オルティにとって、だけではない。全アルヤ王国民が気にしている。
双子の、二人の『蒼き太陽』が生まれた。
一歩間違えれば、この世はまたソウェイルとその弟が対立した時のような地獄と化すだろう。
しかし現在のアルヤ王国にはまだ救いがある。
今の王が生きているからである。
王が交代する時国は必ず乱れる――が、王が次の王を決めていればその乱れは最小限で済む。
アルヤ王国は蒼い髪の王子が生まれなければ長子相続だ。蒼い髪の王子が生まれなかったら、ジャハンギルが王位を継いでしかるべきだった。しかし髪が蒼いことはすべてを優越する。
――ということを、自身も蒼い髪に生まれたがために苦労してきたソウェイルはどう思っているのか。
「悠長だな」
「それまで俺が生きて王座を防衛すればいいだけの話だろ」
まことそのとおりである。ソウェイルは賢くなった。
「じゃあ実際にザードとダードが十五歳になったとして――その頃ギル殿下は十九か。その時はどうする?」
「最終的には俺が決める」
それは予想よりずっと力強い回答だった。
「ただ、本人の意思を確認してから、と思って」
オルティは頷いた。
「王位、継ぎたくなかったら継がなくていいから。成人した時やりたいと言った息子にやらせることにする。だからこのまま順当に行ったらギルだ。あくまで今のまま育てば、だけど」
「なるほどな」
「リリがあることないこと吹き込んでるから必ずしも今のまま育つとは限らないけど。リリが双子には王位に興味をなくすようしつけたいと言い出すかもしれないし。さすがに子供の性格を捻じ曲げるようなことはしたくないから――平等にやってやりたいから、俺は父親として一応止めるけど、父親の意見も母親の意見も半々に取り入れた方がいいんだろうから、頭ごなしにだめとは言えない。それに子供は原則として
すらすらと説明するソウェイルに感心しながら耳を傾ける。
「ギルも双子もリリの子供だから、
血の気の多かったソウェイルの弟を思い出した。確かにアルヤ王国のような図体が大きい商業国家にああいう男は向いていない。
「向き不向きがあるな、王には」
「本当にそうなんだ。髪が蒼いだけのぼんくらには向いていないということをこの身をもって知った」
「ぼんくらか」
「一応やる気はあるからだいじょうぶ」
オルティは安心した。
「生後一ヶ月の双子の性格は分からない。ギルだってまだ四歳だ。双子が十五になった時に向いていると思った子を指名する。そしてその基準のひとつはやる気だ。という話」
それに、親であるソウェイルを前にして不吉なことは言えないが、オルティはひとつ考えていることがあった。
苛酷な環境の草原で育ったオルティは、子供はたやすく死ぬ、ということを知っている。
三人が三人とも無事に育つとは限らない。生き残ったのが一人だけだったらそいつにするしかない。
それを考えれば、十五歳の時に元気な王子にする、というのも仕方がないかもしれない。
「俺が健康で長生きすればいいんだろ……」
小声で繰り返すソウェイルを見て、オルティはほっとして頷いた。
「リリは分からないけどな。やっぱり母親としては早く決めてほしいものなのかなあ」
「
「今日の朝食の後話し合う時間を設けようとしたら、女官に、お休みになられました、と言われてな。今一緒に朝食食べてたじゃん、っていう」
「まあ……、体調優先だよな」
「どうだか」
そこで突然ソウェイルが立ち止まった。
「あ」
ソウェイルは時々天の声でも聞いているかのような謎の勘をはたらかせることがある。今もそうなのだろう。あらぬ方を向いて黙った。
視線の先を辿る。
王の居住区である北の棟から議会の議場のある東の棟に向かって伸びている回廊に、ひとりの女性がたたずんでいた。
緩く波打つ豊かで長い黒髪の上に赤い帽子をのせた彼女は、シャフラだ。
アルヤ王国の女性の憧れの的となり服飾の最先端をいくようになったシャフラは、公的な場以外ではマグナエをつけない。おそらくソウェイルの仕事が終わってから北の
ここからではぴんと伸ばした背中しか見えない。
何をしているのだろう。
「しっ」
声を掛けようとしたオルティをソウェイルが止めた。右腕を伸ばし、左手の人差し指を口の前で立てる。
静かに、気づかれぬよう気配を消して、数歩分近づく。
回廊のすぐ傍、人工の小川が流れている庭園の端に、一人の青年がしゃがみ込んでいるのが見えた。白い制服を着ている。白軍兵士だ。
彼は大きな赤い薔薇の花束を抱えていた。
シャフラを前にしてひざまずき、花束を掲げるように持ち上げる。
「結婚してください」
青年の、まっすぐな声が聞こえてきた。
ソウェイルがオルティの顔を見た。
オルティは何のこともなくソウェイルの顔を見返した。
「なぜ俺の顔を見る?」
「だって――まあ――何て言うか――」
青年はこの夕暮れ時の薄暗い中でもはっきりと分かるほど赤い頬をしていた。緊張しているらしく瞳も潤んでいる。彼からしたらきっと一世一代の告白なのだ。
シャフラは後ろ姿しか見えなかった。どんな顔で聞いているのだろう。
「お仕事の邪魔は致しません。子も諦めます。陛下のお傍でお仕事をしなければならないほかの、たとえば夜の団欒の時間ですとか、そういう時に一緒にいてくださったら、自分は幸せなのです」
ソウェイルが小声で話し掛けてくる。
「あれ、誰」
オルティは普通の音量で答えた。
「ハーフェズだ。三年前に入隊して、今二十二歳だったか。真面目で勤勉ないいやつだ」
オルティの声の大きさでオルティとソウェイルに気づいたらしいシャフラが振り返った。
ソウェイルが両手で自分の顔を押さえた。
驚愕のあまり目を真ん丸に見開いている青年――ハーフェズが、「あ」と小さな声を漏らして、沈黙した。手がぶるぶると震えている。
「オルティさん? いつからそこにいらして?」
「すまん。覗き見するわけじゃなかったんだが、たまたま通りがかってな」
シャフラとハーフェズが両目を見開いて硬直しているのを見ていると、さすがに申し訳なくなってくる。二人の愛の現場に踏み込んでしまった。自分たちは邪魔者だ。
「その、気にせず続きを」
普段は白将軍代理に従順な、穏やかで気の優しい男であるハーフェズが、珍しくオルティをにらんだ。
「余裕の態度ですね」
「は?」
なぜか三対の視線がオルティを見ている。なぜだろう。気まずい。
「……まあ、その。せっかくだから、受け取ってやれば? 花束」
突然、だった。
シャフラが踵を返した。
そして、北の棟の方へ向かって駆け出した。
「えっ?」
珍しくソウェイルが大きな声を出した。
「バカ!」
ソウェイルが回廊の真ん中に出ていって、花束を抱えたまま震えているハーフェズ青年に語り掛ける。
「今日のところはそのまま帰れ。何も言うな。花束を持ったまま宿舎に帰るのだ。両日中に追って沙汰を出すのでひと晩謹慎せよ。これは王命である!」
「はい!」
ハーフェズも南の方に向かって駆け出した。
「え、何だ? 何が起きた?」
「オルティのバカ、バカバカ! お前も今日はもう帰れ! バカ!」
何かよく分からないが、何かやらかしてしまったらしい。オルティは「はあ……」と息を吐きながらしぶしぶ宮殿に程近い仮住まいの小さな自宅に帰った。
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