第3話 千々に乱れるリリの心
二つ並んだ揺りかご、その中でそれぞれに眠る双子を眺めて、リリは大きな溜息をついた。
双子のザードとダードはよく似ている。あまりにもそっくりなので、母親のリリも乳母たちも時々取り違えそうになる。
区別をつけるために、手首にそれぞれ赤い飾り紐と緑の飾り紐を結び付けた。赤い方がザード、緑の方がダード――そのほかは何度見ても区別に役立つ特徴はない。
二人とも、蒼い色の髪をしている。
今はか細く頼りない毛も、いつかは鮮やかな蒼穹の色になるだろう。
父親のように、だ。
アルヤ王国の王族には時々初代国王と同じ蒼い髪の王子が生まれることがある。
毛の色が蒼いとは生物としては珍妙だが、生きた伝説が目の前にいる以上疑う余地はない。
しかし蒼い髪の王子が二代続けて生まれたことはないらしい。歴史上蒼い髪の王子はソウェイルを含めて五人いたようだが、だいたいが祖父と孫の関係で父と息子が同じ色という伝承は存在しなかった。
「王宮の書庫も王立図書館の地下書庫もお調べしたのですが、いずれにも記録がございません」
シャフラがそう言って首を横に振る。彼女が探して見つからないのなら本当にまったくないのだろう。
「蒼い髪の王子が生まれればそのお方は『蒼き太陽』と呼ばれ自動的に王位継承権第一位とみなされます。その兄弟にもう一度同じ髪の色の王子が生まれることはございません。伝説の初代ソウェイル王の
「凶兆であろうな」
リリはそう言って赤い飾り紐の方の揺りかごを揺すった。
「百歩譲って父と息子の関係になったのはよい。問題は双子で生まれ出で二人とも髪が蒼いことぞ」
「さようでございます」
「いずれも王位継承権第一位ということがあるか。殺し合えと言うておるようなものではないか」
「おおせのとおりにございます」
ソウェイルも双子だったらしい。だがシャフラから聞いたところによるとソウェイルとその双子の弟はまったく似ていなかったのだそうだ。
蒼い髪のソウェイルと、金の髪の弟――サータム帝国の介入がなければどちらが王位を継ぐかは明白であった。
ザードとダードの場合はそうはいかない。二人とも同じ色の髪をしている。
あまり考えたくないことではあるが、どちらかの身に不具合があれば甲乙をつけざるを得なかったかもしれない。しかし喜ばしいことに二人とも健康で五体満足だ。
何より、リリはそもそも第二、第三の王子にそこまで高い順位がつくことすら想定していなかった。
「王位を継ぐのはジャハンギルぞ」
奥歯を噛み締める。
「ギルがいまだ幼く万一のことがあってはと思うたから次の子を産んだのだ。ギルが五つの節句を過ぎたらギルが王位継承者となるのだ」
シャフラはただ黙って首を垂れている。表情の読めない女だ。
彼女は昔から冷たい女で何を言われても眉ひとつ動かさない人間だったが、最近秘書官長になってから磨きがかかった。聞けばどうやら
もはや秘書官や侍従官といった王に近い従僕の中に彼女に歯向かう者はない。
まして彼女は女性だ。誰にもとがめられることなく
つまり、男性の同僚より王の生活に密着することができ、また王妃たちの動向を監視することも可能なのである。
リリはたびたび――それこそ
シャフラとリリが密接に結びついている。
王がこの第二王妃に寵を傾けている以上、それはシャフラが宮殿の中で絶対の権力を握ることを意味していた。
今度は緑の飾り紐の方を揺りかごを揺らす。
「なんと哀れな。この子たちにとっても嬉しいことではなかろう。生まれつき兄を追い落とさねばならぬさだめにあるとは」
王妃であるリリにとって第二王子、第三王子は第一王子の替えだ。むろん腹を痛めて産んだ子は愛しいが、王位のことだけは話が別である。
王道は一本の道により合さなければ天下が乱れる。第一王子のジャハンギルが即位すれば、弟たちは人臣に下がって兄王に仕えるべきだ。
天下が乱れる――ソウェイルとその弟の時のように、だ。
子を産んでからというもの、リリは恐ろしいものが増えた。
十代の頃の自分はなんと向こう見ずで無鉄砲だったのだろう。
子をもった今、それでもなお、あるいは、その時はその時、というような強情さも柔軟さも失った。憂いは一刻も早く断ちたい。
「この前御前会議にギルを連れていったと申しておったが、その際ソウェイルは何と申しておった?」
「王位をギル殿下に継がせるともザード殿下ないしダード殿下に継がせるともおっしゃいませんでした。十五の成人の時まで三人とも同じような教育を施し、誰が王位を継承してもよいようにする、と」
リリは歯噛みした。
母親としては喜ばしいことだ。
三人の子が同じ扱いを受ける。ソウェイルはギルを可愛がっているので、ザードやダードに対しても同じように父親らしく振る舞おうとするだろう。
王妃としては頭の痛いところだ。
はっきり誰が王位を継ぐのか明言してくれないと、いざその時になって困る。三人ともリリの子なので母后であるリリの地位は揺らがないが、子が相争うところを見たくはなかった。
「――畏れながら、たいへん不吉でぶしつけなことを申し上げますが」
鋼姫が冷たい声で言う。
「お三方が全員ご無事にご成人なさる保証はございません。実際に双子の弟君たちが十五歳になってみないことには何も申し上げられないのです」
リリは自分の顔を両手で覆った。
子供などすぐ死ぬ。
生命力に溢れたリリの子供なら順調に育つと言いたいが、病でなくても事故でも子供は死ぬ。
死なないように育ってからでなければ、何も決められない。
そういう意味では、ソウェイルの言うことも正しい。
「せめて長幼の序を教えてもらわねば。弟たちにはギルに尽くすよう教えねばならぬ。さすれば兄から王位を簒奪しようなどとは思わぬであろう」
「そこは陛下と話し合われませ」
「まあ、それはそうであるが――」
「そして何度も申し上げますが、『蒼き太陽』は我々にとって神です」
顔から手を離しながら、息を吐いた。
「その大きい方の『蒼き太陽』自身は何を考えておるのかのう。おのれが弟と殺し合うて嫌な思いをしたであろうに。髪の件とてそうであろう、あやつ自身がおのれの髪色を嫌って『蒼き太陽』と呼ばれることを厭うておるというのに」
「そこまで具体的なことはおっしゃっておりませんね。
「さようであろうか。昔からそうであるが、あやつは粛々とわらわに従うのみぞ。何を考えておるのか分からぬ」
「わたくしもでございます。ある程度までなら予測がつかなくもないのですが、時々突飛なことをおっしゃいます。究極的なところでいかがなさいたいのかは存じ上げません」
「案外何も考えてなさそうな気もするがの」
「と、オルティさんはおっしゃいますね」
リリはまた溜息をつくはめになった。
「そう言えばオルティとは久しく会っておらぬの。息災にしておるか」
シャフラが一瞬眉を動かした。その瞬間をリリは見逃さなかった。鋼姫は唯一この話題にだけは弱いのだ。
「お変わりないですよ。体調が整われましたら、また王の執務室においでになればお会いできます」
「嫁取りなどをするという話題はないのか」
形の良い唇を引き結ぶ。
「……なさそうですね……」
「よかったのう!」
「何がでございますか……」
「おお、すまぬ! つまりそなたにも求婚しておらぬということなのだな! まことに遺憾である!」
シャフラの表情が泣きそうに歪んだ。その表情は十も若返ってまだ純真無垢な少女のごとくだ。とても鋼と呼ばれるような女のものではない。
リリは邪悪な笑みを浮かべた。
「どこで発散しておるのかのう! 気になるぞえ! 二十四にもなって
今度はシャフラが両手で顔を覆った。リリはしばらくげらげらと声を上げて笑った。
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