第17章:花柄の龍と黒髪の姫君
第1話 御前会議 ~アルヤ王の子育て~
御前会議――重臣たちがアルヤ王を囲んで直接物申す重要会議である。
御前会議と名のつく会議自体は建国の頃からあったが、現在の王ソウェイル二世の代で形式が改められた。
風がよく通る
王も含めた全員が、同じ高さ、同じ敷き物、同じ茶と食べ物で席に着く。
この形式はサータム帝国から輸入されたものだ。サータム帝国の皇帝がこうしてじかに大臣たちから意見を吸い上げているらしい。古い歴史をもつアルヤ人の王より国家をもってからは歴史の浅いサータム人の皇帝の方が長と臣下の距離が近い証である。
アルヤ王国では長らく王は神と同義であり、人臣の身で直接話し掛けることは不敬とされてきた。だが、ソウェイル王はそういう慣習を嫌っている。彼は帝国の皇帝に倣って人臣と同じ目線で語り合うことを選んだ。
今日も御前会議が始まる。
オルティは白将軍として――十神剣という軍神の長、神官団の長として、でもあり、また、近衛隊の隊長としても――御前会議に参加することを求められている。厳重に警備されている中不測の事態が起こるとは考えにくいが、近衛隊長である以上は念のためにいつもソウェイルの隣に座るようにしていた。
同じく、シャフルナーズ・フォルザーニー――通称シャフラも、女性の身でありながら唯一御前会議に参加することを許可されている。彼女が秘書官長だからだ。秘書官たちの代表者として、ソウェイル王の政治的な活動を管理する最高位の人間としてこの座につくのである。
彼女はソウェイルを挟んでオルティの向かいに座るようにしていた。出世してももとは秘書官の身、ソウェイル王の傍近くに控えて予定の管理や政務の進捗などを耳打ちするためだ。
ほか、寺院などの祭司を束ねる省庁の長、侍従官など王の身辺の世話をする省庁の長はアルヤ人だが、残りの省庁の長、大臣たちは皆サータム人である。特に税務に関する省庁の大臣がサータム人なのは頭の痛いところだ。
大臣の長、本来なら宰相を置く地位には、執政フサインがいる。
フサインは今日もにこにこしている。
この穏やかな中年の伊達男はいつも機嫌が良さそうだ。とても楽しそうに馴れ馴れしくシャフラに話し掛けている。
「やあ、フォルザーニー女史、今日も麗しいね。そろそろその忌々しいマグナエを撤廃する法を作ってみないかい? 死ぬ前に一度は君の長く豊かな黒髪を拝みたいものだ」
前貴族院議長の娘であり屈指の名家の令嬢であるシャフラはけして声を荒げない。かといって愛想よくもしない。人形のように固まった白い面の頬には、失せろ、と書いてある。絶対に口に出しては言わないだろうが、フサインを見つめるシャフラの黒く大きな瞳に満ちているのは負の
「おお、シャフルナーズ、糸杉の姫よ、そなたの瞳は夜の闇のごとく澄み――」
「王がおいでになりましたわ」
詩を吟じ始めたフサインの声をぴしゃりと遮り、シャフラが前を向いた。
オルティは後ろを振り返った。
シャフラの言ったとおり、ソウェイルが侍従官二人と白軍兵士二人の合計四人を従えて会議室に入ってきたところであった。
思わず顔をしかめた。
ソウェイルが幼子を抱えている。
さらりとしたまだ細く柔らかな黒髪に蒼い円筒形の帽子をかぶせられた幼児だ。
母親譲りの切れ長の目に、父親譲りの蒼い瞳が埋まっている。目元は母親にそっくりだが、鼻から下は父親のそのままだ。
ソウェイルは彼を抱えたまま座布団に座った。
オルティ以外の全員が、当たり前のような顔をして床に手をつき、首を垂れた。
ソウェイルはあぐらをかき、膝の上に彼をのせた状態で、重々しい声で言った。
「待たせたな。皆の者、本日も参集まことにありがたく思う」
そして、ソウェイルの膝の上に座っている彼が口を開いた。
「おもてをあげよー! きょうはこのギルがおまえたちのはなしをきいてあげます」
オルティは思い切りソウェイルの後頭部をはたいた。ソウェイルが「いったー」と顔をしかめた。
「どうしてギル王子がここにいるんだ、会議室は保育所じゃないぞ」
ソウェイルの膝の上で、四歳のギルこと第一王子ジャハンギルが目を真ん丸にした。
「ギルがいてはだめですか」
四歳の純真無垢な瞳に見つめられるとさすがのオルティもたじろぐ。
「あ、いや、その……、それは難しいところだが――」
「ギルもごぜんかいぎにでます。だってギルはアルヤおうになるのですもの」
「そういうことを殿下におっしゃるのは母上様だな。母上様に気が早いとお伝えになれ」
「オルティはうるさいからきらいです」
ソウェイルが右手で自分の後頭部をさすりながら左腕でギルを抱え直す。
「いいだろ別に、どうせシャフラとお前以外みんな子持ちなんだし」
真に受けたらしい、あるサータム人の大臣が頭を下げる。
「畏れながら王よ、私は我が子が今のギル王子の頃には乳母に預けており、たいへんお恥ずかしながら
「いやみんなそうだろ普通に考えてここに来るような政府の高官は」
「まことオルティ将軍代理のおっしゃるとおり」
フサインが明るく笑う。
「よいではありませんか。
ギルが父親の腹に顔を埋めて「かわいくないです」と言う。
「ギルはもうよんさいでおおきいのですから。それに、もう、おにいさまですもの。かわいいはもうおしまいなのです」
「おや、おや。これは失礼を申し上げました」
そしてまた声を上げて笑うのだ。
「ギル、いい子にしていられるな?」
ソウェイルが息子の耳元で囁く。
「これから大事な、大事なお話をするから。ちゃんとお座りして聞いているんだぞ」
ギルがつんと上を向く。
「ちちうえになんかいわれなくてもギルはいいこですぅ」
「――というわけで、このまま御前会議を始める。諸君、おのおの楽にせよ」
オルティは息を吐きながら首を横に振った。
フサインが目尻にしわを作り口角を持ち上げながら言う。
「しかし、いいのですか? 本日の議題は王位継承ですよ。ジャハンギル王子にとっては、不安を掻き立てられるような、将来が恐ろしくなるような話題ではございますまいか」
ソウェイルは毅然とした態度で答えた。
「まだ何も決まっていない。誰が継いでもいいようにすべての王子を平等に教育せねばならぬ。今日はこのジャハンギルがいかにして人と交わればよいか学ぶために侍童を選ぶ話をするのだ、余の子供時代の経験はまったくあてにならぬのでな。むろん弟が長じれば今のジャハンギルと同じくらいの時に同じ話をする」
態度が改まったのを感じて、オルティは口を閉ざし、固唾を飲んで見守った。
ソウェイルはフサインに対して強気に出られるようになった。彼は冷静に、わずかに突き放すような冷たさも添えて、フサインに意見できるようになったのだ。
「アルヤ王国では成人を十五の年とする。その日までどの王子が次の王となるかを論ずることを禁ずる。また、それを最終的に決めるのは余である。なんぴとたりとも口を挟ませぬ」
だがフサインは動じない。のらりくらりとした笑顔と言動でソウェイルからの冷たい視線を跳ねのける。
「本当にそれでよいのですか? 王よ。他ならぬ貴方様ご自身が、王位継承順がはっきりしていなかったからこそご苦労なさったとお聞きしておりますよ」
優雅な手つきで茶碗を取る。
「今のうちに決めておけば楽なのは貴方様ご自身なのではございませんか? あまり考えたいことではありませんが――御身に何かあった時のことを考えても」
ソウェイルの腕の中で、ギルが不安そうな顔をした、気がした。
オルティはこの子を連れ出してやった方がいいのではないかと思った。
フサインの言うとおり、母親である第二王妃からお前が王になるのだと語り聞かされて育ったギルにとっては、自分が王位を継承できないかもしれないというのは恐ろしい話かもしれない。四歳がどこまで理解できるかは分からないが、父親とこの執政の仲が悪いことと自分たち兄弟の話をされていることぐらいは分かっているはずだ。
「王子――」
オルティが口を開いた、その時だった。
ギルが伸び上がり、ソウェイルの耳元で言った。
「ちちうえぇ……」
「何だ?」
「おしっこ……」
ソウェイルがギルを抱き上げた。
「よーしよしよし! いい子、いい子だ! えらい! すごくえらいぞ!」
「でてしまいますぅ……」
「ちょっと我慢しろ! な! がんばれ、がんばるんだぞ! すぐ便所に連れていってやるからな!」
そしてそのまま彼を抱えて会議室から出ていこうとした。
オルティは立ち上がって「ちょっと、おい!」と怒鳴った。
「お前、真面目に政治しろよ!」
「次世代を守り育む俺えらくない? 全アルヤ臣民の父だろ」
「乳母を呼べ、いるだろ乳母! どうして乳母を使わないんだ!」
「えーん、母親が起き上がれるようになるまで俺が父親っぽいことするって決めたんだもーん」
「母親もそんなに熱心に世話してるか?」
「見つけると、そなたがやることではない、って怒るから……俺には嫁の目を盗んで息子と交流する使命があるんだ」
オルティの制止もむなしく、ソウェイルはギルとともに
「出ちゃう! せっかく尿意を自己申告できたのに!」
王のいない御前会議が、始まってしまった。
「……まあ、選びましょうか、ギル王子の侍童」
シャフラが大きな溜息をついた。
「王にはわたくしから後で決まったことをお伝え致しますので……」
オルティは座布団に戻りながら心の中でソウェイルはシャフラに謝れと念じた。
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