第19話 選ぶこと、責任を持つこと

「俺は昔から命令があまり好きじゃなくてな。もっと具体的に、ちょっと難しい言葉で言うと、上意下達で任命する、と言うべきか」


 アルヤ王ソウェイルはヴァンの前を歩きながらのらりくらりとそんなことを語った。足取りものんびりしていて急かされている感じはない。


 ヴァンは安心した。ホスローの話の感じから王はきっと穏やかで優しい青年なのだろうと思っていたが、その感覚はまったく間違っていなかった。


 見た目の印象とは異なり、素のソウェイルは温厚で、言うなれば少しおっとりしている。強くいかめしい王の姿はそこにはない。

 これは成人男性に対しては失礼かもしれないので言わないが、ヴァンはソウェイルから自分の姉を連想していた。静かに導いてくれる年上の家族だ。


「シャフラもオルティも、あと文官にも武官にも他に何人か、俺が自分で声を掛けて政治をしないかと誘った人間がいる。でも、俺はそのうちの誰に対しても俺の下で仕事をしろと命令したつもりはない。こういうことをしたいんだけど、どう? 興味ある? やってくれる? って、ひとりひとりに意思を確認してから正式に任官した。誰一人として無理強いした覚えはない――ついでに言うと王なんかに無理強いされても断れる強さをもった人間しか選んでいないはずだ」


 ヴァンはホスローと並んで回廊を歩きながら頷いた。


 日は落ち始めていた。宮殿を囲む西の壁の向こう側に赤い太陽が沈んでいく。庭にはかがり火が焚かれており、炎が爆ぜるぱちぱちという音がする。


 不思議と不安はない。ソウェイルが先にヴァンの親へ遣いを出してくれると言っていたからだろうか。王からの使者を迎える両親はさぞや驚くだろうが、この王に頼み事をされて引き留められているのだといえば誇らしく思ってくれるに違いない。


 恐ろしいことをさせられる気はしなかった。王にすべてをゆだねても何も怖いことはない気がした。

 これが、統治者であり支配者である、ということか。

 全アルヤ民族の保護者だ。

 ますます好きになってしまう。


「みんなの意思を尊重してきたつもりだ。でも、それは裏返せば――」


 ヴァンは語る言葉の雰囲気が少し変わったのに気づいて顔を上げた。

 ターバンを巻いた蒼い髪の頭はヴァンよりかなり背が高い。しかもヴァンには背を向けて歩いているので顔を見ることは叶わない。


「俺が責任を取りたくなかったからでもある。お前があの時受け入れたからだろうって、お前が決めたことであって俺は無理強いしてないからなって言い訳ができるようにしていたのかもしれない。俺に必要なのは、命令する強さを持つことなのかもしれない。それが王として、上に立つ人間として必要なことかもしれない――」


 そうだろうか、とヴァンは思う。ヴァンはソウェイルが強くないとは思わない。ソウェイルにはおんぶに抱っこで生活させてくれそうな頼もしさを感じる。ヴァンが政治を知らないからだろうか。王の傍近くに控える人々はそうは思っていないということか。


 ヴァンとホスローの後ろに、ソウェイルと二人を挟む形で、オルティが歩いている。彼もただ歩いているだけで何も言わなかった。


「俺が言ったことについて受け入れて動いてくれた人間を、守る強さを。最初は見守って最中は肯定して最後は受け止める強さを。責任を。俺は責任を持つ強さを持たなければならない」


 謁見の間であるという大きな講堂を通り過ぎた。

 大講堂の隣に小さな部屋があるようだ。王の目的地はここだったらしい。王が自ら戸を開ける。


 その部屋は、ヴァンの家の店舗と居間を足したくらいの縦長の部屋だった。

 内壁は豪華で、壁の全面に蒼い石片タイルと金箔の星に似た幾何学模様が施されている。南側の壁にある出入り口から見て右側、東側に窓があって、すでに昇り始めた星の瞬きが見えた。正面の北側の壁には祭壇のような出っ張りがあって、大小いくつかの金属の器が置かれている。

 祭壇の上の方、壁に十対で合計二十個の金の突起がついている。うち四対にはそれぞれに一本ずつ、合計四本の剣が置かれていた。


 四本の剣を見て、ヴァンは思わず「あ」と声を漏らした。

 神剣だ。伝説の宝剣、アルヤ王国を守る軍神が携えるべき神秘の存在だ。


 美しかった。

 塗料も石もヴァンには何なのか分からない。けれどただ、きっと誰の目から見ても美しいであろうことは分かる。


 白の剣――白将軍の剣、清廉の象徴たる白銀の剣。

 蒼の剣――蒼将軍の剣、忠烈の象徴たる太陽の剣。

 桜の剣――さくら将軍の剣、妖艶の象徴たる乙女の剣。

 黄の剣――将軍の剣、友和の象徴たる黄金の剣。


 主なき四本の神剣が、ここで次の主を待っている。


 こここそが、ヴァンが憧れていた神剣の間なのだ。


 部屋の真ん中まで来てようやくソウェイルが立ち止まった。振り返る。


「ヴァン」


 言いつつ右手を差し出した。


「右手を出せ」


 言われるがままヴァンも右手を持ち上げた。ソウェイルに手首をつかまれる。


 次の時だった。


 頭の中に、わっ、と騒がしい声が流れ込んできた。


 ――本気なのね太陽。こんなこと初めてだわ。それでもあなたやるのね。

 ――僕は嫌です。こんなことでは僕ら十神剣の格が落ちます。

 ――みんな太陽がすることに文句を言うの? 太陽がそれを望んでいるんだよ。僕は太陽のおぼし召すままに。

 ――でもそんなに簡単に事が運ぶとは限らないぜ。ましてまだ十四歳なんだろ? 可哀想だ。まだまだ人生を選べる年頃だ。

 ――本当に信頼できる人間なのかしら。今度こそあたしたちを裏切ったりしない? あたしはもう嫌よ、目の前でばたばた将軍たちが死んでいくのを見守るのは。

 ――繰り返しますが僕は嫌です。お断りします。僕は心の底から太陽にすべてを捧げられる人間しか受け入れません。

 ――太陽のおおせのままに。太陽のお求めのままに。太陽の御心のままに。

 ――まだ子供だ。可哀想だ。可哀想だ――


「これ……、何ですか?」


 思わず言ってしまった。

 ソウェイルが答える。


「聞こえるんだな?」


 ヴァンは目を丸く見開いた。


「神剣たちの声だ」


 神剣の声が、聞こえる。


「……と言っても、俺が一時的に聞こえるようにしているだけだけど」


 背筋がぞわりと総毛だった。目の前にいる我らが王は周辺諸国の諸王が言うとおり魔術師だ。人智を超えたことをする。


「なんだか喧々諤々けんけんがくがく。やっぱり神剣たちは一筋縄じゃいかないな」


 ソウェイルがそう言って溜息をついている間にも、四本の神剣たちは大騒ぎをしている。

 オルティが一歩前に進み出た。


「やはりやめておくか? どの剣が何と言っているのかは知らないが、俺も結構無茶なことだと思っている」


 少しのあいだ、間が開いた。


「でも」


 ソウェイルは、ヴァンの手を、離さなかった。


「もう、時間がない。俺は、強くならなくちゃいけない」


 そして、ヴァンの手首を握ったまま、上半身半分だけを捻って、祭壇の上、神剣の方を向いた。


「どうだろう、みんな?」


 まず「白の剣」と投げ掛けると、男性とも女性ともつかない高くもなく低くもない不思議な声が答えた。


 ――太陽がどうしてもと言うのなら応援はします。けれど僕自身は最初の将軍の子孫の子がいい。テイムルの子供が生きて成長している以上は僕はテイムルの子供を選びます。ずっと頑張っているところを見てきたオルティでさえ拒んだというのに、今出会ったばかりの少年に僕の未来を託すことはできない。


「まあ、お前はそうだろうな」


 次に「蒼の剣」と投げ掛けると、若い青年の怒声が響いた。


 ――絶対に認めません! 僕は僕らが二百年守ってきた伝統を崩したくございません。今の太陽よ、僕らが守ってきた貴方の先祖たちの決まり事を捻じ曲げようとしている貴方を僕は弾劾します。僕は絶対にエスファーニー家の格式に匹敵する武家の名門の子しか受け入れません。


「うーん、お前はそう言うと思ってた」


 それから「桜の剣」と投げ掛けると、妙齢の女性の声が穏やかに聞こえてきた。


 ――うんと言ってあげたいけど、桜乙女たちがみんな女の子である以上、男の子の将軍を据えるのは現実的じゃないわ。これから先さくら軍に男の子が入ってくるって言うなら考えなくもないけど、びっくりするのは乙女たちの方よ。あたしは女の子たちの味方だわ。


「確かに、本当にそう。お前は最初からないなと思ってた」


 最後に、「黄の剣」と投げ掛けた。

 また、しばらく間が開いた。


 ――俺は――


 若い青年の声だった。明るく振る舞おうとする彼の声は、ヴァンに存在しないはずの自分の兄を連想させた。


 ――もし、どうしてもと言うのなら。


 ヴァンは気がつかないうちに口を開けていた。


 ――もう、殺さないと約束してくれるなら。もう、奪わないと約束してくれるなら。もう、争わないと約束してくれるなら。


 ソウェイルが、頷いた。


「次の黄将軍は必ず俺が守る」


 突然だった。

 かたん、という音を立てて、黄の剣が突起から外れて祭壇の上に落ちた。まるで神剣の――彼自身の意思をもって降りてきてくれたかのようだ。


 ――俺はな、太陽。明るく元気で少し気ぃ使いの根の優しい若造が好きなんだ――


 ソウェイルがヴァンの手を離した。途端、神剣たちの声が止んだ。誰の声も聞こえなくなった。

 祭壇の方へ歩き出す。祭壇の上に転がった黄の剣を拾うように持つ。


「こっちに来い、ヴァン」


 手招かれて、ヴァンは吸い込まれるようにソウェイルの傍へ寄った。


 ソウェイルが、黄の神剣を差し出した。


「抜け」





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