第18話 格上でも格下でもない友達
ラームテインが去っていった後のことだ。
上半身をしっかり縛り上げられた状態で白軍兵士二人に挟まれ地面に座らされているホスローに、ソウェイルが静かに歩み寄った。
ソウェイルがしゃがみ込みながら手を伸ばす。その手では軽く握り拳を作っている。
ソウェイルの握り拳がホスローの頭頂部を叩いた。しかしたとえば言うならば、こつん、であって、まったくもって痛そうではなかった。
ホスローは顔じゅうで不快感を表現してソウェイルを睨むように見上げた。
「にいちゃ――国王陛下」
「もう全部バレてるぞ」
ホスローの目が、ソウェイルの後ろ、オルティの隣に立つヴァンの顔を見た。ヴァンは居心地の悪さを感じて口を尖らせたが、それでもまっすぐホスローの目を見つめ返した。
「師匠の剣のせいでヴァンにバレたのか」
ヴァンは首を横に振った。
「もうだいぶ前から、ホスローの話から気づいてた。結構最初の段階で、ホスローのお兄さん、相当すげー政治家なんだな、って思っててさ。で、赤軍の話になった時、はっと、ホスローの言ってるお母さんって赤将軍ユングヴィなんじゃないか、って思ったら、頭の中で話が全部つながった。ユングヴィ将軍がお育てしたすごく偉い人って国王陛下だ」
「俺が自滅したのか。やっちまった。俺ほんとバカだな」
「そもそも十神剣に自分の乳兄弟を預けられる人って王族しかいないじゃん。そんでもってギル王子がまだ四歳の今自分の意思で行動できる王族男子って国王陛下だけじゃん」
「まあそうか。そういえばそうだな」
もっと言えば、ラームテインが丁寧な言葉遣いをする相手も限られる。ラームテインがああいう言い回しで表現する相手は王か王の眷属である十神剣の同僚しかいないのだ。だがそれを言うと話がラームテインに飛び火するのでヴァンは控えた。
「別に隠さなくてもいいじゃん」
ヴァンは苦笑して言った。
「師匠も言ってたじゃん、ホスローのお母さんとホスローは別の人間だ、って。ホスローのお母さんが赤将軍ユングヴィだろうがホスローのお父さんが黒将軍サヴァシュだろうがホスローがホスローであることに変わりはないじゃん」
「それは最初お前が俺のことをそういう生まれだって知らない状態から俺との付き合いが始まったからだ」
ホスローが唸るように言う。彼からこんな敵意に似た負の感情をぶつけられるのは初めてでヴァンは少し戸惑った。
「俺は生まれた時から言われ続けてきたぜ。お前はあの夫婦から生まれたんだ、お前も強いんだろう、お前も兵士か戦士になるんだろう、十神剣に口が利ける、アルヤ王にも口が利ける、一般人ができないことができるんじゃないのか、一般人が知らないことを知ってるんじゃないのか――」
強く拒絶する声で「知らねーよ」と叫ぶ。
「俺んチは貴族じゃない。領地があるわけじゃないからだ。親は神剣が抜けただけの一般人。議員でも法官でもない。政治のことなんて何も分からない」
神剣が抜けたら軍神であり神官なのでヴァンにとっては一般人ではないのだが――ホスローの悲鳴に似た叫びはまだ続いた。
「俺は親が将軍で金があるから貴族の子供と同じ学校に行った。貴族の子供のお坊ちゃんたちは行儀がいいから言わないぜ、自分たちもフォルザーニー家だのメフルザーディー家だの縁続きだから、俺の家とも格の釣り合いが取れるもんな。でもそうじゃない奴がいっぱいいる。お前も見ただろ? 俺は何にもしていないのに親のせいで妬まれる」
ヴァンは前に踏み出した。一歩、また一歩と静かにホスローに近づいていった。
ホスローの目の前、ソウェイルの隣に辿り着いた時、ヴァンもソウェイル同様ソウェイルの隣に膝をついた。
「俺はホスローのことそんなふうに思ったことはない。何度も言うけど、師匠の言うとおり。将軍なのは親御さんであってホスローじゃない」
「でも――」
「俺はずっと前から気づいてたけど、それで態度を変えたつもりはねーよ」
そう言うと、ホスローは顔をくしゃくしゃにして黙った。
「変な話、俺が憧れてんのは将軍であって将軍の家族じゃないから。ホスローは俺より格上でもなきゃ格下でもない」
そしてヴァンは笑みを作って見せた。
「友達だろ?」
ホスローはしばらく黙っていた。その目元が赤く潤んでいた。だがもう十四歳の大人の男である自分たちは泣かないのだ。ホスローはぐっとこらえ、唇を引き結んで黙っていた。
「よかったな、ホスロー」
ソウェイルが言う。
「いい友達ができたな。お前が俺の弟だと知っても悪用しない友達が」
そのソウェイルの言葉には、ヴァンは肩を震わせた。最初に蒼宮殿に行った時はホスローやラームテインより偉い立場であるソウェイルに何とかしてもらおうと思っていたのを思い出したからだ。悪用ではないつもりだが、利用しようとはしていた。墓場まで持っていかなければならない秘密かもしれない。
ちらりとソウェイルの方を見た。ソウェイルは自分の唇の前で人差し指を立てて片目を閉じてみせた。ナイショ、の合図だ。歯を食いしばってうつむいているホスローには見えないだろう。ソウェイルに救われた。我らが王は最高の王だ。
「でもな、ホスロー」
ソウェイルが穏やかな声で言う。
「確かに、一から十まで甘えられて、職権を濫用してあれしろこれしろと言われたら困るけど。お前の場合、何にも言わないからな。俺も心配する」
その声音は優しく、言葉遣いも少し砕けていて、庶民の青年に近いものだった。一般人であることを貫き通そうとするホスローの兄らしい台詞だ。
「お前は何でも一人で背負おうとする傾向がある。お前の父ちゃんも母ちゃんも昔はそういう人間だったからちょっと心配してたけど、親の悪いところが似ちゃったな」
「そんなつもりじゃ――」
「何でも相談しろ。手遅れになってからじゃ遅い。言え。国王としてできることはないかもしれないけど、兄としてできる限りのことはする。たとえば、ただ黙ってうんうんと話を聞いてやるとかな」
もう一度手を伸ばす。今度は握り拳ではない。ホスローのほうぼうを向いた赤毛を整えるように撫でた。
「忙しいけど、お前の話も聞けないくらい薄情な兄じゃない」
そして、苦笑するのだ。
「フェイフューの話は何にも聞いてやれなかった。他の弟では失敗したくない」
そこまで言うとソウェイルはホスローの反応を待たずに立ち上がった。
「解いてやれ」
白軍兵士たちが「御意」と応じてホスローの縄を解きにかかった。
「これからどうする?」
黙って様子を見守っていたオルティが歩み寄って話し掛けてくる。
「例の件、今からやるか?」
ソウェイルは「ああ」と頷いた。
「ヴァンを宮殿に連れて帰りたい。ただ、もう、日が暮れてきちゃったな……ヴァンの親御さんが心配しないように遣いを出すか」
「分かった。手配する」
言われてから思い出した。そう言えばソウェイルは宮殿を出る時にヴァンに頼み事をしたいと言っていた。何があるのだろう。ホスローとは違って王都の郊外に店を構える八百屋の息子である自分こそ一般人だというのに、何かできることがあるのだろうか。
「あの、俺、何したらいいんですか?」
訊ねると、ソウェイルはいたずらそうに笑った。
「宮殿に帰ってからのお楽しみ」
解放されて立ち上がったホスローが首を突っ込んでくる。
「それ、俺も行っていいやつ?」
ソウェイルは「うん」と即答した。
「みんなで宮殿に帰るぞ」
白軍兵士たちが「こっちに馬を用意してあるので」と言ってヴァンとホスローを手招いた。ヴァンはうまく馬に乗れるか心配だったが、ホスローは「やったー」と言って
「――で」
「さっきのガキどもはどうする? 斬首、縛り首、砂漠に流刑――まあ、いろいろあるが」
ソウェイルは冷たい声で答えた。
「揉み消す。ユングヴィには俺から話をする。そうだな――最終的にはザーヤンド川に謎の水死体が浮かぶことにするか」
オルティは「了解」とだけ答えた。
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