第17話 隊商宿《キャラバンサライ》にて 2

 踏み鳴らされる軍靴の音、少年たちの戸惑う声、そして青年たちの怒鳴り声を聞いて、ラームテインは悟った。

 官憲に踏み込まれたのだ。


 自分の身の安全は確保されたも同然だ。


 戸を開けた。

 近くにいた白軍兵士がすぐさま手を差し出し、声を掛けてきた。


「将軍、ご無事ですか」


 鍛えられた体躯、丁寧な物腰、この砂漠に咲く一輪の薔薇たる王都を守るにふさわしい青年だ。あの荒廃した蒼宮殿で王位継承問題に振り回されていた愚鈍な男たちとは違う。

 ラームテインは姫君ではないのでその手を取らなかった。軽く会釈をして「無事です、ありがとうございます」と儀礼的に挨拶をした。


 白軍兵士たちは四つの出入り口すべてからいっぺんに突入したようだ。四人の少年たちはあっさりと捕まり、噴水傍に立っていた三人の少年たちも追い詰められていた。

 少年たちは抵抗できない。彼らはきっとまだ素人も同然なのだろう。ホスローの言うとおり家を失ったばかりの新兵たちだったのだ。本当に訓練された赤軍兵士たちの残忍さを知っているラームテインは彼らを哀れに思った。


 面白いのは、白軍兵士たちがホスローをも捕まえているところだった。彼らはホスローがどこの子供か知っているらしく、「お父上とお母上が心配しますよ」と優しく語り掛けながら丁寧にホスローを縛り上げていた。


「なんで俺まで」

「抵抗したら厄介だからです。将軍代理の命令です」

「オルティさん本当にむかつく」


「悪かったな」


 それまで抵抗していた少年たちが揃えたように動きを止めた。

 白軍兵士たちも、捕縛した少年たちをその場に座らせながら自分たちもひざまずいた。


 出入り口のうちのひとつから、青年たちが数人中庭の方に入ってきた。


 ラームテインは目を丸くした。


 まず入ってきたのは、見覚えのある外套を纏った青年だった。清廉潔白を表す白地に、王の守護者であることを象徴する蒼い糸と金の糸を太陽の紋章の刺繍の入った外套だ。

 それはかつて白将軍テイムルだけに許されていた外套であった。

 今それを纏っているのは、端正な顔立ちの、切れ長の目に短い黒髪の青年であった。チュルカ人だ。一応見覚えのある顔ではあったが、ずいぶんと成長している。この九年の歳月が彼を少年から青年に育てたらしい。


「おい、クソガキ」

「オルティさん……!」

「厄介事を増やすんじゃない。何度言ったら分かるんだ」


「まあまあ」


 次に聞こえてきた穏やかな声に、ラームテインは、全身の毛が逆立つのを感じた。

 聞き覚えのある声だった。

 凛とした、よく通る、あの暗い王立図書館の地下に響いたものと同じ声だった。


「もう終わりだ。これでもうおとなしくするだろう」


 しかし、声の調子が違う。正確には、語調が違う。本物の彼だったら、正義を貫くために悪事を働いた少年たちを一喝したことだろう。


 オルティに続いて入ってきたのは、蒼、だった。


 孔雀の羽根飾りのついたターバンの下で輝いているのは、確かに、蒼い髪だった。

 その瞳も、羽織っている外套も、蒼い色だった。


 アルヤ人の民衆がありがたがる、しかしラームテインにとっては誰よりも憎悪すべき、忌まわしい蒼だった。


「国王陛下……!」


 『蒼き太陽』――現アルヤ王国国王、ソウェイル王だ。


 ソウェイルに道を開けるためか、オルティも一歩下がった。


 少年たちが震えながら首を垂れている。さすがの彼らも目の前の人物が何者かは分かっているのだろう。素直だ。まだ太陽を疑えるほど擦れてはいなかったのだ。

 感情が残っているからこそ、理性が残っているからこそ、ホスローが許せなかったのだ。


「ど、どうして、陛下がここに」


 ソウェイルが微苦笑を浮かべる。

 その顔を見た時、ラームテインは心臓が跳ね上がるのを感じた。

 ラームテインの中でのソウェイルは――十五歳の時のソウェイルは、何を考えているか分からない、表情の変化に乏しい子供だった。

 今のソウェイルは、目の前の人間に対して、表情の変化を見せることができる。

 それは、周りの求めに応じて笑ったり怒ったりするフェイフューの姿と重なった。


「お前たち、自分たちが誘拐した人物が何者か、分かっているか?」


 その声が、フェイフューの声に聞こえる。

 動けなくなる。何も言えなくなる。

 ソウェイルとフェイフューが、重なる。


 かしこまって何も言えない少年たちに、彼は答えを言った。


「紫将軍ラームテイン閣下その人だ」


 少年たちが目を真ん丸に見開いて互いの顔を見た。


「十神剣は太陽の眷属。太陽たる余にもっとも近しいしもべ。ゆえに余が直々に出向いて迎えに行くのは至極当然のこと。……違うか?」


 少年のうちの一人が叫んだ。


「し、知らなかったんです! まさか、将軍だったなんて――」

「たとえ知らずとも」


 ソウェイルが右手を持ち上げた。


「ひとを誘拐するような悪い子は、お仕置きだな」


 その優しく穏やかな語調はフェイフューとは違うが、ラームテインは夢を見た。

 もし彼が大人になっていたら、こうなっていたかもしれない。


「ホスロー以外の実行犯たちを連れていけ」


 白軍兵士たちが「はっ」と短く返事をして、少年たちを引きずって隊商宿キャラバンサライから出ていった。


 隊商宿キャラバンサライの中庭に、ホスローとソウェイル、それからオルティが残される。


 オルティの後ろからひょこりと顔を見せた少年の姿があった。ヴァンだ。彼もついてきたらしい。

 ホスローがヴァンに向かって唸り声を上げた。


「お前、チクったのかよ! 俺が自分でどうにかするって言っただろ!」


 答えたのはソウェイルだ。


「何度言ったら分かるんだ。俺には神剣がどこで何をしているのか分かる。ヴァンはあくまでラームの足跡を辿っていったらその延長線上にいただけで、特に理由なくついてきた。ヴァンはお前が不利になることは何もしていない」


 その言葉は流暢だった。縮こまって何も言えずユングヴィの後ろに隠れていた少年と同一人物であるとは思えない。


「なあ、ラーム」


 突然問い掛けられて、はっとして前を向く。

 ソウェイルと目が合った。

 ソウェイルの蒼い瞳が――フェイフューと同じ色の蒼い瞳が、ラームテインを見ている。


 陰から密かに見ていたのがいつの間にか割れていたらしい。まして自分は彼の言うとおり紫の神剣を今まさにこの左手に持っている。逃げられない。


「よかった。特に怪我はしていなさそうだな」


 そう言ってソウェイルは微笑んだ。

 その笑みは優しく、また裏表もなさそうだった。少年時代のソウェイルにも、フェイフューにもなかった笑みだった。


 ラームテインは悟った。


 彼は大人に、そして、王になったのだ。


「会いたかった。この九年、ずっとあなたがどうしているのか考えていた」


 だがその甘い言葉を聞いた時、ラームテインは我に返って牙を剥くように答えた。


「誰のせいで宮殿から逃げるはめになったと思っているんですか」


 ソウェイルは答えず、穏やかな表情でラームテインを見つめていた。


「誰のせいで国がめちゃくちゃになったと思っているんですか。誰のせいで僕の人生がめちゃくちゃになったと思っているんですか。誰のせいでフェイフュー殿下が……っ」


 だが苦しかった。そう吐き出すのも、ラームテインはもうすでに苦しかった。


 九年――長い年月だった。あっと言う間だったと思っていたが、ソウェイルは大人になるくらいの歳月であった。

 ラームテインは時間が薬になるとは思わない。いくら時が過ぎても許せないものは許せない。時が解決してくれるなどというのは甘い言い訳で真実ではない。

 そうは思っていても、九年は、ソウェイルを大人の男性にしたのだ。


 ソウェイルは、フェイフューを吸収して、王になった。


「誰のせいで、フェイフュー殿下が亡くなったと思っているんですか」


 でもラームテインには分かる。

 ここに、フェイフューがいる。

 ソウェイルは、フェイフューとともにる。

 まっすぐ伸びた高い背も、まっすぐ見つめる蒼い瞳も、まっすぐ話し掛けてくる声も、すべて、ラームテインが愛したフェイフューのものだったのだ。


「誰のせいで――」

「俺だろうな」


 ソウェイルは何もためらわなかった。


「俺のせいだ。だから俺はいつもどうやったら償えるか、そして報いられるかを考えている」


 一歩分、ラームテインに近づいてきた。


「教えてほしい。俺が何をしたらあなたは俺を赦してくれる?」


 ラームテインには何も答えられなかった。

 認めたくなかった。

 ラームテインはこのままだときっとソウェイルを赦してしまうだろう。フェイフューを忘れない、フェイフューを吸収した、フェイフューと重なったソウェイルを、受け入れてしまうだろう。

 あの時の少年だったソウェイルがフェイフューを殺したのに、今の青年になったソウェイルは、ラームテインが理想としたフェイフューそのものなのだ。


「一生、何をしたって」


 右の拳を握り締めた。


「赦しませんよ」

「分かった」


 彼は優しく微苦笑している。

 それが見ていられなくなって目を逸らす。


「でもひとつだけ、伝えたいことがある」

「何です?」

「もうすぐあなたの力が必要になる日が来ると思う」


 心臓が、破裂する。


「戦争になるかもしれない。その時は、アルヤ王国軍には、あなたの知恵が必要だ」


 何よりも、嬉しい言葉だった。子供の頃からずっと言われたいと思っていた言葉だった。

 ソウェイル王は、ラームテインに欲しかったものをくれる。


「あなたをふたたび軍師として迎え入れたい。あなたが俺を赦してくれるのなら、だけどな」

「卑怯者」

「多少卑怯なところもないと王様という仕事はやっていられないんだ」


 これ以上ソウェイルの前で醜態を晒したくなかった。

 ラームテインは踵を返した。

 白軍兵士たちが「あっ」と声を上げて捕まえようとする中、隊商宿キャラバンサライの出入り口に向かって駆け出した。


「いい、追うな」

「陛下」

「好きにさせてやってほしい」


 ソウェイルがにたりと笑う。


「そのうち自分から帰ってくるだろ。ラームは戦争が何よりも大好きなんだからな」




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