第16話 隊商宿《キャラバンサライ》にて 1
懐かしい夢を見た。
自分は王立図書館の地下にいる。決められた身分の人間しか入れないと言われた書庫でアルヤ王国の歴史の本を読み漁っている。
禁書となったアルヤ王家の記録を紐解いて王の兄弟が生き延びた前例を探している。
ない。
どこを探しても、何を読んでどう調べても、王の兄弟はすべからく変死を遂げている――
不安で不安でたまらず外の世界に出られなかったラームテインのもとへと、一条の光が差し入る。
――見つけましたよ。
凛とした声は力強く、世の憂いをすべて吹き消すかのようだった。
――こんな暮らしをしていたら健康を害します。
彼の声がラームテインの身に染み入る。暗い世界でいつまでもどこまでも
――ほら! お立ちなさい!
彼のために綺麗で美しい自分でありたいと思った。彼と並び立てる、彼にとって誇れる自分でありたいと思った。
それが男である自分の為すべきことかと思うと疑問はあったが、美しい人間は神の作り
彼のために綺麗な自分でいられる時間はもうごくわずかだ。
あと二ヶ月で、三十歳になる。
ここまで来たらもう許されるのではないかと、いい加減彼の元へ行ってもいいのではないかと思ったのだけれど――それを引き留める少年たちがいる。
目を開けた。
自分は暗い倉庫の中に押し込まれているようだった。大小様々な箱が積み上げられている中、荷物のように転がされている。
壁に長方形の光が見える。戸の周りに隙間があって外の光が中に入ってきているのだ。戸のつくりが甘く倉庫を密閉できないらしい。
戸の隙間から声が聞こえる。
「おい、女じゃねーじゃねぇかよ。誰だよ、ホスローの女だって言った奴」
「だってあの顔だぜ? しかも二人並んで仲良く外をぶらついてさ」
「いや、分からん。あの顔だし、性別なんかどうでもいいのかもしれない。男であっても年上のコレなのかもしれないぜ」
いずれも少年の声だ。ホスローと同じか、もしかしたらもっと幼いかもしれない。
気を失う前のことを思い出す。
複数の覆面を被った男――と言っても体格からして明らかにまだ年若い少年――が突然家に複数押し入り、ラームテインを取り囲んだ。逃げようとする間もなく、後ろから頭を殴られて昏倒した。そこから意識がない。
背の後ろで両手首を縛られているようだが、それだけだ。起き上がることは可能そうだった。
身を動かした瞬間、手に冷たい金属の感触を感じた。
ちらりと背後を見る。
ラームテインは目を丸くした。
またか、と思った。
神剣が転がっている。部屋が暗いので色までは分からないが、おそらく、紫の剣だ。
この魔法の剣はどこまでもどこまでもついてくる。
九年前、宮殿を出てくる時には将軍を辞める決意をして神剣の間に置いてきたのに、なぜかいつの間にか新居の壁に立てかけられていた。
何度引っ越しをしても同じだ。ごみ捨て場に捨てても、他の荷物のどさくさに紛れて業者に引き渡しても、いつの間にかラームテインのすぐ傍にやって来て、まるで生まれた時からずっと傍にあったかのように転がっている。
この神剣からは、逃げられない。
最初こそ
今日はこんなところにまでついてきたらしい。自分を使え、と言いたいのだろう。
今回ばかりは助かる。
縛られて不自由な手を動かし、なんとか両手で握った。右手で柄を握り、左手で鞘を握り、動ける範囲内で引いた。
背中の辺りが一瞬明るくなった。いつも神剣を抜いた時に輝くあの紫の燐光が走ったのだろうが背後のことなのでラームテインには見えない。
手首を縛っている縄に刃を当てる。少しずつ前後に動かす。
ややして、手首が軽くなった。
縄が切れた。
神剣を床に置いて自分の両手首を見ようとした。暗くてよく見えないがとりあえず問題なく動かせることは確認した。
神剣を手に取る。左手に持ったまま立ち上がり、光の方に向かって歩き出す。
話し声が急に騒がしくなった。走り出す足音も聞こえた。
「テメエ!」
誰かが誰かを罵っている。
「よくのこのことやって来やがったな!」
「呼び出したのはそっちだろ!」
聞き慣れた声――ホスローの声だ。
そう言えば、少年たちはホスローの女がどうとか言っていた気がする。自分はホスローの恋人と勘違いされてホスローを呼び出す餌にされたのだろう。自分にとってもホスローにとってもいい迷惑だ。だがフェイフューが生きていた時にはフェイフューとの関係もそう勘繰られていたのでこういう騒動も初めてのことではない。大きな溜息をついてしまった。
自分を拉致した少年たちは自分が紫将軍ラームテインであることを知らないのだ。
そう思うと、拉致した少年たちの側も哀れだ。ラームテインは自分が紫将軍であることを声高に主張したくはないが、もしここに官憲である白軍が踏み込んできた時、彼らは将軍を誘拐したとしてただの誘拐罪よりもっと苛酷な罰を受けることになる。
だからと言って同情はしない。ラームテインは迷惑を被った。
「悪いことは言わない。あの人を解放しろ」
次のホスローの言葉に、ラームテインは目を丸くした。
「俺が何でもする。お前らの言うことを聞くから、何もなかったということでお開きにしてあの人を解放してほしい」
ラームテインを拉致した少年たちの側も驚いたようだ。一拍間を開けてから、こんなことを言い出した。
「よっぽど大事な人なんだな」
ホスローはすぐ切り返した。
「この国にとってな」
国にとって、ラームテインが大事――そんな認識はラームテインにはない。
神剣を左手に持ったまま、そっと戸の方に近づいた。
戸の取っ手をつかみ、ゆっくり、音を立てぬように押す。
少年たちはまだ悪事に慣れていないのだろう。ラームテインのいる倉庫に見張りを立てていないようだ。ホスローの登場に人員を割いてしまったらしく、ラームテインが倉庫を出ても誰も気づかない様子だった。
ここはどこかの
明るい方を見ると、二階建ての四角い建物の中に中庭があり、その中庭の今は水を噴き上げていない噴水のたもとでホスローと三人の少年たちが向かい合っている。
ラームテインは建物の中の階段下にある倉庫に監禁されていたらしく周りが全体的に暗い。
使われなくなった
出入り口はおそらく四つ、東西南北に人が通れるだけの長方形の穴が開いていて、そこにはさすがに見張りと思われる少年たちが立っている。ラームテインは近くの出入り口にいる見張りの少年に気づかれないよう一度戸を閉めて倉庫の中に戻った。
話し声に耳を傾ける。
「何でもすると言ったな」
「ああ、言った。俺は約束は破らない」
「じゃあ今すぐここで死ね」
ラームテインは目を細めた。
あの赤毛の女の言葉を思い出した。
死ねと言われて育った子供は他人に死ねと言うのだそうだ。
「……それは、できない」
「結局びびってんじゃねーか。大事な人とやらを代わりに殺すぞ」
「俺を殺して困るのはそっちじゃねーのか」
ホスローは、愛されて育った。
「お袋のご機嫌を損ねて困るのはそっちなんじゃねーのかよ」
「俺たちの仕業だとバレなきゃいい」
「そうかいそうかい」
そこで、彼は「じゃあやるか」と言った。
「俺を殺してみろよ。かと言って俺もただで殺されてなんかやらねぇ。お前ら全員を叩きのめして、ぶっ潰して、あの人を連れて帰る。その人数でかかってきて負けたら、お前ら、いい加減諦めろや」
ラームテインの勘定が正しければ、相手は全部で七人だ。
あの夫婦の息子であるホスローにとっては一人で七人の相手をすることなどさほど難しくはないだろう。心配はしていないが、怪我ぐらいはするかもしれない。
さて、どうなるか。
少年たちが雄叫びを上げた。
金属のぶつかり合う音がした。おそらく双方剣を抜いたのだ。
真剣勝負か。
厄介なことにならないといい――そう思ったところで、だった。
「そこまで」
今までの少年たちのものとは違う男の声が響いた。
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