第13話 白将軍代理

 蒼宮殿は複数の巨大な建築物の集合体だ。

 そのうち前庭は一般市民にも開放されていて自由に出入りできる。

 しかし南の丸屋根の下、正堂の中は許可された人間にしか入れない。一般人が正堂に入ろうとすれば門兵である白軍兵士に捕まる。


 一般人であるヴァンに蒼宮殿の中へ出入りできる知り合いなどいない。強いて言えばホスローだけだ。そのホスローが危機で不在の今、ヴァンは正面突破で王を目指すしかなかった。


 ここで捕まるのは想定の範囲内だ。

 問題はここから先だ。


 ヴァンが一般人だからこそ、宮殿の中に入ろうとしただけでは厳重注意の上放逐、で済まされてしまうかもしれない。ヴァンが無害だと知られたら、尋問されることすらなく解放されてしまうかもしれないのだ。


 若い白軍兵士二人に挟まれ、詰所の床に座らされる。


「――で、ヴァフラムといったな」


 少し年かさの白軍兵士が机に向かって座って調書を取っている。ヴァンの顔を見ることすらしない。


「念のため、改めて聞いておこうか。宮殿の中に何の用だね。謁見の間は正月ノウルーズの一般参賀にでも見学できるだろう、今一人で来たところで中を見せてもらえないのは分かっていたはずだ」


 ヴァンは床に正座した状態で膝の上で両の拳を固く握り締めた。


「国王陛下にお会いしたいです」


 先ほど、今左右を固めている若い兵士たちにも問われて答えたことを、繰り返した。


「どうしても、国王陛下に直接お会いしてお話ししなきゃいけないことがあるんです。陛下に助けていただきたいことが。あとついでに、陛下によく言い聞かせて、やっていただかなきゃいけないことがあります」


 年かさの白軍兵士が「ほっほう」と笑う。


「十四歳の八百屋の子で下町の寺子屋の生徒である君が、国王陛下に頼み事をしようというのかね? あまつさえ説教までしようとは」


 先ほどの若い兵士はそこまでは言わなかったが、似たようなことを言って鼻で笑っていた。やはりここでも似たような対応だ。

 ヴァンも無謀であることは分かっている。彼らの言うとおり自分は分不相応なことをしている。本来ならあってはならないことだ。ここでヴァンの主張を通すことは下手をすれば国王陛下の威信の低下にもつながるのだ。


 だが、ヴァンは知っていた。

 ホスローは兄である王を全面的に信頼している。

 あのホスローが無条件で信頼している男が、悪い奴のはずがない。ホスローと同い年の少年であるヴァンを――ホスローの友達であるヴァンを何も言わずに追い返すはずがないのだ。


 アルヤ王は、すべてのアルヤ人の未成年の保護者であるべきだ。


 助けてほしい。


 ヴァンは床に両手をついた。


「友達がまずいことをしようとしてるんです」


 頭を下げる。


「お願いです。どうしても、どうしても、国王陛下でないとだめなんです」


 そして「お願いします」と繰り返す。


「ホスローを助けてください……! 陛下の弟であるホスローを――ユングヴィ将軍の息子であるホスローを国王陛下がお見捨てになるなんて、絶対にないって信じてます!」


 白軍兵士たちが顔を見合わせた。


「その、ホスロー、というのがユングヴィ将軍の御子だという証拠はあるのかね」


 ヴァンは心臓を握り締められたような緊張を覚えた。


「ホスローなんて名前のアルヤ人男性はいくらでもいるからなぁ」


 兵士の言うとおりだ。ホスローとはいにしえのアルヤ帝国の古い皇帝の名前で、今でも一般民衆に絶大な人気があり、息子にホスローと名付ける親は多い。大通りでホスローと叫べば三十人は振り返りそうなくらいありふれた名前である。


 ホスロー自身も自分が黒将軍サヴァシュと赤将軍ユングヴィの息子であるとは明言していない。おそらくホスロー自身は、その二人の息子だと思われたくないのだ。ヴァンがホスローとラームテインの言葉の節々から察してしまっただけで、これと言って特別に説明できることなど何もない。


「しかし、まあ、本当にラームテイン将軍かどうかは分からんが、人が一人拉致されたというのならば捜査はせねばならないね」


 年かさの白軍兵士が調書にまた何かを書き加える。


「その現場のことをもう少し詳しく説明してくれるかね。あと、ラームテイン将軍のお住まいの場所も」


 それについて説明するのに異論はない。ラームテインには悪いが、彼が渦中の人になった以上どうしようもない。

 ただ、それを説明し終わった途端ヴァンがお役御免になってしまうのがつらい。


 ヴァンは少しの間悩んだ。


 ここまでか。


 そう思って固く目を閉じた、その時だった。


「失礼。入室を許可願いたい」


 詰所の戸が叩かれ、若い男のそんな声が聞こえてきた。


 若い白軍兵士二人が戸の方を向き直り、体を硬直させた。年かさの兵士も立ち上がってかしこまり、少し上ずった声で「はい」と答えた。


「お開けしなさい」


 若い兵士の一人が戸を開ける。


 ヴァンは目を真ん丸に見開いた。


 入ってきたのは若いチュルカ人の男性であった。日に焼けた肌と鋭い目つきをしている。遊牧チュルカ人は大抵髪を長く伸ばして編み込むものだが、彼は短く清潔感のある形に切っているので定住チュルカ人だろう。


 白い外套をまとっている。

 その白い外套には、蒼い糸と金の糸を太陽の紋章が刺繍されていた。


 特別な外套だ。

 白将軍にしか許されない外套だ。


 白将軍とは、太陽のために生き、太陽のために戦い、太陽のために死ぬことを義務付けられた、この世でもっとも太陽に近い存在だ。太陽を愛し、太陽を守り、運命をともにする。そして太陽のために神剣を抜いた眷属たちを束ねる、十神剣の長だ。


 ヴァンは床に両手をつき、床に額をこすりつけた。


 人臣の身でもっとも高い身分をもつ、白将軍だ。


「顔を上げろ」


 しかしその声はどこか優しく、またほんの少しだけぶっきらぼうでもある。どこにでもいる若いチュルカ人男性のちょっと擦れた物言いだ。


 顔を上げた。


 目が合った。


 史上初めてチュルカ人の身で白将軍の座に就いた男、この世で唯一神剣を抜いていないのに将軍を名乗ることを許された男、イルバルスの息子オルティだ。


「俺は白将軍代理のオルティという者だ。お前は、ヴァフラム、と言ったな」


 ヴァンは硬直していて何も言えなかった。ただオルティの端正な顔立ちを見つめて唾を飲んでいた。

 自分は今、とんでもない大物と相対している。普通に生きていれば会話をすることもない相手に話し掛けられている。


「……大丈夫か? 返事をしろ」


 オルティが苦笑する。その表情には人間味がある。


「お前な、国王陛下に会おうとしていたくせに、俺にびびっているようじゃ先が思いやられるぞ」


 オルティに言われてはっとした。自分がどれだけ大それたことを言っているのか思い知らされて顔が真っ赤になってしまった。アルヤ王国第一位の神に等しい存在に会おうとしているのに、いざアルヤ王国第二位の武官に会ってみるとこんなに緊張してかしこまってしまうのだから、先が思いやられる。


「どうやら国王陛下に説教を垂れたいらしいと聞いたが」


 ヴァンはどもりながら答えた。


「そっ、そんなすごいことを言いたいわけじゃ、ないんです! ただ、こんなめちゃくちゃなことになったのは、陛下が赤軍のことを放置してたせいじゃないかな、と思って。いやっ、そんな、陛下の政治に文句があるってわけじゃないんです! むしろ陛下を信頼していて、陛下のお人柄ならなんとかしてくださるんじゃないかって思って。ほ、ほんとなんです! 俺、俺――」


 これでも真面目にせいいっぱい話したつもりだが、そこで言葉が詰まってしまった。これ以上何を言えばいいのか分からなくなってしまったのだ。自分が何をしたくてここにいるのかすら分からなくなってしまいそうだ。


「とっ、とにかく!」


 もう一度、床に額をこすりつける。


「ホスローを助けてください! お願いします!」


「――まあ、落ち着け。それでもって、顔を上げるように」


 頭を起こし、オルティの顔を見た。

 怒ってはいなかった。呆れている様子でもなかった。それに安堵した。


「実はだな」


 オルティもその場に片膝をつく。


「陛下がお会いになってもいいと仰せになっている」


 ヴァンの心臓が破裂しかけた。


「ただし」


 オルティが、人差し指を立てて、ヴァンの首の付け根、鎖骨と鎖骨の間辺りを叩いた。


「陛下は、お前の話を聞いてやるから、お前も陛下の話を聞くように、と仰せになっている。お前、いい子で陛下の命令を聞けるか?」


 ヴァンは何度も大きく頷いた。


「もちろんです!」

「よし。では、連れていってやろう」




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