第12話 少年たちは黙れない

「俺の、女……?」


 しばし無言で互いの顔を眺める。


「え。俺、生まれてこのかたカノジョいたことないけど」

「び、びびった! あるって言われたらどうしようかと思った!」


 両手をひらひらさせて何かを押さえつけるような仕草をしつつ、「待て、待てよ」と意味不明なことを言う。


「状況を整理しよう」

「おう」

「ここは師匠の家、師匠の寝室」

「そうだな」

「師匠はいない」

「そう」

「俺ご指名の置き手紙によると誰か存在しないはずの人を預かられたらしい」

「師匠かな」

「十中八九師匠だな」


 ヴァンは思わず自分の額を押さえてしまった。


 自分は最初から彼が紫将軍ラームテインであると知っていた。当初から彼が男性以外の何でもないことを認識した上で接していたのだ。しかし確かに第一印象は女性的だと感じた。

 声も仕草も男性のものなのである程度親しくなれば間違うことはないだろう。だが遠目に眺めている限りでは分からないかもしれない。それくらい彼の外見の性別は曖昧だ。


「ヴァンが学校に行ってる間、わりとちょくちょく二人で出掛けてるんだよなぁ……昼飯調達したりしにさ……俺は荷物持ち兼用心棒としてついてってるんだけどさ……」

「それが逢引きに見えたんだなぁ……」

「そうだとしか思えないんだなぁ……」


 短い赤毛を掻き毟る。


「どこかで見てやがったんだな。俺の後つけてたのかも。ぬかった」

「誰かこういうことやらかしそうな奴に心当たりあんの?」

「街中でひとの後つけたり他人の住居に侵入したり目的の人物を拉致したりする集団がこのクソ平和な王都にいくつもあってたまるか」


 その声には怒りが滲んでいる。


「赤軍の奴らだ」


 ヴァンは震え上がった。


「え、だってホスロー、赤軍ってさ――」

「いるんだわ、赤軍の若い連中、俺らとだいたいタメの新兵に。俺が将軍にひいきされてるって思い込んでいる連中が。将軍のこと自分の母親だと思い込んでて俺が将軍に話し掛けられることすら気に食わないって言ってる連中がよ」

「マジかぁ!」


 ホスローが苛立ち紛れに寝台の脚を蹴った。


「さんざん嫌がらせしてきやがったからちょっとやり返してやったんだよな。それを逆恨みされたっぽい。いったい何発ぶん殴れば懲りるんだ」


 どうやらすでに鉄拳制裁を加えた後だったらしい。

 ホスローの口ぶりからするに勝負はすでについている。ホスローの、それもおそらく圧倒的な勝利だ。

 彼の強さは異常だ。並大抵の人間では敵わないだろうとは思っていた。しかし訓練された兵士でも太刀打ちできないのか。彼の出自を考えるとさほど違和感はないが、親の七光りとしてやっかむ連中は絶対いる。

 相手は気に入らない相手に何発もぶん殴られ返り討ちにされて余計にこじらせた。そしてとうとう第三者を巻き込んだ。さすがに陰湿で根性が悪い。


「どれほど本気なのか知らねーが、こりゃもう誘拐事件だろ」


 次に出てきたホスローのその言葉に、ヴァンははっとした。

 もはや根性が悪いという次元の話ではないのだ。法律違反でしょっ引かれて然るべきだ。それも十神剣に手を出してしまったので不敬罪で処刑台送りになるだろう。


「取り返しがつかないぞ……」


 二人は真剣な表情で再度顔を見合わせた。


「どうする?」


 ヴァンは「白軍に通報しようぜ」と提案した。すでに事件だと言うのなら官憲の出番だ。

 ホスローはしばらく考えた様子だった。一人で腕組みをして無言で斜め下を見つめていた。


「いや、白軍には言うな」


 そして、力強い声で言う。


「俺をご指名なんだ。俺が一人で行くわ」


 ホスローの言葉に、ヴァンは震え上がった。


「よせよ。相手は何人でどんな状況なのか分からないだろ」

「でも白軍兵士に踏み込まれたらあいつらが――」


 彼は右手を首の下で振った。首を刎ねる、の意だ。


 ヴァンは一回唇を引き結んだ。次に口を開いた時には静かな抑えた声を出した。


「なんでこんなことする連中に情けをかけるんだよ。今までさんざん嫌がらせされてきたんだろ? 殴り合いの喧嘩もしてきたんだろ?」


 ホスローが顔をくちゃくちゃにした。どこかに痛みを感じている顔だ。


「お前さ、考えたことある?」

「何を?」

「ずっと、軍人になるとか、王のために戦うとか、言ってるけど。実際剣なり銃なりを持って敵と向かい合ったことある?」


 問われて沈黙した。


「あいつらはさぁ」


 ホスローは、知っているのだ。赤軍の中で育った彼には、相手の事情が見えてしまうのだ。


「今の俺らより小さい頃から将軍に銃を持たされて人殺しの練習してきたんだ」


 人殺し――その言葉が重くのしかかる。


「ろくな生まれじゃない、実の親には捨てられたも同然で、軍隊に身売りするしか食っていく道のない連中で。生きていくために人を殺して。そんな人生の中で唯一縋れるものが赤将軍ユングヴィだけなんだとしたら、俺――」


 そこで彼は一度首を横に振った。


「考え直すように話をする。師匠が無事ならもうそれでいい」


 ヴァンの胸も痛んだ。


「俺が赤軍に入るのも諦めてもいいわ」


 ホスローが歩き出した。部屋を出ようとした。


「第二十三街区の隊商宿キャラバンサライの地下も赤軍兵士の潜伏場所のひとつだ。俺もよく知ってる。俺一人で行く」


 戸を開けつつ、一瞬振り向く。

 目が合う。


「お前、絶対ひとに言うなよ」


 ヴァンは答えなかった。代わりに言った。


「ホスローこそ、怪我すんなよ」


 ホスローはふたたび戸の方を向いて、ヴァンに背中を向けながら手を振った。


 寝室の戸が閉まった。

 さらにしばらくして、玄関の戸が開閉される音も聞こえてきた。


 ホスローが出ていった。


 ヴァンはしばらくその場で一人突っ立って考えた。


「……いや、ホスロー」


 自分の頭を掻く。


「お前のその心意気はかっこいいけど、やっぱ第三者の師匠に迷惑かけたらだめだろ」


 ヴァンも動き出した。


 ホスローも赤軍兵士もラームテインも救う道、というのはヴァンには思いつかなかった。


 だが黙っているのも嫌だった。


 他人に手を出した時点でだめなものはだめだ。どんな事情があろうとも犯人たちは裁かれないといけない。ラームテインに危害を加えているかもしれないのである。

 ホスローと赤軍兵士の間だけの問題ではなくなった。ホスローと犯人たちが話し合って和解しただけで終わりではないのだ。


 それでもただ白軍兵士に密告して済ませることもできない。ホスローの認識も改めさせなければならないからだ。ただ通報して終わらせたら自分とホスローの関係も破綻するだろう。もっとホスローに強い影響力を持つ人間にホスローを叱ってもらわなければならない。


 ついでに言えば、そういう人物に赤軍の構造も何とかしてほしい。

 赤将軍ユングヴィが動けなかったら行き詰まる組織がおかしい。

 これ以上不幸な赤軍兵士を出さないためにも、強い権力を持った人間に改革してもらった方がいい。


 そのすべてを解決できる人間はそうそういない。

 赤将軍ユングヴィや紫将軍ラームテインより強い立場の人間がいい。赤軍兵士や白軍兵士だけではない、もはや法律をも超越する存在でなければならない。

 それはもう人間と言ってもいいのかどうか分からないが――


「……行くか」


 この王国で唯一にして至上の存在に一声で状況を解決してもらうのだ。


「蒼宮殿」


 ホスローの兄に――アルヤ王ソウェイルに会いたい。


 ヴァンも駆け出した。



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