第11話 ババアって言うな
ホスローとヴァンはラームテインの寝室に本棚を作ってやることに決めた。
寝室では、本が一部窓を隠すほど積み上げられている。
埃が溜まって不衛生だし、日光に当たったら紙が焼けてしまうだろう。何より地震で寝ているところに崩れてきたら怪我をする。早急に何とかせねばならない。
「あれ、本を買わなきゃ死ぬ病気なの?」
「いやー、ちゃんと読んでるんだわ。どちらかというと捨てられない病気なんだわ、本以外のものはぽいぽい捨てるくせに本だけは捨てないんだわ」
ちょっとした棚をひとつふたつ据え付ける程度では片づくまい。思い切って部屋を改造した方が収納空間を作れそうだ。つまり職人を家に入れて大掛かりな工事をしてもらうべきである。
そんなホスローの提案をラームテインはしぶしぶながら呑んだ。実際に生活に支障が出ていることは自覚していたらしい。ひとを家に入れたくないという気持ちと寝室を片づけたいという気持ちを天秤にかけた結果だ。
出不精のラームテインに代わり、ヴァンとホスローが部屋の寸法を測って、数字を書き留めた紙を持ってヴァンの家の近所にある木工市場の職人を当たった。
その際二人はラームテインの名前を出すことを許可された。
市場の休憩処で、二人並んで椅子に座り、薄焼きパンで羊肉の挽き肉のかたまりを巻いた
「ありゃもう隠れる気がないな。隠者生活も終了だ。ただ将軍として働いてないだけじゃん」
「ここまで来ちゃったらな。というか本人もともとあんまり隠れる気じゃなかったのかもな、宮殿から離れたかっただけ、将軍として働きたくなかっただけで」
「師匠、ふつーに中央市場の銀行から金をおろしてる。そんなのすぐ足がつくに決まってる」
「道理で家に金庫とかないなと思ったら、金、業者に預けてるんだ」
「というか国が銀行の口座に振り込んでるんだな。十神剣って生きている限り年に一回ちょーすごい大金が出るんだ。現金支給だけど、そんな大金全部金貨で貰うわけにいかないじゃん?」
「なるほどな。で、生活費と書籍代をそこから出してる、と」
「今回の棚の材料費と職人の工賃も」
ヴァンもかじっていた
「ホスローの兄ちゃんが師匠の居場所を突き止めたのもその絡み?」
「それは別。兄貴ならではの特殊事情。兄貴としては、公的には、師匠を捜さないでやっていることにしてるみたいだ。好き勝手暮らせるようにな。正式に住所が割れたら連れ戻さなきゃいけなくなるんだと」
「まあ、そりゃそうだ、十神剣だもんな。
「そこのところも国の偉い人たちは分かってると思う。でもそれ以上に兄貴が個人的に複雑なところがあるっぽい、フェイフュー王子と一番仲が良かったのが師匠なんだもん。そんでもって兄貴がやらないって言ってることをやるアルヤ人はなかなかおりません」
ホスローは
「……フェイフュー王子かあ」
蒼将軍ナーヒドは死に、紫将軍ラームテインは宮殿から消え、
「なあホスロー、訊いてもいい?」
ホスローが「なに?」と言いながら顔を上げた。
「ホスローはさ、ガチで蒼軍の入隊試験受ける?」
そこは、蒼将軍ナーヒドの部隊だ。今だからもうフェイフュー王子を支持する人間はいないだろうが、大昔は彼らがフェイフュー王子を育てていたのだ。
それを、ホスローの両親が知らないとは思えなかった。
ホスローは目を逸らした。
「マジで俺が好き勝手選んでいいなら、俺、ほんとは赤軍兵士になりたいんだわ」
ヴァンからしたら、案の定であった。
「俺、混血だって話したっけ?」
「ああ、親父さんが黒軍の幹部でチュルカ人なんだろ?」
「でもさ、俺、正直、自分がチュルカ人だと思えないんだ。親父には悪いけど、馬は人並み、弓もそこそこ、チュルカ語も忘れちまった。そんなのチュルカの戦士とは言えないじゃん。俺はもうアルヤ人でありアルヤ人でしかない。黒軍の人間にはなれない」
ヴァンは黙って頷いた。
「小さい頃は黒軍にも出入りしてたけど、学校に上がってアルヤ語の読み書きを習い始めてから何となく距離感があってさ。で、やっぱり小さい頃から赤軍にも出入りしてて、赤軍の方が馴染みができちゃったというか。赤軍の幹部の人たちは俺が生まれた時から知ってて、めっちゃ可愛がってくれてるし。それに――」
いつかのラームテインの言葉を思い出す。
「やっぱり、火薬を扱うなら、赤軍だ。俺は、砲術がやりたい」
ヴァンも食べ終わって手を拭いたのに気づいたのだろう、ホスローが立ち上がって「そろそろ帰るか」と言い出した。ヴァンは「おう」と頷いて一緒に立ち上がった。
「ただ、俺が赤軍と関わること、母ちゃんがめちゃめちゃ反対してて」
「へえ、なんでまた? 母ちゃんが赤軍関係者なんじゃないの?」
「そうなんだけど、だからこそなんだと思うわ。危ないことばっかりだから、やめなさい、って」
そこでホスローが口を尖らせる。
「あのクソババア、自分のこと棚に上げて、俺がやることなすこと危ないからやめなさいとかちゃんと勉強しなさいとかじっとしてなさい余計なことするんじゃないってうるさくて」
意外と過保護だったらしい。もっと放任で育てられたのかと思ったら、ヴァンの方がよっぽど適当な育てられ方をしている。
「ババアとか言うなよ、お前の母ちゃん何歳だよ」
「三十四」
「俺の母ちゃん四十五だぜ」
「でも七人も子供産んですっかりケツのでかいデブ。あと年頃の息子がいるのにせっせとガキをこさえる精神が分からん、何人作りゃあ満足するんだ」
「あー、それは嫌かもなぁ。両親の性生活とか考えたくないよなぁ……」
二人でラームテインの家を目指して歩き出す。適当な愚痴のこぼし合いは等身大の自分たちで、血筋がどうとか身分がどうとかは忘れることができた。
「ホスローは七人兄弟なんだ? 例の兄ちゃん抜きで?」
「そう、例の兄ちゃんを抜きにすると俺長男。六人の弟妹がいるわけよ、もうてんやわんやよ。そんな家の中で勉強しろとかよく言えるわ」
「そりゃ親は師匠の家に行けって言うわな」
「よその家に行け、で思い出した。ついでに愚痴らせてくれ。チュルカ人は末っ子が家督を継ぐんだって。でもアルヤ人的には長男が土地を相続するじゃん。だからそこで親父とお袋の意見が割れてさ、お袋は成人しても家にいろって言うし親父は成人したら出てけって言うし、あんたらは俺にどうなってほしいんだってめちゃ思う。で、俺としては出ていきたいので、またあのババアが俺の眼前に立ちはだかるわけよ」
ホスローがわざと上ずった声で言った。
「ホスロー、あんたお兄ちゃんでしょ! ホスロー、あんたしっかりして! ホスロー、チビたちの面倒見て!」
おそらく彼の母親の声真似なのだろう。荒れ放題の家の中で暴れ回る幼児たち、それを追い掛ける経産婦特有の体型をした女性、ぶすっとした顔のホスロー――目に浮かぶようだ。
「混血は混血で大変なんだな、なんか二つの異文化が混ざり合うーみたいなかっこよさがあったけど。あとうち俺が末っ子長男だからそういう問題はないな」
「逆にヴァンこそ大丈夫なの? 家に息子一人しかいないのに軍隊にやるか普通」
「うーん、まあ、見てのとおり。いいんじゃん、いざとなったら娘である姉ちゃんたちの子供から誰かを養子に貰うんだろ」
通い慣れた
「ただいまー!」
玄関の扉を開けた。
返事がない。
いつものことだ。ラームテインは一回寝室にこもって本を読み出すとヴァンやホスローが何を言っても聞こえないのだ。
「前金払ったから領収書貰ってきた。さすがに金のことは確認して」
言いながらホスローが寝室の戸を叩いた。
やはり、返事がない。
「……さすがに静かすぎるな」
ホスローが呟く。
「中で倒れてたりしないよな」
「不安になってきた。基本的に不健康だからな……」
二人顔を見合わせる。
「申し訳ないけど、開けるか」
取っ手を握り、押した。
中には寝台と文机、そして寝台の周りと文机の上を埋め尽くす本の山があったが、ラームテインの姿はなかった。
「あれ? 出掛けたのか?」
文机の上に一枚の紙片が置かれていた。わざわざ文鎮を載せられている。
「師匠が書き残していったのかな」
ヴァンはその紙を手に取った。
文面を読んで、眉間にしわを寄せた。
「ホスローへ。お前の女は預かった。返してほしくば第二十三街区の
ホスローが目を真ん丸にした。
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