第5話 野菜を積み上げてのお願い 2

「確かに軍部に身を置いていましたが、僕がやったことと言ったら作戦立案だけで、実際に剣を握って戦場に立ったことはありません。神剣も持っているだけで実戦の場で抜いたことはありません。剣術は将軍になりたての十数年前にほんの少し習いましたが上達しなかったので諦めました」


 とげとげしい声で「ご希望に添えなくてすみませんね」と付け足す。


「武芸を見てほしいならそれこそ黒将軍サヴァシュを紹介しますので、そちらにどうぞ」


 父親が再度両手をつき床に額をこすりつけた。

 ヴァンも、だ。その場に崩れ落ち、地面に両手を置いて謝った。


「すみませんでした」


 道理で華奢で頼りなさそうな外見をしているわけだ、彼は最初から鍛えてなどいないのである。彼の言ったことがすべてなら、自分は本当に彼を暗殺していたかもしれない。とんでもないことだった。


「え、じゃあ、ホスローってラームテイン将軍の何の弟子なの?」


 ホスローが気まずそうに言った。


「兵法の……」


 思わずうずくまってしまった。

 学問の師だったのである。


「なんかごめん。俺の武術は親と親の部下に教わったもんだからたぶん一般人のあれじゃなくてガチな草原出のチュルカの戦士の、何て言うか、そんな感じだから普通のアルヤ人相手じゃ――あ、いや、それもちょっと失礼か……ごめん……」

「それをもっと早く言ってくれよ」

「お前が無言で襲い掛かってきたんだろうが」


 ホスローの言うとおりだ。あまりにも彼の言うとおりだったので打ちのめされてしまった。


「実質、俺、ラームテイン将軍の護衛なんで。いや、家事とか小間使いもしてますけど、一番は、将軍を刺客とか変質者とかから守るのが仕事かな、と思って一緒にいるんで」


 今度こそ、ラームテインは否定しなかった。


「まあ、そういうことです。ホスローが十四歳とは思えないほど強いので、僕は何度か救われています。だから頭ごなしに追い返せず、仕方なく受け入れています」


 守られている自覚はあるらしい。確かにホスローはヴァンからラームテインを守ったことになる。彼ら二人はいつもああやってきたのだろう。そういえばラームテイン自身命を狙われるようなことは過去に何度もやってきたと言っていた。実際に命を狙われてホスローに守られ続けているのだ。


「ホスローと剣術でやり取りしたいのなら僕は止めませんけどね。あとはホスローとヴァンの二人だけでやってもらって僕は一切関与しません。勝手にやってください」


 ラームテインが言う。


「とにかく、今後一切僕に関わらないでいただけませんか? 僕は一人で静かに生活したいので。ここで将軍だからどうこうと言われたら何のために宮殿から距離を置いたのか分からない。ただでさえホスローに居場所を嗅ぎつけられて困っていたところなんです、頼むから放っておいてくださいませんか」


 場が静まり返った。


 ヴァンは何も言えなかった。実情を知らずにとんでもないことをしでかして自分に呆れてしまったのだ。こうなっては白軍に突き出されても文句は言えない気がしてきた。


「では、これにて失礼しますね」


 ラームテインが踵を返した。

 何も言えない。


 そこで行動に出たのはヴァンの母親だった。


「お待ちください!」


 ラームテインの細い腕に縋りつく。ラームテインが立ち止まる。


「お待ちください、後生ですから、まだお帰りにならないでください」


 引き留められて振り返ったラームテインの腕に、母親が売り物の胡瓜きゅうり蕃茄トマト茄子なすを積み上げた。


「どうか、どうかお願い致します」


 ヴァンは両目を見開いた。


「うちの子の勉強も見てやってくださいませんか」


 母の目にはうっすら涙まで滲んでいた。


「図々しいことを言ってるのは百も承知です。たくさんご迷惑をおかけしてこれ以上なんて厚かましいこと、本当に申し訳ないです」


 熱に浮かされたように「でも、でもね」と懇願する。


「うちの子、やればできる子なんですよ。なんとかして軍学校に入れてやりたいんですよ。だからお願いです、助けてください。うちじゃあたしも旦那も学がなくて、これ以上勉学させてやる方法すら思いつかないので……!」


 野菜を抱えたまま、ラームテインが驚いた声を出す。


「ちょっと待ってくださいよ、僕は別にホスローにも本気で兵法を教えているわけでは――」

「お願いします! どうかこのとおり。うちにあるもの全部持っていってくださって構いませんから」

「ですが――」

「武芸は町で一番できるんです。足りないのは頭だけなんです。お行儀は近所にお作法の先生がいるんでそこでつけてもらうことはできます。でも勉学だけは今の学校を出たら何にもできないんです……!」


 ラームテインの腕いっぱいに野菜を積み上げたので、これ以上のらないと判断したのだろう。途中で母親は泣き崩れ、その場に膝をついてラームテインの足にしがみついた。


「何でもします。お願いです。この子を上の学校にあげてやりたいんです……!」


 必死の懇願の熱意が伝わったのだろうか。ラームテインが幾分か表情を寛げる。


「そうはおっしゃいましても……、真面目な話、ヴァフラム君は、軍学校は向いていないのではないでしょうか」


 何度も同じ言葉を繰り返しているので、なぜ今になって真面目な話と前置きしたのか、と思っていたところ、彼はこんなふうに続けた。


「軍学校は基本的には白軍兵士を養成するところですので、武芸より学問より一番は王家への忠誠心なんですよ。しろ将軍テイムルのように、戦場に立つのではなく、『蒼き太陽』を守るために死ぬのが一番の務めなんです。勉学が足りないという意味ではなく……、想像している将来と違うのではありませんか」


 言われてから気がついた。

 軍学校を卒業したら各部隊の幹部への昇進の道が開かれる、とは言うが、そちらの道の方は例外的な狭き門である。彼の言うとおり、軍学校の卒業生のほとんどは白軍に就職する。ヴァンの希望どおり戦場に立てるとは限らない。


「大抵は宮殿の護衛か王都の官憲です。国境も戦場も行きません、この王都エスファーナが戦場になれば話は別ですが」

「それは……確かに……」

「ですから、ご希望の進路に進むなら、蒼軍に入って一兵卒からたたき上げで昇格を目指すのがよろしいかと思いますよ。入隊試験は身体検査と読み書きそろばんくらいで、剣術道場と寺子屋に通っていればさほど難しいことだとは思いません」


 ヴァンも、ヴァンの両親も、黙ってラームテインを見上げていた。


「蒼軍なら戦線の移動に伴って進軍します。実際ナーヒドはそうしていました。僕でもテイムルでもなくナーヒドこそ、ヴァフラム君の想像する軍人なのではありませんか?」


 ラームテインは穏やかだが少し困った表情で苦笑していた。


「一般的な形で入隊してどこまでやれるかは存じ上げませんが、それなら、簡単な推薦状を書くことはできますよ。蒼軍の仕組みも結構厳格なので僕の口利きだけで昇進できるとは思いませんけどね。それでも、上官に顔と名前を覚えてもらえれば、多少はいいことがあるかもしれません」

「将軍……」


 父親に「どうだ、ヴァン」と問い掛けられた。


 ヴァンは複雑な心境だった。

 今まで熱狂的かつ盲目的に軍学校を目標としてきたので、目標を奪われた気がして虚脱感があった。

 しかしラームテインの言うことはもっともで、ヴァンの憧れのナーヒド将軍は蒼軍の長であり白軍の長ではない。入隊試験もその程度なら現実的と言えた。


「そうですね……。俺、軍学校の受験はよして、蒼軍の入隊試験を受けようと思います……」


 気持ちは少し折れた気はするが、仕方がない。

 そう思って呑み込もうとした、次の時だ。


「いんや、勉強を教わんなさい」


 母は譲らなかった。


「あんた、入隊試験も何も、学校が卒業できるかどうかの瀬戸際でしょ」


 実際に殴られたわけではなかったが、殴られたのと同じ衝撃を受けた。


「ラームテイン将軍はアルヤ王国でいちっばん頭のいいお方なんだから、勉強、見てもらいなさい」


 ラームテインの表情がふたたび凍りついた。


「どうかお願いします! この子特に歴史ができないんです、どうか、どうかよろしくお願いします!」

「いや……だから僕は嫌だって……」

「この野菜全部持ってってくださって構わないんで! お月謝もちゃんと払いますんで!」

「いりませんよ、自炊しませんし、お金には困っていませんし……」

「どっちにしろ幹部を目指すんなら兵法もできなきゃだめですよね!? 兵法なら教えてくださるんですよね!?」


 ホスローが忍び笑いをした。


「お願いします! うちの子をどうか、どうかお願いします!」


 とうとう根負けしたようだ。ラームテインがくたびれた声で呟くように言った。


「もう知りません……勝手に僕の家の本を漁ってホスローと自習してください……」





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