第3話 君の受験は僕には何にも関係ないよね

 ラームテイン将軍の家はおそらく三つの部屋と台所で構成されているものと見える。玄関を入ってすぐ正面に見える部屋が居間で、向かって左側に台所の土間がある。そして居間に、奥にひとつ、向かって左側の壁にひとつ戸が見える。たぶん、奥に一部屋、左側に台所と平行になるようにもう一部屋あるのだ。


 ヴァンは顔をしかめた。


 居間には家具はない。安そうな薄い絨毯が敷かれ、いくつかの座布団が放り出されている。

 そして、向かって右側の壁際にびっちりと本が積み上げられている。

 厚さも大きさも様々だが、ヴァンの膝くらいまでの高さに統一された本の壁がそこにあった。

 おそらくヴァンには一生かかっても読み切れない数の本だ。ラームテインは本の蒐集家なのだろうか。


 ホスローが土間で沸かした湯を使って茶を淹れてきた。ただし湯飲みは二つだけだ。ホスロー自身とラームテインの二人分らしい。


「俺の分は?」

「なんで不審者のために茶を淹れてやらなきゃならねぇんだよ」


 ラームテインはホスローが淹れた茶を当たり前のような顔をして飲み始めた。


 ヴァンはラームテインとホスローに見つめられながらここに至るまでの経緯を説明した。こわごわと、しどろもどろとではあったが、ようは親に行けと言われて来たということは伝わったものと思う。


 ある程度のところまで話し終えた時のことだ。


 ラームテインが、湯飲みに残っていた茶を一気飲みしたあと、その美しい顔を極限までしかめて不愉快を表現して、こう言い放った。


「君の受験は僕には何にも関係ないよね? どうして僕を巻き込んだの?」


 言われてから気がついた。どうして見ず知らずの少年の相手をしてくれるものと思っていたのだろう。もしかしたらヴァンには――ひょっとしたら両親にも――十神剣とは公的な存在で一般民衆に構うのは当たり前だという思い込みがあったのかもしれない。


 強いてラームテインを選んだ理由と言えば、近所に住んでいたからでは、と言おうとして呑み込んだ。それこそ他人の住まいを勝手に覗いているようで失礼な気がした。先ほど引っ越しも検討していると言っていたのも思い出した。ヴァンたち八百屋一家のせいでラームテインが住まいを追われるというのは互いに気分が良くなかろう。


 ヴァンが次の言葉に悩んで視線を下に落とすと、ラームテインはヴァンにはろくな理由がないことを察したようだ。


「迷惑なんだけど。金輪際僕には関わらないという証書を書いてもらって何かあったら白軍に通報してその証書を法官に提出するようにしたい」


 想像以上に冷たい言葉であった。季節は春であったが、真冬の寒空の下に放り出された気分だ。


「まあいいじゃん」


 言ったのはホスローだ。

 ホスローの顔を見ると、彼はへらへらと能天気に笑っていた。


「師匠、ヴァンの親に会ってやったら? 減るもんじゃないだろ」


 ラームテインがホスローを睨む。


「減るんだよ、僕の時間が。僕の本を読むための貴重な時間が減るの」

「この先死ぬまで何十年とあるだろうが、働く気がこれっぽちもないんだからよ。年に一日くらいは社会に関われよな」

「僕は一介の隠者としてここで本を読んで生涯を閉じたい。年を取って醜くなる前にぱっと消えたい」


 どうやら自分が美しいことの自覚はあるらしい。


「そう言ってる奴に限って長生きするんだぜ」


 ホスローがせせら笑う。


「社会には関わっているよ。君を預かっているじゃないか」

「おっ、とうとう俺の弟子入りを認めたか!?」


 ホスローのそんな冗談めいた陽気な台詞を聞き、思わずヴァンは「えっ」と言ってしまった。


「ホスローって押し掛け女房ならぬ押し掛け弟子なのか。将軍が将軍だから民間人から弟子を取って武術とか教えてるのかと思った」


 ラームテインが「武術?」と呟いたが、ホスローがそれを掻き消すように遮った。


「そうそう、俺が勝手に師匠って呼んでるだけ。ぶっちゃけほとんど家事させられてばっかりで大したことは教わってない。教えてくれってせがんでるんだけどさ、師匠がめちゃくちゃ頑固でさ、お前には関わりたくないって言い張るんだ。俺、こんなに尽くしてるのに? 師匠俺がいなかったら地震で本に埋まって死ぬところだったんだぜ」

「ひょっとして本まだあるの?」


 ふたつの扉を順番に指差しつつ、「寝室と書斎がヤバい」と言う。居間であるここだけでも相当まずい量の本があるように見受けられるが、序の口だったらしい。


「いやあ、話聞いてて、俺、ヴァンに親近感湧いてきちゃったんだよなぁ」


 はあ、と大きな溜息をつく。


「実は俺去年軍学校の受験に落ちてさ」


 予想外の言葉に、ヴァンは目を真ん丸にした。


「もう一回受験したくて勉強し――ようとして家事ばっかりしてるわけだけど……」

「えっ、今年また受けるの? 合格したら俺ら同期じゃん!」

「合格したらな。だんだん永遠に受からない気がしてきたしヴァンだって一発合格キメられるとは限らないだろ」


 ずいぶんと弱気な発言だ。しかもヴァンも微妙に巻き込まれている。顔をしかめ、「ホスローはまた落ちるかもしれないけど俺は受かるかもしれないじゃん」と言ってしまった。


「じゃあホスロー今職業としては何してんの? ラームテイン将軍の小間使いは将軍が認めてないんだろ?」

「そうだな」

「学校は?」

「去年卒業した」

「実質無職なんじゃ?」


 ホスローも顔をしかめた。


「ヴァンは何歳?」

「今年十四」

「俺とタメじゃねぇか。学校は?」

「行ってる」

「何年制のに?」


 一瞬言葉に詰まったが、正直に「六年」と答える。


「八歳から行ってるのか?」

「いや……七歳から……」

「留年してるじゃん!」


 ホスローが「やーいやーい落第生!」と囃し立てるので、ヴァンも「うるせーこの無職!」と返した。


「うるさい!」


 とうとうラームテインに怒鳴られた。


「僕本当に、本当の本当に、心底頭の悪い子供が嫌いっ!」


 衝撃的な一言であった。ホスローとひとまとめにされた上に子供で頭が悪いという認定を受けてしまったようだ。


「二人とも家に帰れ! 僕の平穏な生活を掻き乱すな!」


 ラームテインが立ち上がり、その秀麗な顔に似合わぬ語調と態度でヴァンの服の袖をつかむ。ホスローも立ち上がって「まあまあまあ! まあまあまあ!」と言いながらラームテインを後ろから羽交い締めにした。


「もう、何なの!? みんな何の権利があって僕の邪魔をするの!? 僕は誰ともかかわらず静かに生きていたいだけなんだ! 人間と関わるとろくなことがない!」


 あまりにも寂しい物言いに、ヴァンは「ええ」と眉尻を垂れた。この世の中に誰ともかかわらずに生きていける人間などいるだろうか。ヴァンには両親がおり、姉たちもその夫たちもおり、学校の友達もいる。それが当たり前の人生であって、この小さな家に引きこもって本を読んで暮らすラームテインは不健康だ。


 ホスローもヴァンに同感らしい。ラームテインを離しながら言った。


「完全に社会から距離置いて生きるとか無理でしょ。なんだかんだ言って俺が持ってくるうちの母ちゃんの作った飯食ってるし」


 どうやらラームテインとしては痛い指摘だったようだ。彼は急に静まった顔に小さな声で「それは、そう」と頷いた。


「食べられるものなら何でも食べるよ。料理をするのが面倒なので……」

「母ちゃんめっちゃ喜んでるぜ!」

「もう嫌だ……どうして僕の人生はこんなことになってしまったんだ……」

「諦めろよな。神剣を抜いちゃった以上はやっぱりある程度一般人を守る務めってやつもあるんだろ? 一般人の俺たちに優しくてしてくれよ」

「君のどこが一般人だと?」


 話が戻ってきたように思われた。ヴァンも十神剣には一般人の相手をする務めがあってほしいと思っていたのだ。ホスローのおかげで話がすんなり進みそうな気がした。内心でホスローに感謝する。


 床に両手をついた。そして深く頭を下げた。


「お願いします! 俺の親に会ってください! 俺、本当に何もしてないけど! ホスローにやられて将軍に勝てたとはぜんぜん言えない感じだけど! でも、マジなんで! どうしてもどうしても軍学校を受験したいんで、お願いします!」


 ラームテインが溜息をつく。


「だから、それは僕には関係のないことだと――」

「この一回だけですから! 一瞬両親に会ってくれればそれだけでいいんで! そしたらもう二度とここには来ないし今後の将軍の生活にはまったく関わらないから、頼みます!」


 そこで一度言葉を切った。ヴァンは頭を下げたまま次の反応を待った。


 しばらく沈黙が続いた。


「――一回だけだからね」


 弾かれたように顔を上げた。

 相変わらず眉間にしわを寄せて不機嫌そうな顔だったが、ラームテインはそれ以上声を荒げなかった。


「君の親御さんに、二度とこういうことはしないでください、と言いに行くよ。君の受験はどうでもいいけど、僕の引っ越しがかかっているので」


 ホスローが拳を握って「やったな!」と言ってくれた。ヴァンは喜びのあまりホスローに抱きつきそうになったが堪えた。ラームテインの目が限りなく冷たかったからだ。




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