第四部:遥かなる願いの中で

第16章:黄金の虎と紅蓮の若獅子

第1話 ヴァフラム少年の壮大で遠大な夢

 いつの時代でもどこの地域でもそうだが、世の男児の多くは強いものに憧れる傾向がある。


 アルヤ王国の首都エスファーナに住む十四歳のヴァフラム少年、通称ヴァンもそういう男児の一人だ。


 ヴァンの生まれ育ったアルヤ王国には、十神剣じゅっしんけんという軍神の集団がいる。


 まず、初代国王が女神に授けられたという聖なる十本の剣がある。

 その神剣は選ばれた人間だけが鞘から抜くことができる。選ぶのは神剣自身であり、意思をもった剣はこの国の守護神としてふさわしい者を見つけ出して自ら声を掛けるという。

 そうして神剣の主となった十人を束ねてひとは十神剣と呼ぶ。

 十神剣は王国の軍隊の長に就任して将軍と呼ばれるようになる。そして太陽神と同一視されるアルヤ王の眷属となる。


 その十神剣が、ヴァンはかっこいいと思うのだ。


 伝説の剣に選ばれた十人、神官でもあり武官でもある、運命に導かれて軍隊の長となった者たち――アルヤ王国に生まれたことを感謝するぐらい、とてつもなくかっこいい。


 ヴァンが生まれる少し前のことだが、アルヤ王国は西隣のサータム帝国と戦争をして勝利を収めた。いわゆるタウリス戦役のことである。

 いにしえの古都タウリスを守るために戦った十神剣たちの英雄譚は血沸き肉躍るもので、ヴァンは特にアルヤ王国一の忠義の騎士そう将軍ナーヒドの話を聞くのが好きだった。


 今から数えて九年前、ヴァンが五歳の時にその蒼将軍ナーヒドは死んだ。時の第二王子――今の王から見て弟に当たる――フェイフューへの忠義を示すために大陸最強の戦士くろ将軍サヴァシュと決闘して負けたのである。

 しかしこの決闘で負けて死んだというのもヴァン少年の心をたいへんくすぐる話で、何とはなしにかっこいい。第二王子の行動の是非はともかく、アルヤ王国の少年たちはこの悲劇の将軍を愛している。


 ヴァンは少しでも十神剣に近づきたかった。できることならともに戦う軍人として一緒に戦場へ行きたかった。

 もっと言うなら、自分も将軍になって十神剣の一人に数えられたかった。


 神剣は主が死んだら次の主を選ばなければならない。

 次の主になる者には神剣の呼び声が聞こえるという。


 運が良ければ蒼の剣に選ばれて次の蒼将軍になれるかもしれない。


 幼い頃のヴァンのそんな話を、両親は小さな子供特有の微笑ましい夢として受け入れてくれた。小さな男の子は英雄に憧れるものだと、笑って取り合ってくれたのだ。


 主のない神剣は蒼宮殿そうきゅうでんのどこかに納められていると聞く。

 蒼宮殿はアルヤ王の住まいにしてアルヤ王国の政治の中心であり、普段は建物の中に入ることはできない。だが近年開かれた王室を目指す今の王の采配で正月ノウルーズにだけは一部を公開する行事が開かれていた。

 ヴァンの両親はその正月ノウルーズの一般公開の時に毎年ヴァンを蒼宮殿へ連れていってくれた。


 残念ながら、ヴァンには神剣の声は聞こえない。どうやら神剣にとってヴァンは興味を引かれる人間ではないらしい。

 毎年突きつけられるその事実にヴァンは何度も打ちのめされてきた。


 さすがに今年で十四歳、来年の成人を控えて、ヴァンもそろそろ現実を見なければならない。寺子屋学校もいい加減卒業しなければならないし、同い年でも早い者だと結婚の話題が出る者もある。何より姉たちがみんな結婚してヴァンはとうとう我が家で最後の子供になってしまった、両親の経営する店の今後も考えなければならない。

 もう十神剣になりたいなどとは言っていられない。


 ヴァンは両膝と両手をつき、四つん這いの体勢のまま額に床をつけた。土下座だ。


「父ちゃん、母ちゃん」


 夕飯後の、一家三人親子水入らずでの団欒の時間である。晩酌をしていた父も、父と一緒につまみを食べていた母も、突然のヴァンの行動に驚いた様子でヴァンの方を見た。


「お願いがあります」

「何だ、急に、改まって」


 十神剣になれないなら、十神剣に限りなく近づくしかない。


「俺を軍学校に入れてください」


 十神剣はあくまで神剣を抜いた選ばれし神秘の存在だ。彼らも神剣に選ばれるくらいだからきっと強いのだろうが、正規の手続きを踏んで上り詰めたわけではない。

 正規の手続きを踏んで就任する軍の最高位とは、将軍の次席、副長であろう。


 副長は実力を認められればなることができる。かつては家柄も重視されていたが、今の王が実力重視での選抜を行なう方針にしたことで公的には平民出や異民族出の副長も認められることになった。


 具体的に近道を挙げると、軍学校である。

 軍学校を卒業することができれば、幹部候補生として、次の副長を目指すことを許された者として扱われる。

 この場合の軍学校とは、本来は近衛隊、通称しろ軍の兵士の養成所だ。しかしこの白軍の軍学校を卒業した者には地方五部隊の幹部への道も開かれる。

 軍学校の受験資格は特にない。剣術と座学と礼法の試験があり、この三部門に合格できるなら誰でも受け入れてくれる。平民で、エスファーナの郊外の小さな八百屋の息子であるヴァンでも、試験に通れば入学することができる――はずだ。


「軍学校の試験を受けさせてください」


 しばらく、両親は沈黙していた。


「はあ?」


 父の素っ頓狂な声が聞こえてくる。


 ヴァンは顔を上げた。

 案の定、父は太い眉の日に焼けた顔をくしゃくしゃにした険しい表情を作ってヴァンを見つめていた。


「何言ってんだ、お前はうちの子だぞ。軍学校ってのは白軍兵士を育てる場所で、貴族のお坊ちゃんが通うところだ」

「そんなことはないって国王陛下がおっしゃってる! ……たぶん。新聞にはそう書いてあった」

「お前新聞なんか読めるのか」

「馬鹿にすんなよ、学校で何勉強してると思ってんだよ! それにやっぱり軍学校に合格するんなら文章の読み書きだってできなきゃいけないだろ? 学校で毎日新聞を読んで勉強してんだよ俺はよ」

「それで落第したのか」


 ヴァンは言葉に詰まった。ヴァンの通っている寺子屋学校は、本来は十三歳で卒業である。


 父が手酌で麦酒を注ぐ。


「馬鹿言ってんじゃねぇ。お前はうちを継ぐんだよ。お前がやらなきゃならねぇのは剣より行儀作法より簿記だ」

「父ちゃんだってできなくて母ちゃんにやってもらってるくせに」

「このクソガキが」


 それまで黙って見ていた母が膝立ちでヴァンに近づいてくる。


「あのねヴァン、軍学校に入るってことはどういうことか分かってる?」


 ふくよかな頬、白いものの交じり始めたもともとは褐色の髪をひとつにくくっている母の顔を見る。


「お国のために命を捧げるってことだよ。何人の兵隊さんが王のために亡くなったと思ってるんだい?」


 母のそんな心配げな表情を見ていると決意が揺らぐ。ヴァンは視線を逸らして、あえて虚勢を張って大きな声を出した。


「そんなの分かってる! それでも俺は軍隊に入ってお国のために戦うんだって決めてるんだ! 剣術だって体術だって一生懸命勉強してきたし――」

「運動だけは小さい頃から得意だったからね」

「運動だけって言うな! 勉学だって、もしかしたら――頑張れば――なんか――だめじゃないかもしれないじゃん……。ま、まだ分からねぇよ、俺にだってまだ可能性が――たぶん……」

「無理はしなさんな」

「無理じゃない! 息子を応援しろよ!」


 上半身を起こして、両手を自分の膝の上に置いた。


「ていうかいまさら何なんだよ、俺が子供の頃は将軍になりたいっつったら宮殿に連れてってくれたのに、大人になってからやっぱり八百屋を継げとか言うなよ!」


 母が「まさか本気だとは思ってなかったんだもん」と口を尖らせる。息子の真剣な夢をよくぞ踏みにじってくれたものである。父は「大人だぁ? まだ十四のくせに」と鼻で笑っているがそれはまた別の話だ。


「さすがに十歳を超えても言い続けるとは思ってなかったよ……」

「まあ、俺だって、もう将軍になりたいとは言わねぇよ。無理なもんは無理なんだ。だったら現実的に副長を目指してこつこつ勉強するしかない」


 父と母が顔を見合わせた。二人とも苦々しげな表情だ。


 ヴァンはもう一度両手を床につき、もう一押しと言わんばかりに頭を下げた。


「お願いします! 家は継げなくなっちまうかもしれない、それは本当に申し訳ないと思ってる! でも俺にもやりたいことがあるんだ」


 ヴァンも分かっていないわけではない。四人姉弟の末っ子長男として生まれ、両親と三人の姉たちにそこそこ可愛がられて育った。瓜を売る仕事も嫌なわけではなく、学校から帰ってきた後はよく手伝ってきたつもりだ。それが十五の成人を目前にしてやはり八百屋はやめて家を出ると言い出すのは両親と姉たちに対する裏切りではないのか。


 それでも、どうしても、夢を捨てきれない。


 軍人になって、華々しく戦いたいのだ。


「――分かった」


 ややして、父が重々しい口調で言った。


「認めてやらんこともない」


 ヴァンは弾かれたように顔を上げた。


「ただし。一個条件がある」


 かじりつく勢いで「なに!?」と問い掛けた。

 父は真剣な目でヴァンを見つめていた。


「噂じゃ、共同井戸の向こう側、林の中にラームテイン将軍が住んでるそうだ」


 その噂はヴァンも聞いたことがある。確かに林の中には一軒の家が建っていて、若く美しい男が一人で住んでいる。それがどうやら将軍ラームテインらしい。この辺りの市場でも目撃情報があるからおそらく本人であろう。


「そのラームテイン将軍と決闘してお前が勝てたら、認めてやる」


 ヴァンは息を呑んだ。


「ラームテイン将軍にお墨付きをいただいてから、もう一回言え」



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