第16話 俺が強く立派になったら

「ごめんな、最初に会わせておけばよかった」


 そう言ってソウェイルが連れてきてくれたのは、宮殿の南、神剣の間であった。


 その部屋はお披露目会をした大講堂の東側に位置していた。

 想像していたほどには広くない、麗梅リーメイの寝室三つ分くらいの縦長の部屋である。

 内壁は豪華で、壁の全面に蒼い石片タイルと金箔の星に似た幾何学模様が施されている。南側の壁にある出入り口から見て右側、東側に窓がある――時間帯を選べば太陽が昇る時に光が差し込んでくるかもしれない。正面の北側の壁には祭壇のような出っ張りがあり大小いくつかの金属の器が置かれているが、上には何も供えられていない。

 祭壇の上方、壁に十対で合計二十個の金の突起がついている。うち四対は埋まっており、それぞれに一本ずつ、四本の剣が置かれていた。


 麗梅は思わず感嘆の息を吐いた。


 四本の剣はいずれも美しかった。剣ごとに主題の色が決まっているらしく、特定の色を基調にしてさまざまな大きさの輝石と思われるものがはめこまれた鞘と柄をしている。


 これが伝説の魔法の剣か。


 確かにいずれも霊的な力がありそうな剣だ。しつこく特定の色を追求しているのが呪術的に感じられ、その美しさは禍々しく、人々が何らかの気を封じ込めたものだと言うのも分からなくはない。

 麗梅は霊験あらたかなものを信じるたちではない。しかし美しいものは美しい。世界で一本しかない工芸品を所有していると思えば気持ちは明るくなる。


「これが神剣。今ここに四本もあるけど、本当は一本につき一人を選んでその人についていくもので、他六本は誰かが持ってるからここにはない」

「四人は空席かえ?」


 何気なく訊いてしまった。

 ソウェイルがなかなか返事をしないので聞いていなかったのかと思い、自分の右側、ソウェイルの顔を見た。

 彼はいつもと変わらぬ無表情であった。


「死んだ」


 ぽつり、ぽつりと、呟くように語る。


「身内で殺し合って。減ってしまった」


 愚かな、と思った。内部統制が機能していない証拠だ。情報が円滑に共有され上意下達がなされれば防げた事件だろう。神剣は神である王の眷属だと聞く。王の力が弱いからそういうことになる。


「シーリーンの旦那はこのうちの、あの、白い神剣の主だった。それが、内乱の時に……な」


 しかし麗梅は口に出さなかった。

 それを言うべきは今ではない。

 ソウェイルが王になって三年、次の春で四年だ。四年以上前のことであればソウェイルには制御できなかった可能性が高いし、即位してからでも十代の少年王ができることは限られている。


 ソウェイルは、泣くどころか表情もほとんど変わらないが、その目つきと声はどことなく寂しそうであるように感じる。


 哀れだと思ったわけではない。むしろ情けなくて悔しい。もっと鍛えなければならない。この男を世界一の王に育てなければ自分を世界一の女王に据えることもできないのだ。

 けしてソウェイルを叩き潰したいわけではない。

 麗梅がいなかった時代の幼かった彼を打ちのめしても彼が落ち込むだけだろう。それは本意ではない。


「他六本は、六人おるわけだな」


 問い掛けると、ソウェイルは「そう」と頷いた。


「四本は所在がはっきりしている。四人は、うち二人が王都にいて、うち二人は地方にいる。王都にいる方の二人と地方でも北部州にいる一人の合計三人は次の正月ノウルーズに会えるから紹介する」


 麗梅が、ユングヴィには会った、と言おうかどうか悩んでいるうちに、彼は続きを話し始めてしまった。


「西部州にいる一人はこの三、四年会ってない。なかなか出てきてくれない。俺が西部州に行かなくちゃだめかな、って思うんだけど、俺、あの人にはあんまり好かれてる気がしない」

「好きだの嫌いだの、十神剣をやるのはアルヤ人としての務めではないのか」

「それが、好きだの嫌いだのが一番大事な人でな。理屈じゃ動かない天邪鬼だし、たぶん打てば響く男が好みなんだと思うから、俺じゃ力不足だ」


 ちょっと考えていたところ、ソウェイルはまた麗梅を置いて続きを語り出した。


「残り二本は神剣の主が神剣を持ったまま行方知れずで」


 とうとう麗梅は顔をしかめてしまった。あまりの情けなさに理性が吹き飛んでしまいそうだ。


「一本はたぶん今も王都にいる。けど、最後の一本は、国内にいるんだろうか? さすがに国外に出たらどこかで何かは引っ掛かるはずなんだけどな……」

「まことに遺憾である」


 これが今言えるせいいっぱいだ。


「残り四本は、後継は見つからぬのか? 先の将軍が死んだ時次にどう引き継ぐのかは知らぬのか」


 少し間を置いた。


 ソウェイルが無言で動き出した。祭壇の方に向かって歩き始めた。

 祭壇の上に手を置き、軽く身を乗り出す。そしてうち一本、薄紅色に輝く、おそらく珊瑚や紅石英ローズクォーツであると思われる石をはめ込んだ剣を手に取る。


 麗梅の方に突き出した。


「試しに抜いてみるか」

「なんと」


 選ばれた人間にしか抜けぬという伝説の剣だ。アルヤ王国でもっとも価値のある魔法の剣である。

 興味が湧いた。


「では、遠慮なく」


 麗梅は右手で柄を、左手で鞘をわしづかみにして、ソウェイルの手から桜色の神剣を取った。


 そのまま、柄と鞘を離すつもりで引く。


 びくともしない。


 最初は自分の力が弱いのかと思った。

 少しはしたないが、膝の間に鞘を挟み、両腿で押さえつけながら両手で柄を引っ張った。

 石の凹凸で腿に食い込んでいた鞘が引っ張られてずるずると上に持ち上がり、膝の間から抜けてしまった。


「なんぞ!? 抜けぬ!」

「こういう仕組みなんだ。神剣は自分好みの人間を連れてこないと嫌がって鞘から出てこないっていう」

「選ばれた者にしか抜けぬというのは比喩ではないのか」

「そう。この、抜ける人間を探すのが、本当に大変で。神剣のわがままを一個一個聞いて条件にぴったり当てはまる人を連れてこないといけない。神剣によってどういう時にどういう理屈で許してくれるのかはまちまちだけど、機嫌が悪いと何十年も空席のままだったり、急ぎの時は選んだらいけない人間を選んできたりする。本当にたいへん」

「わがまま? 許してくれる? とは、何ぞ?」

「神剣一本一本に意思があってな」


 ソウェイルが手を伸ばした。それを返してほしいという意味だと思った麗梅は桜の神剣を差し出した。案の定彼は神剣を受け取った。

 次の時だった。

 彼が柄と鞘をつかんで引くと、刃がするすると鞘から出てきた。

 辺りに一瞬薄紅色の光が散った。火花かと思った麗梅は一瞬目を閉じそうになったが、光はすぐに消えた。

 刃が、本来は銀色ではないかと思われる肌に紅色の細かな粒子を宿している。ソウェイルが手首を返して刃を傾けると、その粒子が光を反射して薄紅色に輝いた。その様はやはり妖しく禍々しく、美しいがうすら寒いものを感じる。


「『蒼き太陽』じゃなくちゃ嫌なのは、他でもなくこいつらなんだよな……。参った」


 まるで言うことを聞かない家臣に頭を悩ませているかのようだ。


「人間のようなことを言う」

「人間だったんだ、大昔は。十人の軍神は十本の剣になった」


 どんどん神話の世界の話になってきてしまった。


「神剣には最初の十人の魂が宿っていて、奴らは自分の分身である後継者選びにこだわりがある。なんとか……、なんとか説得しなくちゃいけない」

「はあ」


 そういう呪術めいたことは理解できなかったが、


「説得するなどと弱腰な。アルヤ王国で一番偉い神なのは『蒼き太陽』であろう。つまりそなたのことではないのか。そなたが命令を下せばよいのだ」


 とうとう思ったことを口に出してしまった。


 ソウェイルがあっけにとられた顔をしている。


 ややして、彼は小さな声を上げながら笑った。

 ほんのり唇の端を持ち上げて目を細めた表情は、優しくも可愛らしくもある。


 この男はけして愛想のいい男ではない。ただ、時々、麗梅にはよく分からないところで笑う。

 そのたまにしか見せない笑みが特別なもののように思われて、麗梅は困惑してしまう。

 笑った、と思うたび、その笑顔の吸引力の強さを認識する。


「そうだなぁ。俺がこいつらに命令を下せるくらい強く立派になったら、アルヤ王国はもっと平和になるかな」


 その、次の瞬間だった。


 第三者の声が割って入ってきた。


「心配はご無用ですぞ、王よ。貴方様がそんなにご無理をなさらずとも、アルヤ王国は私どもが守りますからね」


 優しさと表裏一体の尊大さを滲ませた男の声だった。


 声のした方――部屋の出入り口の方を振り向いた。


 開け放たれた扉のすぐ傍に一人の男が立っていた。臙脂色の円筒形の帽子をかぶり、前は留めない形状の短い胴着ベストを着た男だ。清潔そうに整えられた短いひげは胡麻塩のように白いものが混じっており、穏やかに微笑む目元にもくっきりとしわが刻まれている。しかしその体躯は細身でしかも背筋がぴんと伸びており、老いはまったく感じさせない。


「いやいや、仲睦まじくて結構ですね。今度こそいいお妃様が来たようで何よりです」


 左手で胸を押さえ、右手を背中の方に回し、芝居がかった姿勢で軽く頭を下げる。


「――閣下」

「お気軽にフサインとお呼びください、王」


 顔を上げ、サータム帝国の宰相団の一人、現アルヤ王国執政フサインが改めて微笑みを見せた。



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