第13話 二人で朝ご飯を食べる

 翌朝、麗梅リーメイは、薄紅色で足首までの丈の旗袍チイパオを身に着け、長い黒髪をふたつの団子に結わせた後、後宮ハレムを出て王の住まいへ向かった。


 冬、まして早朝の王都は気温が低い。だが湿気がないのでそれほど冷え込んでいる気はしなかった。麗梅の実家はこの季節になると霜が降りて石造りの家々が凍りつく。アルヤ高原も寒いといえば寒いが、毛織物の上着を羽織ればなんということもなさそうだ。


 後宮ハレムから見て南、宮殿の北の区画においては南側の廊下を行く。前面開放広間イーワーンが食事の間になっているそうだが、冬場はすだれをかけて壁にして中庭側を閉鎖し、普通の部屋と同じ状態にして食事を取っているらしい。


 広間に入ると、中は火鉢が四隅に置かれて暖まっていた。


 食事の支度をしていた侍従たちの手が止まる。

 麗梅は「支度を続けよ」と言いながら絨毯の真ん中、食器が置いてある辺りに座った。


「匙と皿が一人分しかないようであるな。王の分がないかと思うが、何事ぞ」


 年かさの侍従が一人歩み出てきて膝をつき、かしこまりながら「畏れながら申し上げます」と声を震わせる。


「まさか王妃様が本当にこちらへおいでになるとは思わず――」

「無礼者!」


 一喝すると、その場にいた全員が動きを止めた。


「今日はこちらに来て陛下と朝餉あさげをともにすると言うておいたであろう! 従者の身で主君の妃の真意を図るようなことがあってはならぬ! わらわがそうと言うたらそう! 仮にわらわが姿を見せずとも置いてゆけ!」

「たいへん申し訳ございませんでした!」

「はよう! く厨房に行きわらわの分の食事をこちらに運ばせよ!」


 侍従が「申し訳ございませんでした」と繰り返しながら去っていく。


 麗梅はつんと澄まして王の訪れを待つことにした。もし王が来る前に麗梅の食事が間に合わなかったら王の分を食べればよい。誰が初めに食事を取るかを見せてやることで麗梅がこの宮殿の真の主人であることを示すのだ。


 ややした頃、ソウェイルが姿を見せた。

 彼は二人の小姓をともない、寝間着のままと思われる簡素な上衣カフタンに上着を羽織っただけの状態でやって来た。


 扉を開けさせ、中に入ろうとしたところで、麗梅が中央に堂々と鎮座していることに気がついたようだ。彼はその場で足を止めた。


「何ぞ」


 出入り口付近に突っ立ったままの蒼い髪の男をねめつけ、低い声を出す。


「そなたもわらわが口先だけで来ぬと思うておったのではあるまいな」

「はい……」

「わらわは言うたことは必ずやる女ぞ。覚えておけ」


 ふたたびつんと上を向き、「早う座れ、わらわは空腹である」と告げた。ソウェイルが小走りでやって来て麗梅の真正面に座った。


おはようソブ・ベヘイル

おはようソブ・ベヘイル


 支度は完全に済んで料理が運ばれるだけの状況になっていた。王の食事に手を付けなくてもよさそうだ。


 ほどなくして、パンが運ばれてきた。焼きたてのパンは香ばしく、手に取ると柔らかくて温かい。

 一口大にちぎり、床に置かれた銀食器からひよこ豆の練り物と食用の植物油をあわせたものを取ってつけ、口に含む。

 アルヤ王国の緑地オアシスは小麦の生産が盛んだ。麗梅はパンを食べている時アルヤ王国の穀倉庫を支配した気持ちになる。


「……おいしい?」

「美味である」


 その、次の時だ。


「そっか」


 ソウェイルの頬が少しだけ緩み、ほんのわずか口角が持ち上がって、目が細められた。


「よかった。ありがとう」


 麗梅は一瞬手を止めた。

 笑った顔を初めて見た。柔らかくて、穏やかで、そしてほんの少し幼く愛らしい笑顔だった。

 首を横に振ってそんな考えを追い払った。


「礼を言われるようなことはしておらぬ」

「そう。まあ、リーメイのしたいようにしてくれればいい」

「言われずとも。わらわは誰の指図も受けぬ」


 人参ニンジン搾り汁ジュースを飲む。これは少し口に合わないので後で甘橙オレンジ搾り汁ジュースに替えさせることにする。


 ソウェイルも匙で汁物を口に運び始めた。


 彼は静かな男で、自分からは口を開かなかった。話し掛ければ返事はするが、ユングヴィの言ったとおり基本的には一人でいることに抵抗のない人間なのだろう。しかし麗梅が食事の間に現れたのは喜んでいるようで拒む様子はない。ひとと一緒にいることにも抵抗はなさそうだ。


「のう、ソウェイルよ」


 白い布で口元を拭いつつ、麗梅の方から話し掛けた。


「そなたに聞きたいことがあるのだが」

「なに?」

「そなたの姫のことである」


 ソウェイルの手が止まった。


「俺の姫って?」

「アナーヒタ姫の話ぞ」


 彼の手が止まったので自分は禁断の話題に触れたのかと思ってしまったが、


「なんだ、びっくりした。自分のこと俺のお姫様って言わせたいのかと思った」


 握っていた布を顔面に投げつけた。布なので怪我をすることはないだろうが、ソウェイルは「うわっ、お皿に入った」と嫌そうな声を出した。


れ者が! わらわがさように阿呆なことを言うと思うたか!」

「これがまた言いそうなんだよな」

「そなた一言多いぞ!」

「すみません」


 汁物で赤く汚れた布を小姓に渡しつつ、「アナのことか」と顔をしかめる。


「あの子のことが、どうかした? どこかで会った?」

「逆ぞ。会いたいのだが会えぬ。どこにおるのかのう」


 あまり機嫌の良さそうではない声で「なんで?」と問うてきた。


「あの子に会って、どうするって?」


 なぜ面白くなさそうな様子なのか分からなかったが、麗梅は臆すことなく答えた。


「あのロジーナ女が育てぬと言うのならばわらわが引き取って育てようかと思うてな。わらわ付きのアルヤ人の女官から伝手つてを辿ってアルヤ人の乳母めのとをつけてやろう」

「確かに、カーチャは熱心にアナの子守をしている感じじゃない。けど、それがまた、どうしてだ? リーメイにはあまり関係のないことだと思っていた。カーチャが産んだ子だ」

「カーチャ? あのロジーナ女のことか? また身の毛もよだつ可愛らしい愛称だの。そなたは女に呼び名をつけて愛でるのが好きか?」


 食後の茶を飲みつつ、「おなごは宝ぞ」と言った。


「おなごは何人いてもよい。嫁に出すのだからな。たくさん金と手間をかけて美しい娘に育てよきところに嫁がせるのだ。おのこは王座を巡って喧嘩をしかねぬが、おなごはよそに出すのでさようなことはない。安心して育てられるであろう」


 ソウェイルはしばらくきょとんとしていたが、少し間を開けてから「なるほど」と呟いた。


「とはいえわらわも子を産んだことはないので必ずうまくゆくとは言えぬが、やると言うたらやる」

「他人の産んだ子供だけどな。その、身の毛もよだつ女の」

「しかしそなたの子でもあろう。ならばわらわの子でもある。それに産みの母と育ての母があるのはままあることゆえ、さほど奇矯なことではあるまい」


 さすがの麗梅も子の父親を前にして自分が腹を痛める苦しみを得ながら男児も女児も産み続けるより他人の娘を奪って恩を着せて育てたいとは言えなかった。代わりににこりと微笑んでみせ、「安心せよ」と言った。


「おのこはわらわが産んでやるゆえな。息子のことは心配せぬでもよい」


 また少し間を置いてから、ソウェイルが「あっそう」と呟いた。


後宮ハレムの第一王妃の区画にいると思うけど、お前には入れないようにしてあったんだったな」

「さよう。まあ姫のことがなければ第一王妃に会う用はないので構わぬが」

「一応俺は後宮ハレムのどこにでも入れることになってるから、朝ご飯が終わったら一緒に捜しに行くか。シャフラが出勤してから予定を調整するんでちょっと待っててもらうことになるけど、いいか?」

「承知した。それくらいは待っていてやろう、わらわは気の長い女なのでな」



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