第12話 姑から嫁への申し送り

 一番奥の部屋が応接間だ。

 広い部屋に高級な絨毯が敷かれている。正面は大きな窓になっていて、王都の街並み、そして遠くに大河のきらきらと輝く水面が見えた。


 四人が絨毯の上に腰を下ろすと、どこからともなく召し使いと思われるチュルカ人の女がやって来て、四人分の茶を置いた。そしてむずがる幼子たちを左右の腕に抱えて応接間を出ていった。

 硝子ガラスの碗の中で、氷がからんと音を立てた。


「すいません、お客様が来るって言ったらうちの人が逃げちゃって。ほんとはちゃんと挨拶してほしかったんですけど、娘を連れてどっか行っちゃったんですよね」


 ユングヴィが「ほんとごめんなさい」と言う。その口調はやはりかなり訛っている。正しいアルヤ語の上流階級の言葉を勉強してきた麗梅リーメイとしては誠意がないように聞こえてしまうが、かといって腹黒い裏表があるようにも思われなかった。


 うちの人、というのは、夫のサヴァシュ将軍のことだろう。道理で姿を見せないと思ったら、とんでもない男だ。とはいえ、いたらいたで麗梅には夫の父親との付き合い方はよく分からなかった。


「これ、小鈴シャオリン。母上様にお贈りするお土産を」


 小鈴が「はい」と言って包みを差し出す。太く長い棒状のものだ。


 ユングヴィが受け取って、「開けてもいいですか?」と訊ねてきた。麗梅は「どうぞ」と微笑んだ。


 実家を出る時に、何かあった時に差し出すように、と言われて母に持たされた絹布の巻き物だ。紅の地に梅の刺繍が施されている。麗梅から贈られたものであるのが一目で分かるようになっていた。


 しかしユングヴィはその巻き物を見て、広げて、「何に使えばいいですかね」と訊いてきた。


 麗梅は気が抜けた。どうやらあれもこれも無用な気遣いだったようだ。やはり、この女は物の価値の分からない庶民の女なのだ。


 だが、夫の母親は夫の母親である。


「急にお訪ねしてご迷惑ではございませんでしたか」


 問い掛けると、ユングヴィは「とんでもない!」と笑った。


「もう、嬉しくって。ソウェイルのお嫁さんが私に興味を持ってくれるなんて、もう、何も考えずに、はい、って言っちゃいました。来てくれてありがとうございます」


 彼女は「ほんとに嬉しくって」と繰り返した。


「昨日の式典には、私もいたんですけど――」


 気づかなかった。どこにいたのだろう。あの中に女性が紛れていたら目立ちそうなものだが、ソウェイルの顔を見て舞い上がっていたのだろうか。後でシャフラに確認することにする。


「次にお顔を見るのはいつかな、って思って。なんか、いつか話をする日が来ればいいな、って。ずっとそんなこと、ぼんやり思ってたんで、まさか、今日そういう機会が来るなんて、って」


 だんだんユングヴィの口調に慣れてきた。どうも馴れ馴れしさが拭えないが、庶民の姑と嫁の間柄とはそういうものかもしれない。


「陛下はこの家でお育ちになられたのですか」


 問い掛けると、ユングヴィは「それはちょっと違うんですけど」と答えた。


「もともとは、私は宮殿の中に建てられた小屋に住んでて、ソウェイルとはそこで三年くらい一緒に暮らしてました。この家に引っ越してきたのは、ソウェイルが十歳の時、私が二十歳の時なんで、九年前かな。あ、でも、その後もソウェイルが泊まりに来てたりしたし、この間もちょっと住んでたので、ここで育ったといえば、そうなのかな」

「さようでございまするか」

「リーメイ様は、ご家族は――って変な質問ですよね、すみません。大華帝国の皇帝陛下と、その奥様ですよね……」

「構いませぬ。兄弟は全部で十八人にございまするが、同腹の兄は一人にございまする。母は生きて後宮で暮らしておりまする」

「そっか、そうですか……お姫様ですもんね……」


 絹の巻き物を自分の後ろの方に置く。


「アルヤ王国での暮らしはどうですか? 困ったことはありませんか?」

「まったくご心配には及びませぬ。異国ながらたいへん居心地がよろしゅうて、もう帰れませぬな」


 そこまで言うと、ユングヴィが破顔して「そっかぁ」と言った。


「よかった。嬉しい。そっか、居心地がいいかあ。よかった……」


 そして、目元を指の腹で押さえた。


「あの……、あの。こんなこと言ったら失礼かもしれないんですけど……ちょっと、聞いてもらいたいことが――お願いしたいことが……」


 麗梅は口角を持ち上げて「何なりと」と応じた。


「わらわにできることならば何でもお聞き致しましょうぞ」


 この時、麗梅は、試される、と思った。姑から何か言いつけられるということは、夫や姑である自分に対する忠誠心への挑戦だと思ったのだ。だからこそ笑って、何でもやってのけてみせようという気概で、気合を入れて次の言葉を待った。


 待っていたのは、予想外の言葉であった。


「ふたつ。あるんですけど」


 その先の彼女は、真剣そのものだった。


「まず。あの子と――ソウェイルと、一緒に食事を取ってあげてくれませんか」


 まったく考えてもみなかったことだった。


「食事、とは」

「朝ご飯と昼ご飯と晩ご飯。普通の食事を、一日三回、顔を合わせて、同じ部屋で食べてほしいです」


 手を振って「無理だったらいいんですけど」と付け足す。


「私、王宮での生活がどんなのか分かんないから……変なことを言ってたらごめんなさいなんですけど……」

「いえ、構いませぬが。お安い御用でございまするが、しかし何ゆえ食事を?」


 深く息を吐いたのが見て取れた。


「あの子、あんまり胃が丈夫じゃないんです。あんまりたくさん食べられなくて、だからあんなに細っこくて、私、心配で。でも、ひとがいるとうまく食べられるみたいなので、誰かが一緒に食べてくれたら、ほんとに安心します」


 麗梅は「さようでございまするか」と頷いた。


「では、次回からそのように手配致しましょうぞ。わらわも陛下と会話する時間が欲しゅうて悩んでおりましたので、お母上様が後押ししてくださるのはありがたきことにございまする」

「そっか。よかった」


 その声には本気の安堵が滲んでいた。


「あの子、基本的には一人でもだいじょうぶなんですけど――一人遊びの得意な子なんでほっといてもぜんぜんだいじょうぶなんですけど、根が甘えん坊で。時々すごく寂しそうな目をするんで。だから、そういう時に、一緒にいてもいいよ、って言ってくれる人がいてくれると、私はすごく嬉しいです」


 もう一度、「あの子は本当は甘えん坊で」と繰り返した。


「話し掛けてきたら、鬱陶しがらずに聞いてあげてください。きっとそうそうないことなんで。そんなにたくさんお手間を取らせるとは思わないので、たまのわがままを聞いてあげてくださいませんか」


 よほど心配なのだろう。麗梅は念押しするように「承知しましたぞ」と答えた。


「必ずや。必ずや、わらわが陛下のお傍に寄り添いましょう。三度の食事を一緒にとりましょうぞ」

「よかった」


 今にも泣き出しそうな顔で、何度も何度も繰り返す。


「よかった……」


 麗梅は、エカチェリーナがいかにこの親子を蔑ろにしてきたかを感じるのだ。

 感傷はいらなかった。ただ、ここを押さえればエカチェリーナに勝てる、という確信を抱いた。麗梅に必要なのはそれだけだ。

 世の中のすべての人がそうとは限らないが、普通の善人は優しくされたら優しくするものだ。そして、麗梅には、ユングヴィが普通の善人に見えた。麗梅が優しくすれば、彼女も優しくしてくれる気がした。

 つかんだ。


「して、もうひとつは?」

「あ、えーっと」


 視線を逸らして、言いにくそうに言う。


「ちょっと、これ、言ってもいいのかどうか、悩むんですけど……」

「何をおおせになりまするか。何でもおっしゃってくだされ」

「アナーヒタ姫を……」


 麗梅は思わず「あ」と声を漏らしてしまった。


「見掛けたら、優しく接してあげてくれませんか。世話をしろとまでは言いません、他人が産んだ子ですもん。でも……、あまり冷たくあしらわないであげてほしいです」


 そして、「できれば」と、小声でぼそぼそと言う。


「ソウェイルに、娘と一緒に過ごすことを怖がらないように、って。一緒にいる時間を作るように、って。言ってあげてください」

「もちろん」


 麗梅は身を乗り出した。


 存在を忘れ去っていたが、ソウェイルとエカチェリーナの間には王女が一人いる。この子の王位継承権を巡ってアルヤ人とロジーナ人が対立しているとまで言われているいわくつきの、だ。


 あの女がまともに世話をしているとは思えなかった。実際ここまで話題にならないとなると相当雑な扱いを受けているものと見える。まるでいないかのような存在感のなさだ。


 ここも押さえなければならない。


「できることならばわらわが引き取って育てまする。ご心配召されるな」


 女の子は政略結婚の駒になる。王女とは、蝶よ花よと育てて、いいところに嫁にやるための最高の娘に仕立て上げるものなのだ。


 新しい仕事ができた。宮殿のどこかにいるアナーヒタを探し出して様子を見なければならない。


「おなごは国の宝にございまするぞ、お母上様」


 ユングヴィがほっとしたように微笑んだ。


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