第11話 彼と口調のよく似た人
アルヤ王国には十本の魔法の剣がある。女神から授けられたという伝説ゆえにそれらの剣は神剣と呼ばれており、その神剣の持ち主を束ねて十神剣と呼ぶ。
十神剣は事実上神官だが、最初の持ち主が十人の武人であったという伝説にもとづき、軍隊の形式上の長に就任するよう義務付けられている。そのため彼らは将軍とも呼ばれている。
神剣は神剣に選ばれた者にしか抜けない。
逆に言えば神剣に選ばれさえすれば年齢性別不問だ。比較的若い青少年が選ばれることが多いようだが、稀に女性を選ぶこともある。
十本の神剣のうち、赤い神剣を抜いた者がユングヴィという名の女性らしい。彼女は貧しい階層の出で少女時代は王都の路上生活者だったが、十四歳にして神剣を抜き、最高神官である王に連なる者となった。
そして先代の第一王妃の信頼を勝ち得た。
「今はご結婚して四人のお子を育てておいでです。去年まで三年ほど将軍としてのお勤めから離れておいででしたが、四人目のお子をお産みになられてからはふたたび季節の祭事にお姿を見せるようになりました。その、四人目のお子を産む前後、今から数えて十ヶ月ほど前でしょうか、陛下はユングヴィ将軍のお宅で過ごされまして、その際にいろいろな行き違いを解消して改めて深くきずなを結ばれたようですよ」
行きの馬車の中でシャフラは
「筆下ろしをしたというわけではないのだな」
「そのようなことはけして。そういうことをおおせになると陛下はおそらく烈火のごとくお怒りになられるかと。ユングヴィ将軍とその夫であるサヴァシュ将軍のことだけは何かあるとお怒りになります、ほかのことではそうそう激しい感情を見せられる方ではないのですが」
「さようか。あくまで母親なのだな。気をつけねばなるまい」
麗梅はあの後すぐさまシャフラと
実母が死んでいると聞いて油断していた。王の母親こそもっとも重点的に顔色を窺わねばならない相手だ。味方につければいろいろなことが楽になる。ここと仲違いをして排除された愚かな女を麗梅は山ほど見てきた。
王都の北部、高級住宅街は静かであった。家と家とが分厚い土壁で隔てられている。この塀の内側には中庭を囲む四角形の建物が入っているらしい。
三つの
馬車を下り、玄関を入っていく。
馬車の御者が先回りをして屋敷の中に声を掛けてきた。こういうことは高貴な身分であるシャフラはやらないのだ。
中からチュルカ人の少女が顔を見せた。彼女がソウェイルの言っていたユングヴィの召し使いの子だろう。確かに見ようによっては麗梅と年が近いように見えるかもしれない。
「シャフラちゃんさん」
「シャフラで結構ですよ」
「と、王妃様ですよね。もう少しで支度が済みますので、あとほんのちょっとだけ待っててくださいね」
それだけ言うと彼女はさっさと引っ込んだ。
次の時、少女のものと思われる怒鳴り声が響いた。
「こらっ、あんたたち! お客様がお見えだよ、とっとと片づけな!」
麗梅と小鈴は顔を見合わせた。シャフラは慣れたことなのか涼しい顔をしている。
「この家はいつもこんな感じで騒がしいのでございます。塀の穴もおそらくご子息かその取り巻きである召し使いの息子たちが空けたものかと」
「さようか。これはまた、なかなかない経験をさせてくださりそうだな」
ややして、次の人物が出てきた。
背の高い女だった。長い赤毛を後頭部でひとつの団子にまとめており、切り返しがなくくるぶしまで丈のある白い服を着ている。垂れ目気味の目元に、あまり高いとは言えない鼻だ。右腕にはようやく座れるようになったくらいの赤子を抱き、左手では三歳前後と思われる男の子の手をつかんでいた。
「
「別に構わぬが、奥方様は留守なのか?」
「あ、いえ。私がユングヴィです」
衝撃を受けた。どう見ても身分の高い女には見えなかったからだ。簡素な服に、目立たない顔立ちに、髪も布で覆わず、乳幼児を抱えた姿――庶民も庶民、それこそ子守の召し使いだと思ってしまった。
麗梅は慌ててその場で膝をつき、拝手して「たいへん申し訳ございませぬ」と言った。ユングヴィが「えっ、なんでですか」と慌てた様子で一緒に膝をついた。
「だいじょうぶです、何にもないですけど、いやだいじょうぶじゃないですね、ほんとにうち何にもなくてすみません」
相変わらず少年少女の叫び声に似た怒鳴り声が響いている。少女たちが少年たちを追い掛け回しているようだ。
開け放たれた扉の内側には木製の乳母車や大きな桶など物が壁に立てかけられている。あまり片付いているとは言いがたい。
「とりあえず中に入ってください、大急ぎで片づけさせてますので」
「失礼致しまする……」
面食らってしまった。道理でシャフラも口には出さなかったわけである。本当に訪ねてきてよかったのか少し不安になってきた。
だが――麗梅はすぐに気がついた。
ユングヴィには庶民らしい訛りのようなものがある。
この訛りに聞き覚えがある。
ソウェイルだ。彼女とソウェイルの口調が似ているのだ。
あの男を育てたのは、彼女だ。
「わたくしどももご一緒してよろしいですか」
シャフラが訊ねると、ユングヴィは屋内に入りながら「もちろん!」と微笑んだ。その笑顔は人懐こそうに見えた。悪そうには見えない。高圧的なところもない。
王の育て親だからといって偉ぶっているわけではないらしい。
麗梅は複雑な思いだ。
彼女を調略して何か得るものはあるのだろうか。
否、まだ油断してはならない。女は見た目では分からないものだ。ソウェイルの育て親である以上は気を遣うべきなのだ。
玄関を抜けると、廊下の向こう側は広い中庭になっていた。椰子の木が植えられていて葉を広げている。涼しそうだった。
ようやく子供たちも落ち着いたらしい。辺りはいつの間にか静かになっていた。
「上がお客様をお迎えする部屋ですんで、上がってくれませんか」
中庭の端に、上の階にのぼれる階段がふたつある。その右側の階段をユングヴィが上がり始めた。麗梅はすぐそのあとに続いた。麗梅の後ろに小鈴が、そしてシャフラがついてくる。
階段を上がると、廊下は掃き清められている。廊下にいくつか扉が見えるが、その扉は一番奥の一ヵ所を除いてすべて閉められていた。
気配を感じたので振り返った。
廊下の途中にある扉のうちのひとつが、少しだけ、開いた。
中から少年が二人顔を見せた。
目が合った次の瞬間、彼らは慌てた様子で引っ込んでいった。
麗梅は思わず笑ってしまった。
「何かありました?」
「いや、そこから小僧どもが――失礼、少年たちが二人顔を見せたものですから」
「うえー、すみません、息子たちが見てたんですかね……あんまり失礼なことはしないように、じっとしてなさい、って言ったんですけど……ごめんなさい……」
「結構でございまする」
しつけがなっていない、と言いそうになるのを堪えて、「元気なことは良いことでございましょう」と言った。するとユングヴィは機嫌良さそうに笑った。
「よかった、そう言ってもらえて。ちゃんとした、高貴な身分の人が来るところじゃないかな、って心配してたんですけどね。ありがとうございます」
その様子がまた素直で朗らかで、麗梅は居たたまれなさを感じるのだ。
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