第10話 真っ先に調略すべき相手

「よくも隠してくれよったな」


 ソウェイルに何発か平手打ちを喰らわせて少し冷静になった麗梅リーメイは、これ以上あの場で詰め寄っても話は進まないと判断して、シャフラを連れて自室に戻ることにした。


 部屋の真ん中、敷かれた絨毯の上の座布団複数を布団代わりにして身を投げ、大きな溜息をつく。


 腹の虫はまだ治まらないが、仕方がない。時間を昨夜まで巻き戻すことはできないのだ。


 加えて、ソウェイルが麗梅の外見を気にしているのならばらちが明かなかった。

 麗梅の体型は二、三年前に身長の伸びが止まって以来ほぼ変化していない。しかし実家ではこれがいと言われていた。問題になるとは思ってもみなかった。

 確かにアルヤ女どもは皆一様に背が高く豊満だ。ここでは背が高く豊満であることが成熟の証なのである。そう言われると麗梅には何も言えない。根本的に骨格が違う。


 ソウェイルに、貴様が改めろ、と吐き捨てて帰ってくるほかなかった。


 悔しい。


 けれどそうと言ってばかりもいられない。


 このやり取りでソウェイルがどんな男なのかだいたい見えてきた。これは作戦変更だ。


「そなた、わらわにソウェイルと会話をさせとうなかったのだな」


 あのような男に敬称をつけるのなど馬鹿馬鹿しい。麗梅は堂々とソウェイルの名を呼び捨てにした。


 傍に立って首を垂れ無言を貫いていたシャフラが、小声で「おおせのとおりにございます」と答えた。いつになくしおらしい様子だ。普段は王妃に対しても居丈高いたけだかに出る彼女がこのような態度とは、よほどのことのようである。


「女性であらせられるから距離を、などというのはすべて嘘にございます。陛下はアルヤ人にしては性別へのこだわりがない方でいらっしゃいますれば。むしろ、わたくしを登用していることからお察していただけるかと思いますが、女性にも積極的にお声を掛け、能力があると思えば男女のあれこれとは関係なくお傍に呼ぶお人柄で」

「だがわらわは幼いので遠ざけておきたいと、そう申すのだな」


 シャフラは即答しなかった。それが何よりも肯定だと思ったが――ややして、彼女は「畏れ多いことながら誤解なきように申し上げます」と言う。


「陛下はエカチェリーナ様やカノの件でたいそうお心を傷められました。その分リーメイ様とは親しくなさりたいと。嫌われるようなことをしてはならぬとお思いなのでございます」

「嫌うも嫌われるもあるか。会話もせぬでよう言うわ。わらわはよく知らぬ男のことを嫌いもせぬが好きにもならぬ」

「もっとあけすけに申し上げるならば、あのお方は見た目のわりにああいう性格ですので、不用意に口を開けば落胆されるとお思いです」


 彼女もさほど丁寧に王を敬っているわけではないと見た。麗梅は彼女のこういうところが好きだ。自分の認識と彼女の認識にはそう差異はない。


「少しお時間をいただいて、ゆっくり距離を詰められれば、と」

「夫婦生活をしとうないというわけではないのだな。一目惚れならぬ一目嫌いではないと」

「もちろんでございます。ただ、まずはリーメイ様にアルヤ王国での暮らしに慣れていただいて――」

「もうよい」


 手の平を見せながら手を振る。


「わらわがアルヤ王国に慣れ親しんでおるということを主張してやれば考えを改めるかもしれぬということであろう。わらわはわらわなりに今できることをしようと思う」


 シャフラがその場で膝をつきつつ、「申し訳ございません」とさらに深く頭を下げた。


「で、そなたに聞きたいことがある」

「何なりと」

「あやつ、ユングヴィ、と申しておったな」


 その名を口に出すと、シャフラは弾かれたように顔を上げた。その反応から察するによほど特別な人物の名前であると見た。麗梅の耳には初めて入った人名だ。何か深い事情があるに違いない。


「あまりアルヤ人らしからぬ名のように思うが」

「おそらくかのお方のご両親が王家の人物から名を取ったからだと思われます、王家はもともとアルヤ人の血筋ではございませんので。かといって血縁関係どころか縁もゆかりもまったくなかったかと思われますが」

「何ぞ特別な人間なのだな」


 麗梅はにやりと笑った。


「女か」


 するとシャフラは「女性ではありますが」とさらりと答えた。


「ご想像されているような間柄ではございません。陛下が御幼少の頃に子守をしていた女性でございます」

「なんと!」


 予想外の回答に麗梅は跳ね起きた。


乳母めのとか」

「というわけではございませんが――話せば長くなるのですが、端的に申しますと、十三年前、陛下が六歳の時、帝国の占領統治のせいで宮殿にはいられぬということになり、先の第一王妃様――陛下の実母であらせられるお方――がそのお方にお預けになったのです」

「ほう」

「十三年前の時そのお方はまだ御年十六の独身で、乳を与えたというわけではないのですが、陛下は実の母君かのように深く慕っておいでで、最近にも半年ほどご静養のために一緒に生活したりなどしておりました」

「子守姐やか。しかし実質母親であると申すのだな。やはり乳母として丁重に扱わねばならぬ」

「はあ、まあ、言われてみれば、さようでございますね」


 慌てて衣服を手で払って整え、「こうしてはおれぬ」と呟く。


「今すぐ挨拶に参るぞ」


 シャフラは驚いたのか目を丸くして「なぜでございますか」と素っ頓狂な声を上げた。麗梅は「油断しておった」と顔をしかめた。


「夫の母とは姑ぞ! 嫁いだら真っ先に調略せねばならぬ相手である! それを無視しておったとはソウェイルの心証も良くなかろう!」

「まあ。そのようなこと、エカチェリーナ様は微塵もお考えにならなかったようですよ」

「よその女のことは知らぬ! わらわは姑に取り入らねばならぬ、そうしてソウェイルを囲い込んでゆくのだ」


 そう言うと、シャフラは今度、口元に手を当て声を上げながらころころと笑った。今日はシャフラのいろんな面を見られる日だ。


「して、その乳母はどのような身分の女ぞ? 王を育てたとなればさぞかし高貴な身分の女であろうな」

「いえ、庶民の――もっと言ってしまうのならば貧しい階層の出の女性でございますが、ここにはアルヤ王国ならではの事情がございまして。この辺りが話せば長くなるのです」

「いまさら隠してもよいことなどないぞ」

「重ねて申し上げますが、長くなりますわ。お時間を頂戴してよろしいのですか」


 麗梅は悩んだ。一刻も早くユングヴィとやらに会いに行きたいのだ。


「その者はどこに住んでおる?」

「王都の北辺、武家屋敷街に住んでおいでです。ここからは馬車でも半刻も致しません」

「今すぐ手配せよ」

「お子がたくさんいてすぐこちらにおいでになれるとは限りませんが――」

「何を申すか、挨拶に参るのだぞ。わらわからその者の家に行くのだ」


 シャフラがまた「まあ!」と声を上げた。


「そのようなこと王妃様がなさることですか! かのお方は今は一応王の臣下の者でございますよ」

「だが王は実の母と思うておるのだろう」


 麗梅が押すと、シャフラは肩をすくめた。


「承知致しました。リーメイ様がユングヴィ将軍のお宅にお出掛けになられるよう、今から支度を致しますわ」



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