第6話 シャフラからの聞き取り調査

 蒼宮殿は巨大な宮殿で、内部はいくつもの区画から成り立っているらしい。

 一番北の建物が後宮ハレムに当たり、そのひとつ手前が男性王族の居住区となっている。


 九つの噴水を要する美しいアルヤ式庭園を過ぎ、後宮の手前に辿り着いたところで、麗梅リーメイは輿から下ろされた。

 この先は許可された形式でしか入れない。未来の王妃といえども徒歩で従者たちを引き連れて歩くものだと言う。

 麗梅が後宮ハレムまで連れてきたのは髪結いの小鈴シャオリンだけだ。国境までは華民族の兵士が数え切れないほどついてきていたが、国境からは白い制服のアルヤ人兵士が護衛についている。


 シャフラと二人並んで回廊を歩く。


 外は小さな中庭だ。小さな、と言っても先ほど見た中庭よりも二回りほど小さいだけで、それでも五つ十字型に並んだ噴水のある庭は美しく、砂漠の中にあって水と緑の楽園と謳われるゆえんを感じた。


 小鈴が咳払いをした。麗梅が物見遊山ものみゆさん気分であることに気づいたのであろう。


 涼しげな顔で前を向いて歩くシャフラを見る。

 案内のため一歩前を歩いているが、麗梅を差し置いて先に進もうというわけでもないようで、麗梅が少し遅れているのに気づいて立ち止まり、振り向いた。


「大したことではない、アルヤ式庭園というものが物珍しゅうてな」

「それはありがたきお言葉、今後いくらでも愛でられませ。リーメイ様のお部屋からもお庭をご覧になれます、ご要望ならお好きな花を植えさせましょう」

「さようか。では梅の木を植えよ。持ち込もうかと思うたがこのエスファーナの市で買えると聞いておる」

「承知致しました、すぐにその旨手配致します」


 それにしても、表情の変わらない女だ。アルヤ女というものはこういうものなのであろうか。


 そうこうしているうちに一行は後宮ハレムの中に入った。


 麗梅の世話のために特別に集められた女たちが一斉に廊下に並び、麗梅に向かって首を垂れる。

 女たちは皆一様に大きな目と厚い唇、高い鼻をしている。やはりこういう顔立ちがアルヤでは美しいと言われているのであろう。麗梅は一瞬ひやりとしたが――何せ麗梅は華国では最高に美しいとされている細い目に小さな鼻と唇の持ち主なので――しかしまことの美を解する者はそのような些末な文化など乗り越えるものだ。


 こちらの女たちはだいたい愛想よく微笑んでいる。シャフラが変わった性格なのかもしれない。


「シャフラよ。そなたにいくつか訊ねたいことがあるが、よいか」


 シャフラが立ち止まって振り返ろうとしたので、麗梅は手の平を見せて「よい、歩いたまま聞け」と制止した。


「何なりと」

「では、まず。そなたは正式にはどのような役職の身分なのであろう? 我が父上様に書簡を送りつけるなど普通の女ではあるまいな」


 正確には、最初の書簡を送ってよこしたのはアルヤ王本人だ。

 内容といい捧げ持ってきた使者たちの言葉といい、麗梅の父である皇帝はアルヤ王本人の手によるものと判断して真剣に受け取った。体裁も一国の王が皇帝に奉るものとしては正しい書式で、父は相手をまともな国のまともな王であると認識したようである。


 ところがその内容がまた突飛で、皇帝は最初面喰らっていた。


 はるか彼方西方の国に誰が好き好んで公主を送り込むというのか。


 とはいえ――確かに、西方のサータム帝国や北方のノーヴァヤ・ロジーナ帝国を仮想敵国としているのなら、アルヤ王国は東方と同盟を結ぶべきだ。

 こちらとしてもけして損な話ではない。サータム人やロジーナ人の矛先がいつ大華帝国に向かうやもしれぬ。そうなった時はアルヤ王国を盾にするのがよろしい。


 しばしの間逡巡したのち、皇帝は若きアルヤ王の考えを汲んで七人もいる金食い虫もとい公主の一人を選んで降嫁させることを決意した。


 そこから先、アルヤ王と大華皇帝の間に一人の書記が入ってきた。それがシャフラだ。聞くところによれば女性だという。あまりのことに皇帝はまた面喰らったようだが、曰く「おなごが強い国は栄える」。


「わたくしは王の秘書官の一人でございます」

「秘書官? 王の日頃の政務を管理しておると申すか」

「さようでございます。王の公務の段取りをつけるのが主な職務で、王のご用命があれば何でも屋のようなことも致しますが――ご心配なさらず、わたくしは後宮ハレムの女ではございません」


 麗梅は姿勢を正すつもりで背筋を伸ばした。この女は並みの女ではない。


「しかししばらくはリーメイ様にお仕えするよう指示されております。リーメイ様がアルヤ王国に慣れられるまで少しお時間が必要であると陛下はお考えです。その間お前が何くれとなく王国や王のことをお話しするように、と申し付かっております」

「なるほど。ありがたい申し出、遠慮なくお受けするぞ。その代わりそなたもわらわに対して遠慮はせぬでよい。この小鈴シャオリンの物言いも見ておったであろう?」


 名を呼ばれた小鈴が歩いたまま簡単に拝手のような仕草をした。


「ありがとうございます。では、そのように」


 自分から言ったことだが、素直に受けるとは、図々しい女だ。アルヤ女がすべてこのようであれば自分は相当戦わねばなるまい。


「重ねて聞くが、そなたは男に交じって働いておるのだな? 後宮ハレムの女ではなく」

「はい、さようでございます」

後宮ハレムには今何人の女がおるのだ」


 シャフラに近づいて、「一人ということはあるまい」と小声で話し掛けた。前情報では、ロジーナ人の女が一人いる、ということだったが、これほど巨大な宮殿で暮らす豊かな王が一人しか女を囲わないというのは想像しがたかった。


「お一人でございます」


 彼女はやはり涼しい顔で答えた。


「ノーヴァヤ・ロジーナの皇女でありアルヤ王国第一王妃であらせられるエカチェリーナ様だけにございます。他に妃はなく、また、今は、愛妾の類もおりませんね」


 今は、を強調したことが引っ掛かる。


「過去にはおったのだな」


 シャフラは素直に「はい」と答えた。


「正確には、ご正室のエカチェリーナ様のほかに側室が一人おりました。カノ、という名前のアルヤ人とラクータ人の混血の女です。ですが去年後宮ハレムから失踪しまして、今はおりません」


 麗梅は唸った。


「さようなこと、大きな声で言うでない。それではまるで後宮ハレムの警備に穴があるかのようである。控えよ」

「いいえ、はっきりと申し上げます。あの時この宮殿は狂っておりました。誰かが手引きしたとてもおかしくありません。もちろん誰が手引きしたのか判明し次第処分しなければならぬことではございますが、今のところ手掛かりがつかめません」

「身分の高い者が握り潰しておるのだな」


 そして、この後宮ハレムにおいてもっとも身分が高いのは正室であるエカチェリーナだ。

 たかぶってきた。これは腕が鳴る。


「それにしてもそなた、ずいぶんはっきり物を言う。そなたもさぞや身分の高い家の人間なのであろうな」


 かまをかけたつもりだったが、彼女はいとも簡単に「はい」と答えた。


「わたくしの祖父は前貴族院議長です」


 あらかじめアルヤ王国の政治体制を下調べしておいてよかった。そういえば、この国は議会制を敷いているのだ。その議会の議長となれば相当なものであろう。


「ですがリーメイ様、繰り返し申し上げておきます。わたくしは陛下の愛妾ではございません。皆そのように申しますが、惑わされぬようお気をつけください」

「うむ」


 見透かされていたように感じて押し黙る。


「リーメイ様もご正室でいらっしゃいます。第一、第二と呼び分けられますが、けしてエカチェリーナ様より劣った身分ではございません。リーメイ様も後宮ハレムの最高の地位であることには違いないのです。唯一対等なのがエカチェリーナ様ということですが、この点につきましてはまた後ほど――また後日にでも、エカチェリーナ様とお会いなさればよろしいかと」


 唾を飲んでから頷く。武者震いがしてきた。


「承知した。手配するように」

「かしこまりました」


 階段を上がった。二階の回廊からは大きな窓から街並みと遠くの河、そしてさらに向こう側の山が見えた。なかなかいい景色だ。


「リーメイ様のお住まいはここから先でございます。この辺り一区画、すべてリーメイ様がお使いになられるように、と陛下は仰せです」

「さようか」

「詳しくはまたご案内しますが、まずお休みになられる主寝室ですね」


 数歩行った先で立ち止まり、大きな扉を開けた。


 中を覗き込むと、赤と金を基調にした内装に青磁器や螺鈿の棚などを置いた部屋が広がっていた。予想外に華風であった。王はなかなかの勉強家と見える。

 だが麗梅は面白くなかった。


「よい。アルヤ王国からしたらかようなものは輸入品であろう。わらわはこのような贅は好まぬ。これ以上の家具調度は必要ないと王に申せ」


 シャフラが初めて黙った。一拍間を置いたところから少しの困惑が見て取れた。


 紫檀の寝台が置かれている。どこかで見たことのあるような寝台だ。


「アルヤ風の内装に変えよ。アルヤ絨毯を敷き、アルヤ織物の壁掛けを掛けるように。それがわらわの最初で最後の部屋への注文である」


 単に異国情緒を味わいたいだけだったが、シャフラは「かしこまりました、ありがたきお言葉」と言いながら深く首を垂れた。


「アルヤ人はアルヤ絨毯の上では靴を脱いで生活しますが、それでよろしいのですね」

「さような細かい習わしを教えてくれると助かる。日常の細かなところは書物に書かれておらぬ」

「承知致しました」


 更紗の窓掛けを開けたり閉めたりする。確かに庭が見えた。細い水路が流れており、植え込みの緑も手入れされている。申し分ない。


「ですが今しばらくはこのお部屋で少し休まれませ。ご注文のものは明日届くよう今から手配致します、また夕食の時にお伺いしますので。ご納得いただけないお部屋で恐縮でございますが」

「よいぞ。わらわはそこまでわがままを言う女ではない。そなたも下がるがいい」


 シャフラが「はい」と言って踵を返した。

 その背中を、麗梅は「あ!」と呼び止めた。


「最後にひとつ聞きたいのだが」

「はい、何なりと」

「ここだけの話――」


 ここに至るまでに出会った女官たちを見て思ったのだが、彼女たちは砂漠の民らしく分厚い布の禁欲的な服を着ているにもかかわらず、


「アルヤ王国では胸の豊満な女がよいとされておるのか」


 一見したところ、シャフラも厚そうな布の下にほんのり小山が二つあるのを臭わせるように張り出している。


 シャフラは一瞬目を逸らした。言いにくいようだった。


 麗梅の胸が扁平だからであろう。


「……まあ、その、殿方にもいろいろ好みがあるかと思いますが……、まあ、そうでございますわね……、アルヤ人は全体的に、平均的に体の大きな民族ですので、さほどお気になさらずとも――」

「はっきり申せ。先ほどまでの勢いはどうした」


 寝台に身を投げながら「そのカノとかいう側室はどうであったのだ」と問いただした。シャフラは小さな声で答えた。


「わたくしなどよりずっと、豊満な女でございました」

「もうよい! 下がれ!」


 シャフラが「失礼致します」と言いながら部屋を出ていった。小鈴と部屋に二人残された。


「胸は! 平らな方が! 上品であろうが!」

「まことにお気の毒に……」



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