第4話 ご安心ください、いつものソウェイルです

 二階にいるソウェイルと目が合った。

 普段は比較的表情の変化に乏しい彼にしては珍しく、ぱっと笑みを作った。


「オルティ!」


 名前を呼びながら階段を駆け下りてくる。


 オルティはソウェイルの体調が良さそうであることに安堵しつつ、階下の小さな中庭でソウェイルが下りてくるのを待った。


 ソウェイルの革の靴の先端が階段の終わりに辿り着く。


 よほど機嫌がいいらしい、彼はなぜかその場でくるっと一回転した。

 南方の民族は男でも丈の長い服を着る。今のソウェイルもアルヤ人の民族衣装で、上着の丈が膝下まであるようだ。服の裾が円形に広がる。草原で夏至祭りの火に舞い踊っていた乙女たちを思い出して、オルティは少し心和むのを感じた――が、すぐさま同い年の男だということを思い出して真顔になった。ソウェイルは本当に何をし出すか分からない。


 ソウェイルが抱きつこうと腕を伸ばしてきたので、額の辺りに掌底が当たるように手を伸ばした。狙いどおりオルティの手がソウェイルの額を打った。ソウェイルが「なんで?」と呟きながら後ろによろめいた。


「ご機嫌だな。まあ、気持ちは分かるが」

「そう、そうなんだ! これで俺はお休みだ! お昼寝もできる! お料理もできる!」

「そういうことじゃないだろ?」

「ごめんなさい……政治もします……」

「そうじゃ――いや、そういうことなんだが……何だろうな、どう突っ込んだらいいんだろうな」


 結局抱きついてきたので、オルティは溜息をつきながら受け止めた。仕方がない、アルヤ人という連中が身体距離の近い民族なのである。この何ヶ月かでも何十回王都のあちこちで顔見知りの人懐こいアルヤ男に抱き締められたかしれない。


 ふと、それでも一緒に喜んでやりたい気持ちが沸き起こってきたので、軽く抱き締め返して、蒼い後頭部を撫でてやった。ソウェイルの頭から蒼い帽子が転げ落ちた。


「やっとイブラヒムを追い出したな」


 九年の長きにわたってアルヤ王国に君臨し統治した総督――執政イブラヒムが、とうとう蒼宮殿を出てサータム帝国の都に帰っていったのだ。


「おめでとう」


 すると、ソウェイルがオルティから体を離しながら「えっ」と言った。蒼い瞳が丸くなっている。


「それは別にめでたくない」

「なぜだ!? お前が何を考えているのかぜんぜん分からん!」

「なんで? 執政が帰っちゃったからアルヤ王国にサータム人の偉い人がいなくなっちゃっただろ。戦争とか始まった時に人質を取れなくなる」


 オルティは唖然とした。あのおとなしいソウェイルからそんな物騒な発言を聞くとは思っていなかったのだ。


 ソウェイルの表情が無表情に戻っていく。とはいえ別に怒っているわけではない。感情表現が不得手なだけで、オルティからすればいつものソウェイルだ。


「戦争しないけど。お金がかかることはしない。俺は節約志向で生きていく」

「言いたいことは分かるが――お前は執政から何を学習したんだ?」


 少しのあいだ、間が開いた。


「もう一回聞くぞ。お前、この数ヶ月間、執政の酒姫サーキイの真似事をして、執政から何を学んだんだ?」

「えーっと……、サータム語を?」


 思い切りソウェイルの頬をはたいた。ソウェイルが「いったぁ」と呟いた。


「さてはお前、何も考えていないな?」

「バレたか」

「バレたか、じゃない! どうしてお前はそうなんだ!」

「待って、待ってくれ、ぶたないでくれ! 違うんだ、いろいろあったんだけど、言葉では説明できないんだ」


 また殴られると思ったのか、ソウェイルが自分の顔面の前で腕を交差した。

 オルティはそんなソウェイルの肩をぽんぽんと優しく叩いた。


「自分が自分のことを言葉で説明できないと理解しただけ成長を感じた。お前も大人になったんだな。ちゃんと説明できないと説明できた。俺はお前を褒めてやる」

「めちゃくちゃ馬鹿にしてないか?」


 ソウェイルが地面に落ちた自分の帽子を拾う。


「まあ、でも、ほんとに。俺、別に今執政に出ていってほしいとは思わなかったな。もっと執政とやりたいことがあったというか、何て言うか――」

「そうか? お前、思い切り政権を奪取されていただろうが」

「って言っても、執政、結局アルヤ王国が外国と戦争しないように九年もの間大陸の均衡を保ってくれたんだよな。フェイフューの分は痛手だったけど、どのみち王は一人でないといけないんだ。俺は、執政が――というより、サータム帝国が悪だとは思わない」


 いろんなことを割り切って感情が排除された回答に、オルティは一人で腕組みをしながら「確かにな」と頷いた。


「この先税率が変わるなら話は別だけど、ロジーナ人と戦争するくらいだったら帝国に朝貢する方がアルヤ王国の負担は少ないと判断した。まだもうちょっと寄生できるぞ」


 そして、ふ、と笑う。その笑みはぞっとしてしまうほど邪悪で、オルティは『蒼き太陽』という存在が本来アルヤ人にとっていかなるものなのか思い出しそうになってしまった。


「この先何年かまだ俺が貯金しつつ勉強して、なおかつ、アルヤ王国にとってサータム帝国にお金を払うより得な状況が生まれた時。その時こそ――見てろよ。フェイフューの分、取り返させてもらうからな」


 異教の神であり司祭である――魔術師だ。


「って感じ」


 しかし、また帽子をかぶった頃にはそんな雰囲気も消え失せ、見慣れた昼行灯が戻ってくる。


「それに、なんか、帝国の中がまた後継者争いの兄弟殺しが始まるっぽくてな。火傷するから触らないでおこうな」

「そうだったな、それで執政は帰るはめになったんだった。別にお前が積極的に追い出したわけじゃないんだ」

「そうそう。で、そうなったら、次の皇帝がどんな人かにもよってまた話が変わる」


 一人で「よけーなことしないどこー」と言う様子は幼くすらある。


「わかんない。アルヤ王国を潰したい皇子が皇帝になるんならすぐ戦争する準備しなくちゃいけなくなるし」


 そこで、彼は「で」と問い掛けてきた。


「そっちはどんな塩梅あんばい? 今戦争して戦士たちは掻き集められそう?」


 オルティは一度唇を引き結んでから、この数ヶ月間のことを思い返した。


「五分五分だ」

「そっか……そんな簡単に話は進まないか」

「お前の読みはあながち間違ってはいなかった。もともとアルヤ王国に定住していた連中――いわゆる定住チュルカ人とかチュルカ系アルヤ人とかいう連中と、平原から来た遊牧チュルカ人の相性が悪いのは確かだ。遊牧チュルカ人をまとめて黒軍に引き取れたら、引き取られる側の方も気が楽かもしれない、というのも。もともと黒軍は軍人奴隷ゴラーム部隊で隊長がサヴァシュ将軍だからな」

「うん、そう。サヴァシュは信用あるの」

「信用ないのはお前なんだよな……」

「うん、そうなの……。だからたぶん俺がお給料払うぞって言っても『蒼き太陽』なんか何それって感じの人たちが信用してくれるわけないんだよな……」

「そう……そうなんだよな……俺が言いにくかった部分を全部お前が自分で勝手に言ってくれたから今心が軽くなった」


 オルティは一人で何となく頷きながら「まあ、どこもかしこもそんな塩梅だ」とまとめた。


「すべての部族を回り切ることはできなかったが、とりあえず、当たれた部族は全部当たったぞ。どことも喧嘩しなかったからな。うんとは言わせられなかったが、俺はやれるだけのことはやった」


 ソウェイルが微笑んだ。


「ありがとう」


 こういう男だから、オルティは彼を憎めないのだ。


「なんならこれからまだ続きをやってくるぞ。きりがないのは分かっているが、中途半端な気もしてな」

「いや、中断してくれ。本来の白軍兵士としての職務に戻ってほしい」


 手の先をひらひらさせながら「ちょっとやりたいことがある」と言う。オルティは少し期待してその言葉の続きを待った。


 ところがそこで割って入ってくる者がある。


「陛下!」


 ソウェイルが下りてきたのとは反対側、別の階段から駆け下りてくる影があった。


 オルティは目を丸くした。


 丈が長く白い服をまとい、その上から色鮮やかな胴着ベストを着て、長く豊かな黒髪の上に申し訳程度に布をかぶった女が下りてきたのだ。

 黒めがちな大きな目、高い鼻筋、こじんまりとした赤い唇――シャフラだ。


 胸を撫で下ろした。


 最後に言葉を交わした数ヶ月前のシャフラはひどい有様だった。荒れた肌を分厚い化粧で隠し、人目を避けて暗い服を着てがりがりに痩せた体をごまかしていた。

 それが今は肌の色も服の色も明るくなり、頬が妙齢の女性らしくふっくらとして見えた。


 また、会えた。

 もう二度と、会えないかもしれないと思っていた。


「シャフラ!」


 ソウェイルが手を振る。シャフラが駆け寄ってくる。


「もう二度と宮殿に呼んでくださらないかと思っておりましたわ! 何の音沙汰もいただけないのですもの。お父様は陛下が酒姫サーキイになったなどと物騒なことをおっしゃるし」

「えっちなことはしてないからだいじょうぶだ」

「そういう問題ではございませんわ、このぽんこつ。まあわたくしは構いませんけれども、これからきちんと仕事をしてくださるとおっしゃるのならば」

「がんばる」


 ソウェイルは「で、シャフラはどんな休暇だった?」と話題を変えた。オルティは、ごまかした、と思ったが、シャフラは深く突っ込まずに胸を張った。


「たくさん本を読んでおいしいものをいただいてお父様やお兄様と南部に旅行も致しましたの。うらやんでくださってもよろしくてよ」


 思わず笑ってしまった。今のシャフラがオルティのよく知っているいつものシャフラだったからだ。


「でももう充分。退屈で儚くなるところでしたわ」

「そりゃよかった」


 そこで、にこ、と微笑んで、


「ではさっそく、シャフラちゃんにお仕事をひとつお願いするぞ」


 シャフラが目を丸くした。

 ソウェイルは、口元は微笑んではいたが、目は、笑っていなかった。


「今すぐ王妃を見繕ってくれ」


 オルティも唖然とした。


「執政の次の代官が来る前に、すすんでアルヤ語を話す、改宗に抵抗のない、うちと国交を結びたいであろう――それから何より、俺の息子を産んでくれる女性を大至急手配してくれ」


 ソウェイルはまったく笑っていなかったのだ。


「早く。一刻も早く。サータム帝国の外で、ノーヴァヤ・ロジーナ帝国とは関係のない国と、国交を結ぶぞ。帝国が内紛でごたごたしていて俺の身辺に口を出せない今のうちに、だ」


 シャフラが震える声で言う。


「わたくしが、ですか」

「そう」


 即答だった。


「お前の裁量で決めた女と結婚する。よろしく頼む」




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