第10話 王様っていうのはどんなお仕事をしてますか?

 話し声が聞こえてきた。


「――たんだ、それ」

「物置きにあった箪笥たんすを解体した。たぶん、前の家――ホスローが生まれる前に住んでいた家にあった箪笥だと思う。でも、今、もう、使ってないから、いい。再利用する」

「母ちゃんのキョカ取った?」

「取ってない」

「母ちゃんが知ったらぜってー怒るぜ」

「だいじょうぶ。絶対に怒らない、ユングヴィは俺が可愛いから」


 うっすらまぶたを持ち上げた。


 ユングヴィはソウェイルの寝台の上に横向きに寝転がっている。

 そのユングヴィから見てこちらに背中を向けた状態で、ソウェイルとホスローが二人横に並んで床に座っている。


 あぐらをかいて座るソウェイルの周りに、無惨にもただの板になった箪笥の残骸が転がっている。彼の言うとおり前に住んでいた家から持ち出した数少ない家具のうちのひとつだ。ソウェイルの父親である先の王に買い与えられたかなり高価なものである。確かに使っていなかったが、子供が増えたらまた使うかもしれないと思って物置き部屋の奥にしまっておいたのだ。


 この部屋には少年の頃のソウェイルが工作をするために買い集めた工具がある。のこぎりに小刀、やすりやつち――ちょっとした木工をするくらいならなんともない。


 やられた、と思った。


 やらかしたのがホスローだったら素直に怒り狂えたかもしれない。だが、工作の好きなソウェイルが、それも病身に鞭打ってやりたいことをしているのだ、と思うと、ユングヴィは怒れない。

 そして彼はユングヴィがそう思うという確信を抱いてやっている。

 腹の立つ子だ。それでも憎めないのがまた悔しい。


 ホスローが時々ソウェイルに話し掛ける。ソウェイルはそれに応対しながらも右手を動かし続けている。


 箪笥が勝手に解体されたのは悲しいが、ソウェイルとホスローが並んで穏やかな会話をしている様子を見られたのは嬉しい。この兄弟が平和なら多少のことはいいだろうと思える。そこまで計算してやっているのならソウェイルは恐ろしい子だ。


「――なあ、兄ちゃん、きいてもいい?」


 ホスローの声は落ち着いている。いつもの弾むような声とは違う。実は彼もふざけずに話すことができるのだ。新発見だった。


「なに?」

「兄ちゃんの親って何してんの?」


 ソウェイルの手が一瞬止まった。


「俺の、親?」

「そう、兄ちゃんをうんだ方の親。血がつながってる方の」


 ユングヴィは眉間にしわを寄せた。


「え……知らないのか……?」


 アルヤ王国民として風上に置けない奴だ。


「俺、親のこと訊かれたの、人生で初めてだ」

「なんで? みんな兄ちゃんの親にきょうみないのかな。ずっとうちにいてへんだって言われない?」

「ゆわれない……」


 作業を再開しつつ、「そっか、ホスローは知らないのか」と呟く。


「まあ、いいことなのかも。それだけアルヤ王国が戦争してないってことなんだろう。そういえば、ホスローが生まれてからは外国とは一回も戦争してないな。一瞬内戦っぽくなったことはあったけど、まあ、少なくともサータム帝国とは戦争していない」

「どういうこと? せんそうで死んだの?」

「そう。戦争で死んだ」


 ホスローが黙った。

 ソウェイルは何かを削っているのだろうか、せわしなく手を前後させながら話し続けている。


「実は、俺の血がつながっている方の父親は、前の王様なんだ」

「えっ、そうなの!? ぜんぜん知らなかった! だから兄ちゃんがあとをついだの?」

「たぶんそんな感じ。まあ、なんかこう、髪の毛のこととか、弟のこととか、すごーくいろんなことがあったから、単純に跡を継いだって感じではないけど……。うー、今思えば、父上が何があっても問答無用でソウェイルに継がせるっていう証書を書いといてくれたらサイコーに楽だったな。あ、今決めた、俺は将来息子が生まれたらそうゆうの書こう」


 たった今政治的に重大なことが決まった気がするが、おそらく分かっていないホスローは「ふうん」で流した。


「兄ちゃんの親、王さまで、せんそうで死んだのか。せんそうの何で死んだの? たたかったの? せんし?」

「王様は戦争で負けたら敵に首を刎ねられるんだ」

「なんで?」

「敵の国がよその国を自分のものにする時は、その国で一番偉い人を殺してその席を乗っ取るんだ」

「王さまって国で一番えらいの?」

「……あれ? 王って一番偉いのか? あんまり意識したことないな。そうか、俺、偉いのかも……わかんないけど……なんかなんとなくイブラヒム執政の方が偉そうじゃない? いや、そうでもないのか……?」


 社会を知らない八歳のホスローとの問答のおかげで、ソウェイルの中でも何かが深まっている様子だ。聞いているだけでもなかなか面白い。


「なあ、王さまって何する人? どんな仕事してるんだ?」

「んん……そうだな……最近あんまり真面目に働いてなかったけど――」


 少しだけ間が開く。


「一番大きな仕事は、法律を施行すること、かもしれない。王が法律を作ることもあるけど、アルヤ王国は基本的に貴族院が法律を作ることになっていて、それをいいとかだめとか言って、やるかやらないかを決めるのが王の一番の仕事――だと思う。それから、法律に照らし合わせて、法律違反の人を罰するのも。たぶんだけど。最近全部執政がやってるから俺は知らないけど」

「ホウリツってなに?」

「その国の中で生活するにあたって守らなくちゃいけないこと。たとえば、アルヤ王国では、商売を始める時、お店を開く時に国にお金を払わなくちゃいけない。あと、子供が生まれたら、お寺に届け出をして住民台帳に名前を載せなきゃいけない。もちろん、人殺しをしたり放火したりしちゃいけない、というのも決まってる」

「キュウデンで立ちションしちゃいけないとかも?」

「それは不文律というやつだ。ちなみに不文律というのは、どこにも書いてないけど、なんとなくみんなが守ってる掟のこと」

「書いといた方がいいぜ」

「そうする……今度宮殿で立ちションしちゃいけないって法律を作ることにする……」


 笑ってしまいそうになるのをこらえる。寝ているふりを続ける。


「あと、税金をいくら取るか、何に使うか決めるのも王の仕事」

「ぜいきんってなに?」

「払う人の職業によって変わるけど、アルヤ王国は金貨で納める人が多いと思う。あと麦とか絹」

「めっちゃ稼げるじゃん」

「そう、アルヤ王国は商売をする人が多いから、現金ががっぽがっぽ入ってくる。そのお金でお前の父ちゃんと母ちゃんはお前らを食わせている。よーく覚えておいてくれ」

「王さまはぜいたくできるんだな」

「しちゃいけない。人の金で何やってるんだって言われる。でもあんまり使わなさすぎて貧乏そうでもナメられるから良くない。ちょうどいい塩梅あんばいを見極めなきゃいけない。これがとっても頭を使うから俺は苦手だ。だから案を作るところまではシャフラちゃんにお願いしてる。どうせ最後は執政がああでもないこうでもないって言って直すから、ぜんぜんシャフラちゃんが考えたとおりにはならないんだけど」

「そのシャフラちゃんって人すごい美人なんだろ!? 今度会わせてくれよ!」

「いいぞ。連れてきてやる」


 ユングヴィも期待しておこうと思った。あのオルティの花嫁候補だ、よく見ておかなければならない。


「本当は――本当は、王のすごくすごく大きくて大事な仕事に、外国からのお客さんと会う、というのがあるんだけど、これはイブラヒム執政が嫌がるからしたことがない。よその国の王とか皇帝とかと会っておしゃべりしたりお食事したりして仲良くなった方がいいんだけど、これは俺はさせてもらったことがない」

「いいじゃん。兄ちゃんあんまり知らない人としゃべるの得意じゃないじゃん。それこそシャフラちゃんにやってもらった方がいいぜ。みんなきれいなお姉さんとしゃべりたいに決まってるし」

「…………」


 ソウェイルはしばらく無言で板を削った。


「……まあ、アルヤ王の場合は他にお寺の行事とかがすごくすごくすごくたくさんあるんだけど、とりあえず、政治のことは大雑把に言うとこんな感じ」

「ふうん。めっちゃ勉強になった」


 ユングヴィにとっても為になった。実は、ユングヴィも国王が何をするのか具体的なことは知らなかったのだ。存在することに意味があるのであって、王に政治活動が求められることさえ分かっていなかった。

 彼自身はお寺の行事と説明した宗教的行為、『蒼き太陽』として、祭司としての仕事があることは知っていた。だが、逆に言えば、ユングヴィは十神剣として参加したことのある宗教行事でのアルヤ王しか見たことがない。宗教行事がない時に王が何をしているのか理解できていなかった。


「なんだかいろいろやることあるなぁ。頭良くなきゃいけないな」

「そう。俺は頭がよくないからたいへん。頭のいい人にやってもらえばよかったっていっつも思ってる」

「やめられないのか?」


 また、沈黙する。


「兄ちゃん、王さまやめて、うちにいたらいいじゃん。そういうの作ったり、料理したり、つくろいものしたりして生活すれば?」


 ユングヴィも、そう思う。

 法律を覚えたり、金勘定をしたり、何より人と折衝したりすることがソウェイルに向いているとは思えなかった。最初からそういう仕事が主になると知っていたらソウェイルに王になってほしいとは言わなかったかもしれない。

 フェイフューの方が向いていた、と思ってしまったかもしれない。


 大人でありアルヤ王国臣民としての生活が長いユングヴィは、『蒼き太陽』がアルヤ王を辞めるなどということはできないのを知っている。『蒼き太陽』でなくても、アルヤ王が王の血筋に連なる者でなくなったら大変なことになる。アルヤ王国には王が必要で、そうでなかったら戦争で流れた血が報われない。


 イブラヒムの顔が浮かぶ。


 ソウェイルは何とも答えなかった。


「……どうだろうなぁ……」


 そんな曖昧な返事をして濁した。




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