第15話 男三人裸の付き合い
最近のオルティからすると、そもそもこの世の中にアルヤ人とチュルカ人という区分が本当にあるのか疑問だが、一般論で言えば――たとえば、アルヤ人をアルヤ高原で定住していて日常語としてアルヤ語を喋っている民族と定義し、チュルカ人をチュルカ平原で遊牧していて日常語としてチュルカ語を喋っている民族と定義するなら――チュルカ人よりアルヤ人の方が背が高い。
サヴァシュ、オルティ、ソウェイルの三人も例に漏れず、身長だけで言うなら、ソウェイルが一番高い。サヴァシュとオルティは同じくらいであり、強いて言えばオルティの方がやや大きい、という程度の違いだが、ソウェイルはその二人を親指ひとつ分上回る。
だが、服を脱いで三人横に並ぶと、ソウェイルよりサヴァシュの方が大きく見える。
ソウェイルがひと回り以上華奢だからだ。
首も腰も細く、肩も若干撫で肩寄りで、身長ばかりがひょろひょろと高い。これでもユングヴィの家に帰して以来かなり体重を増やしたと思うが、やはり根っこの部分は三年前のあの少女のように小さくてか弱かった少年の延長線上なのだと思わされる。
ソウェイルはひとより成長が遅かった。彼の身長がオルティを上回ったのは去年だか一昨年、十七歳も半ばを過ぎてからだ。したがって頑張ればまだ成長できる気がする――ソウェイル王を
「あれ? ソウェイルの方がでかいのか」
サヴァシュが、右手をソウェイルの頭にのせ、左手をオルティの頭にのせる。
押さえつけるように撫でられた。
抵抗はできない。根拠はないが、サヴァシュに対して、子供扱いするな、とか、いきなり頭に触るな、とか、そういう反抗的な態度を取ってはいけない気がする。サヴァシュは自分たちにとっては圧倒的な力のある存在で、どれだけ成長しようとも乗り越えることのできない壁なのだ。
「髪質の問題か? オルティの方が頭がでかく見えるからオルティの方がでかいと思っていたのか」
オルティはチュルカ人によくいる黒い直毛だが、耳が出るほど短くしているせいか毛先がつんつんと外はねしてしまうのだ。
対するソウェイルの蒼い毛は濡らさなくてもしっとりとして見え、長い後ろ髪を三つ編みにまとめているためかどことなく平らな印象になる。
こうして真正面から向き合ってみると、自分よりサヴァシュの方がほんの少し目線が下だ。
けれどやはり勝てる気はしない。
骨が少し長いくらいではサヴァシュに太刀打ちできない。骨の太さ、筋肉の量、脂肪の量、髪や体毛の量、積み上げてきた経験、生来の性格、そして何より貫禄――身長の以外のすべての面でサヴァシュはオルティやソウェイルのような若造よりずっと大きい。
脱衣所から浴室に入ってすぐのところだ。人の出入りがある。成人男性が三人突っ立っていたら邪魔だろう。しかしサヴァシュにそういう遠慮や慎みを期待してはいけない。
温浴室は暖かかった。蒸気で湿った空気は心地よく、天窓から入る日光も明るく柔らかい。大理石の床も温まっており、裸足がむしろ気持ち良かった。
サヴァシュの屋敷にも風呂はある。しかし、邸宅に備えつけの風呂は小さな温浴室と冷浴室のふたつでできている上、窓が壁にしかなくて暗い。
公衆浴場は風呂のために造られた建築物だ。中央の広大な温浴室には湯の噴水が湧き上がっており、そこから水路が八方にある数部屋の小さな温浴室につながっている。天窓からの光は神々しくすらあり、浴場が楽園を模したものであることを思わされた。しかも洗い場係が体を洗ってくれる。金を払えば
特にエスファーナの公衆浴場はいい。地下水にも川にも恵まれたエスファーナの湯は清潔だ。かけ流しの湯が足元を流れていく。
思う存分ソウェイルとオルティの頭を撫で回して、満足したらしい。サヴァシュが二人の間を抜け噴水の方に向かって歩き出した。オルティとソウェイルは無言でその後ろをついていった。
一応建前としてはアルヤ王を黒将軍と白軍兵士の二人が護衛しているというていだが、オルティからするとサヴァシュという族長が部族の若者を二人子分として引き連れている感覚だ。
「サヴァシュ」
ソウェイルが、小さな、震える声で言う。
「やっぱり、だめだってば……。俺、恥ずかしいってば……」
辺りを見回した。
道理で視線を感じると思ったら、浴室にいる人間全員がソウェイルを見ていた。例外なく、全員、だ。皆、自分を洗う手を止めてソウェイルを見つめている。大抵は驚愕のために両目を見開いている。
当然だ。のどかな昼下がりの公衆浴場に突然『蒼き太陽』が出現したのだ。
可哀想だと思わなくもない。
ソウェイルは髪が蒼い。それも、白か黒かで言えばやや白の方が近い気がするというくらい、明るい蒼色をしている。
絶望的にお忍びができない。
女性のように布で覆えばごまかせるかもしれないが、残念ながらここは公衆浴場で腰布さえ巻かない決まりだ。
「めちゃめちゃ見られてる……」
肩を縮め込ませる。
サヴァシュが答える。
「何が恥ずかしいんだ。堂々としてろ。悪いことしてるわけじゃないんだからな」
「そうだけど――」
次の時、オルティは思わず噴き出した。
「サヴァシュとオルティの強そうな体と見比べたら、俺、めっちゃ貧弱だと思われないか……?」
自覚があったらしい。
サヴァシュがすかさず言う。
「鍛えろ。いっぱい食っていっぱい動いていっぱい寝たら大きくなる」
オルティも笑いたいのを堪えわざと真顔で「そうだ、鍛えろ」と続いた。
「お前がその気なら俺が付き合ってやる。鍛えてやるぞ。チュルカの戦士のやり方から白軍兵士のやり方まで、俺が何でも教えてやる」
「おっ、いいな。俺も交ぜてくれや」
「まっ、待ってくれ。それは、俺は、しんでしまう。ほんとに。ましてやサヴァシュとオルティに、なんて、ぜんぜんついてけないから、ほんとに」
「そういえばお前がガキの頃俺が稽古をつけてやったことがあったな。あの続きをするか」
「なんだ、そんなこともあったのか? それこそ俺がそこに付き合うぞ。もりもりがつがつやろうな」
「むり。むりむり。ええ。なんでそんな話になっちゃうんだ。俺がしんでしまう」
やがて噴水のもとに辿り着く。
サヴァシュが噴水を囲む大理石を指して「座れ」と言う。オルティもソウェイルも素直に従って腰を下ろした。表面に噴水から出る湯が流れているため大理石は温まっている。心地よく、体から力が抜ける。
壁の鏡の方を向いて、壁に取り付けられた小さな浴槽から湯をすくって体を洗っていた人々が、ソウェイルの方を向いた。父親にくっついてきたのだろうか、小さな男の子が「王さまだ!」と叫んでどこかへ走り去っていった。
「いや……みんな静かに……俺のことは無視していいから、ふつうに、お風呂を楽しんでほしいんだけど……」
どだい無理な話だが、サヴァシュだけはまったく気にしない。
彼は壁際から小さな金だらいを三つ持ってきた。ひとつをソウェイルの膝の上に置き、もうひとつをオルティに渡し、最後のひとつで噴水の溜め池から湯をすくって自分の肩にかけた。こういう細やかなところは面倒見がいい――もっと気にしてほしいところがあるが言っても無駄である。
二度三度と自分の体にかけた後、サヴァシュはソウェイルの頭にも思い切り湯をかけた。ソウェイルが「うわっ」と肩をすくめた。警戒していると案の定オルティにも湯をぶっかけてきた。洗ってやっているつもりなのだろうか。
「適度にあったまったら洗い場係に洗ってもらえ。特にソウェイル、お前のその長い髪は自分じゃ洗うのが大変だろ、念入りに洗ってもらえ」
「そう……、まあ、そうだけど……いいのか、俺、髪の毛一般人に触らせて……」
「洗い場係はその道の職人みたいなもんだろ、一般人じゃない」
「いや、そういう意味じゃ……ううん、そういう意味なのかも……その道の専門家は気にしないのかも……」
オルティは、ソウェイルがサヴァシュに洗脳されている、と思ったが口には出さなかった。
ソウェイルとオルティに存分に湯をかけ終わって満足したのか、サヴァシュもソウェイルの隣に腰を下ろした。サヴァシュとオルティでソウェイルを間に挟む形になる。
背後で湯が噴き上がる音がする。
男たちの喋る声、子供たちのはしゃぐ声も聞こえる。
しばらく三人で無言で大理石の腰掛けと噴水から溢れ出る湯で体を温めていた。
温かい。
どこからともなく小太りの男が現れて駆け寄ってきた。手には金色の盆を持っている。盆の上には茶器がひとつと
男はソウェイルのすぐ目の前にひざまずくと、震える手で茶碗に茶を注いだ。そしてかしこまった様子で盆を掲げ茶を差し出した。
「粗茶でございますが、陛下に少しでもお寛ぎいただければと思いまして」
声も腕も細かく震えている。
「そうゆうのいいから……」
ソウェイルはそう言って断ろうとした。オルティも、外で出されたものをソウェイルの口に入れるわけにはいかないので、下がれ、と言おうとした。
サヴァシュが手を伸ばした。
何事もなかった顔で茶碗を取り、飲んだ。
「こういうところで飲む茶は格別だな」
サヴァシュが言うと、ソウェイルが手を伸ばした。おそるおそる手に取り、唇を近づけた。
飲んだ。
オルティは大きな溜息をついた。同じ茶器から注いだ茶をサヴァシュが飲んでいるので何か毒物が混入されていたら分かるはずだ――と信じたい。
結局、オルティも手を伸ばして同じ茶を飲んだ。確かにうまい。
三人が素直に茶を飲んだのを見て、男が「へへ」と笑った。
「こうしてお見えになるのも何年ぶりか……あの時のちいちゃな殿下が大きくなられてわしらも嬉しく思いますぞ」
なんと、顔馴染みだったのだ。
「ここにも、前にも来たことがあるのか?」
サヴァシュが冷静な顔で「ちょくちょくな」と答えた。
「広い風呂、いいだろ。結構渡り歩いたぞ。チビだった頃のこいつを連れてな」
オルティは大きな溜息をついた。
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