第14話 オルティの好きなソウェイル

 オルティがユングヴィの家にあるソウェイルの部屋を訪れるのは実に三年半ぶりだったが、室内の雰囲気はまったく変わっていなかった。


 机の上や棚の上にいろんなものが並べられている。一見すると無造作だが、よくよく見れば種類別に分けられていてソウェイルの中には何らかの法則があるのが窺えた。

 寝台の上の蒼い掛け布団はぐちゃぐちゃで白い敷布もしわくちゃだ。使用人の女たちが何度整えてもソウェイルが好きな時に好きなように寝そべるせいだ。

 目の詰まった少し高級な蒼い絨毯の上に敷き布団を敷き、小さなこたつを置いている。このこたつもソウェイルが自作したというから驚きだ。自分の個室専用に、自分だけが使うために作ったこたつだ。正方形の一辺は短く一人しか座れない。


 ソウェイルはこたつに座って本を読んでいた。

 こたつの上には小皿が二つ置かれていて、片方の皿に剥き身の開心果ピスタチオが、もう片方には開心果ピスタチオの殻が盛られている。どうやら先に殻を全部取ったらしい。ソウェイルは右手で本のページをめくりながら左手で開心果ピスタチオを食べているようだ。


「じゃ、後でオルティくんの分のお茶を持ってきますからね。ごゆっくり」


 そう言って使用人の女が戸を閉めた。


 部屋の中でソウェイルと二人きりになった。


 オルティは、ソウェイルを眺めて、ソウェイルに気づかれないよう細く長く息を吐いた。


 白皙はくせきは滑らかでほんのり赤みが差し、男特有の脂ぎった感じはないが不健康そうにも見えなかった。

 比較的小さく形の整った唇も荒れていない。

 以前は痩せこけていた頬にもわずかに肉がついて、青年らしく硬く引き締まってはいるが削ぎ落されている感じでもない。

 伸びて顔を隠すほどだった前髪は少し短くされて両目がちゃんと出ている。さしづめユングヴィ辺りが切ったのだろう。

 長く蒼い睫毛のついたまぶたも腫れたり黒ずんだりはしていない。中に埋まっている蒼い瞳も暗く濁っている気はしない――どこを見ているかはよく分からないがソウェイルの場合は昔からこんな感じだ。


 初めて会った時の人形のように美しかった少年がそのまま青年になった姿かたちをしている。よく幼少期は少女のようだったのに第二次性徴を乗り越えたら雄々しくごつごつとした印象になる男がいるが、ソウェイルの場合はまったく変わることなく繊細な美貌を維持していた。


 オルティは、酒色に溺れて不規則な生活をしていた頃のソウェイルを美しいと思ったことはない。顔色が悪い上に痩せ衰えていたからだ。おそらく周囲の人間皆が同じように感じていたはずだ。荒れ果てていて若干みすぼらしくさえ映ったものだ。

 今彼が美しいのは、この家で、規則正しい生活をして、栄養のあるものを食べているからだ。人並みの生活をしている彼だからこそ、血色が良くなり、体重が増え、整っているように見えるのだ。


 取り戻した、と思った。

 三年前、オルティが友誼ゆうぎを結んだ、惚れ込んで王にと推挙した少年が育った先にいるのは、この男だ。三ヶ月前まで宮殿にいた暗愚の王ではない。今目の前にいる彼なのだ。


 そんなオルティの心境も知らずに、ソウェイルは、それとなく視線を逸らして、本を閉じた。そして本を床の上、自分の体の脇、オルティから見えないところに置こうとした。気まずかったのだろう。ちらりと見えた本の表紙から察するに、子供向けで挿絵のある戯作だ。三年前も、ソウェイルは魔法使いが出てくるような幻想的でオルティからすると子供だましな絵物語を好んで読んでいた。


「座ってもいいか?」


 問い掛けると、ソウェイルはどもりながら「ど、どうぞ」と答えた。表情は冷静そうなのに、声からするに相当動揺しているものと見える。顔色が変化しないのは得な性質だ。


 ソウェイルの正面に座った。


 しばらく黙って向かい合っていた。


 ややして、先ほどの女が戻ってきて、オルティの前に茶碗を置いた。

 茶を置くと彼女はさっさと出ていってくれた。

 紅茶から湯気が漂う。


「元気そうだな」

「まあ……悪くはないな……」

「ぶっちゃけたところ、ヒマだろう?」

「……うん……。あ、いや、そんなことはない、俺だって弟妹の世話をしたりとか、してなくも、なく……なんかこう……ダリウスがわりとちゃんと昼寝してくれてあまり手がかからなくて……家事もお手伝いさんたちがしてくれるし――そうですホスローたちが学校に行っているこの時間帯はすごいヒマですすみません」

「シャフラが今どんな思いで仕事をしているか知っているか?」


 ソウェイルが「ああ」と嘆きの声を上げながら両手で自分の両目を覆った。


「オルティは……? オルティはこの時間帯にこんなところにいて平気なのか……?」

「よく考えろ、俺の本来の仕事は近衛兵でお前の親衛隊の人間だ。お前が宮殿にいなかったら仕事は半減する。それに――」


 自分の服の袖、姉が施してくれた刺繍を撫でる。白軍の軍服ではない。チュルカ平原の男がよく着る服だ。


「いろいろあって、宮殿にいづらくてな。今、姉貴の家に居候している」


 ソウェイルはその場に突っ伏した。いろいろ、の中身も察したのだろう。そうでなければ困る。何せ大雑把に言えばソウェイルのせいだ。


 一応、アルヤ人は皆、ソウェイルがユングヴィを育てたこと、今のソウェイルには宮殿を離れてユングヴィの下に帰る必要があることを理解している。だが、頭では、の話だ。気持ちは別だった。侍従官たちも護衛官たちも、頭では分かっていても、感情の部分で、オルティにソウェイルを拉致されたと感じてしまうようなのだ。


 最近オルティはたびたび宮殿で斬りかかられたりなどしていた。

 避けること、防御することはできても、宮中で高貴な身分のアルヤ人に反撃することはできない。

 公的にオルティを罪に問う動きはないが、これでは暗殺される気がする。


 姉が王都に大きな屋敷のある家に嫁いでいてよかった。とりあえず避難はさせてもらえた。姉の嫁ぎ先は由緒正しい家柄で普通のアルヤ人はおいそれとは手出しできない。

 とはいえオルティはこれも時間稼ぎのように思う。根本を解決させなければならない。

 ソウェイルを宮殿に連れ戻さなければならない。ソウェイル王直々に、オルティを罪に問わない、と正式に宣言してもらわなければならない。


 しかしぼろぼろのソウェイルを強引に連れ帰るのは本意ではない――と思って様子を見に来たらこたつで開心果ピスタチオを食べながら戯作を読んでいたわけだ。


「なあ。俺が、何を、言いたいのか。分かるよな?」


 ソウェイルは突っ伏したまま「分かりません」と答えた。これは間違いなく分かっているからこそ出る反応だ。


「あのな、ソウェイル――」

「嫌だ。何も言うな。もう俺のことは放っておいてくれ。俺は死んだのだとでも思っておいてくれ」

「同じことをシャフラの前でも言えるか?」

「シャフラ……シャフラごめんな……俺は弱い男だから世間からシャフラを守れない……オルティ、シャフラを頼む……」

「シャフラの何を頼むと?」

「なんかこう……いろいろ……」

「お前何も考えてないだろ」


 指摘すると黙った。

 だがオルティは別に本気で怒っているわけでもなかった。オルティのよく知っている十五歳の時のソウェイルがこんな調子だったからだ。なつかしい。親しみを呼び起こす。腹は立つが、憎めない。かつてのソウェイルはそういう不思議な魅力を持った少年だった。

 シャフラも――おそらくカノも、こういうソウェイルが好きだったのだ。


「嫌だ……帰りたくない……」


 ソウェイルが小さな声でうめく。


「俺はもう何もしたくない……ここに引きこもって弟妹を育てながら穏やかに暮らす……サヴァシュとユングヴィに甘やかされて怠惰に生きるんだ……」


 オルティはとうとう我慢できなくなって吹き出した。


「安心した」

「何に?」

「サヴァシュさんとユングヴィさんに甘やかされて怠惰に生活している、というのは、認識しているのか、と思って。ちゃんと自覚しているんだな、と思ってな」


 こたつの上に腕を置き、わずかに身を乗り出す。


「お前は何がどうなっているのか本当はちゃんと理解している。やる気がないだけだ。そしてやる気は気が満ちれば出るものだ。あともう少し時間があればそのうちやる気になるだろう」


 ソウェイルが顔を上げ、オルティの顔を見ながら「オルティ……」と呟いた。

 オルティはほんの少しだけ微笑んでみせた。


「自分で自分が今甘えていると認識できているなら、いつかその甘えた状況から抜け出そうと思えるようになる可能性がある。貴重な一歩だ。ただし後退するなよ」


 そして「並の人間は甘えたままでもいいと言い出すからな」と付け足し、開心果ピスタチオに手を伸ばした。ソウェイルが指先で小皿を軽く押してオルティに差し出してくれた。


「万が一お前が甘えたままでもいいと言い出すなら俺の見込み違いだったということだ。それもそれで俺のさだめなんだろう。――と、俺に思わせないためには、分かっているよな? 俺はお前を信じている」

「……ずるい……」


 はあ、と声を出して息を吐いてから、「なんでオルティはかっこよくきまるんだろうな……」とぼやいた。きめたつもりはなく、気障きざに見えていたら嫌だ、とは思ったが、アルヤ男など大抵気障なので自分のほんの少しのかっこつけなど大したことではない。


「じゃ、今日は帰るか。俺の用事は済んだ」

「何だ、それ。俺はまだ何も言ってないぞ。俺の顔を見に来ただけか?」

「そうだ。嬉しいだろう? お前は俺に愛されているわけだ」


 戸を叩く音がした。ソウェイルが「はい」と返事した。


「なに? オルティがいるんだけど」

「知ってる」


 サヴァシュの声だ。


「お前ら二人を連れて出掛けようかと思ってな」


 ソウェイルとオルティは顔を見合わせた。


「どこへ?」

「銭湯」



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