第8話 サヴァシュのお情けで貸し出されているんですよ

 サヴァシュとユングヴィの実子は八歳のホスローと六歳のアイダンと二歳のダリウスの三人だが、この家には他に六人の子供がいる。


 ホスローが生まれてしばらくした頃、この大きな屋敷を建てた直後くらいに、テイムルに勧められてひとを三人雇った。

 大きな屋敷を維持するため、まだこれからも増えるであろう子供の世話係を確保するため、そして何より豊かな者は貧しい者を保護して養う義務があるので、家事ができて子供に慣れており生活に困窮している人間を迎え入れなければならない、と言われたのだ。

 田舎の貧しい家庭に生まれ育ったユングヴィと同じく寒々しい草原のど真ん中で生まれ育ったサヴァシュは最初ぴんと来なかった。

 だが、何せ二人とも神剣を抜いた身で、生きている限り毎年国庫から莫大な給金が出る。

 当時でもすでに子供を十人私設の手習い所に入れても余る金を貯蓄していた二人は、最終的に三人の女性を住み込みで働かせることにした。


 三人はいずれも夫が黒軍兵士で、タウリス戦役で戦死している。あえてサヴァシュの部下の妻から子供を抱えて未亡人になった女性を選んだのだ。


 ユングヴィとサヴァシュは彼女らを子供ごと引き取った。そして子供たちにもちゃんとした教育を受けさせることにした。正式に養子とする契約を交わしたわけではないが、二人はこの子たちを里子に貰ったものとして扱っている。


 そういう経緯でやって来た六人――内訳は、十五歳の男の子が一人、十四歳の男の子が一人、十一歳の女の子が二人、九歳の男の子が二人――はいずれもユングヴィとサヴァシュになついている。


 最近はユングヴィがソウェイルにつきっきりだ。

 とにかく非常事態だ。ソウェイルの体調が安定するまではソウェイルに専念したい。可哀想だが、とてもではないが他の子供の相手はできない。健康で順調に発達しているダリウスは少しの間だけ後回しだ。

 そんな状況を察した大きな子供たちが自然とダリウスの世話をしてくれている。

 こんな時、ひとを雇っておいてよかった、と心から思う。母親が目を離しても誰かが見ていてくれるのは、おそらく、母親にとっても子供にとっても良いことだ。


 今日もユングヴィは女の子たちにダリウスを預けた。ソウェイルの部屋でソウェイルと二人きりで過ごしている。


 床に布団を敷いて、布団の上に正座をする。

 その腿の上にソウェイルが頭をのせて横たわる。

 膝枕だ。

 ずいぶんと甘えん坊だが、仕方がない。ソウェイルは今病気なので仕方がないのである。


 ソウェイルもずいぶんと神経が太い。臨月のユングヴィのお腹は大きく、どうしてもソウェイルの後頭部が臍の辺りに触れる。時々お腹の子が思い切りソウェイルの後頭部を蹴る。だがソウェイルは動じない。

 彼はたぶんユングヴィを自分のものだと思っていて、生まれてもいない赤ん坊に譲ろうとは考えていない。昔はもう少しホスローやアイダンに譲歩していたと思うが、今は病気だから仕方がない。


 ソウェイルの蒼い髪に覆われた頭を撫でる。

 成長して髪質が少々変わったようだ。毛が太く硬くなった気がする。男の子の髪だ。小さい頃のソウェイルの髪はもっと細くてさらさらだった。このまま大人になったら将来はげるのではないかと心配もしたこともあったが、今現在こんなに太くて量が多いなら大丈夫な気がしてきた。


 あまりにも静かなので眠い。


 ソウェイルはもともとおとなしく口数の少ない子で、無言でじっとしていることの方が多かった。昨日までの怒り狂って乱暴な口を利いていたソウェイルが異常だったのだ。それはそれで発散できてよかったとは思うが、こうして静かにしているソウェイルの方が馴染みがある。

 今日も時々何かを思い出しては発作的に喋り出すこともある。けれど今はとりあえず落ち着いている。


「ユングヴィ」


 名前を呼ばれて、はっとして目を開けた。


「眠い?」

「ごめん、ちょっとだけね」


 反射的に、だいじょうぶ、と言おうとして呑み込んだ。最近ソウェイルがむずがるのはユングヴィが何も考えずに大丈夫だと言うからだと気がついたためだ。


「もうちょっとしたら休憩させて。もうちょっとしたら、寝台ベッドに戻って寝てね。寝入るまで見ててあげるから。そしたら、私も寝る」


 一瞬、間が開いた。


「ユングヴィ、最近いっぱい寝てないか?」


 ぎくりと肩が震えた。


「私そんなに寝てるかな」

「体調が悪い?」

「そういうわけじゃないんだけど――」

「寝不足? 夜遅くまで俺を見てる?」

「そういうわけでもなくて――」


 眉根を寄せて、「じゃあ、どういう?」と問われた。機嫌の悪い顔だ。また怒られてしまう。だんだん面倒臭くなってきた。はあ、と大きく息を吐いてから説明した。


「妊娠してるせいだよ。お腹に赤ちゃんがいると眠いんだよ。なんでか知らないけど今回はそういう妊娠なんだよ。いや、上の子の時にもこういうのなかったわけじゃないけど、今回はなんでかそれがすごく強いんだ。だから病気じゃないけど、ほんとはちょっと調子が悪い」


 納得したらしい、ソウェイルは「ふうん」と呟いて表情を少し寛げた。


「じゃ、俺の寝台ベッドで一緒に寝る」

「なんだってぇ? あんたもうおっきいから無理だよ、狭いよぉ」


 確かに九歳までは毎晩一緒に寝ていたが、今のソウェイルはユングヴィより拳ひとつ分は背が高いのだ。


「ソウェイルが縮んだら一緒に寝てあげるよ」

「ええ……それはもっとむり……」


 そう言いつつもなんだか嬉しくて、背中を丸め、前かがみになり、ソウェイルの顔に顔を近づけて、小声で語り掛けた。


「しょうがないな。ソウェイルがどうしてもって言うんなら、また一緒に寝てあげる。下の子たちにはナイショだよ」


 ユングヴィの長く伸びた赤毛がぱらぱらとソウェイルの頬にかかった。ソウェイルは長い指先でその赤い毛先をもてあそびながら「ナイショ……」と呟いた。


「そうだよ、ソウェイルだけ特べ――」


 その時だ。


 後ろから扉が開く音と悲鳴に似た大声が聞こえてきた。


 何事かと思って振り向いた。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をしたダリウスが入ってきて、「かーた!」と叫びながら突進してきた。


「だめ! だうの! あげない! だうのかぁた!!」


 ユングヴィの服の袖をつかんで、ソウェイルの背中を思い切り蹴る。ソウェイルが「痛っ」と顔をしかめながら上半身を起こした。


「だめっ! だめーっ! やだーっ! きやい! きやい!」


 ユングヴィは感動した。ダリウスはなんとユングヴィを自分の母親だと主張して怒っている。こんなことは初めてだ。ホスローもアイダンもどちらかといえば父親っ子で、ユングヴィを誰かと共有することになってもさほど抵抗しなかったのだ。


「おお……ダルくんはお母ちゃんがいいんだね……!」


 おそらく、一緒にいる時間が長いからだろう。ホスローとアイダンの時は一歳ほどで強引に乳離れさせて使用人たちに預けて仕事に出ていたから、あの二人はユングヴィがいないことを当たり前だと思っているのだ。一方ダリウスはずっとつきっきりだ。ソウェイルが現れて初めて母親が奪われたわけだ。


 ソウェイルが不機嫌そうな顔をして「何だよ」と呟いた。


「俺の母ちゃんだし」

「だめーっ!! きやい! だっかけーっ!」

「何語を喋ってるんだ? よく分からないけど、俺のだからお前はどこか行け」

「やぁーっ! だめーっ!!」


「ちょっ、喧嘩しないの! なんで十八歳のソウェイルが二歳のダリウスと張り合うの!?」


 視線を感じたので再度扉の方を振り向いた。女の子たちが申し訳なさそうな顔でこちらを覗き込んでいた。ダリウスは何かの隙に彼女らの目を盗んでここまで来てしまったようだ。


 ソウェイルとダリウスの方を向き直る。ダリウスがソウェイルをぽかぽかと殴っている。


「分かった。じゃあ、お母ちゃんとお兄ちゃんと三人で床に布団敷いて寝ようね」

「やぁの! きやい、きやい!!」

「俺もやだ。俺がユングヴィを独り占めする。他の子にやらない」

「ああーっ何なの!? めんどくせーっ」


「おい」


 突如低く鋭い声が割って入ってきた。


 後ろから肩をつかまれて、はっとした。


「待てお前ら。母ちゃんは俺のだ」


 次の時、思い切り引っ張られた。体が崩れる、と思ったところで、抱え込まれ、抱き上げられた。

 とっさにすぐ傍にあった布――服の胸をつかんだ。

 サヴァシュだ。


「お前らもうだめだ。お前のでもお前のでもない、俺のだ。俺が優しいから貸してやっていたんだ、喧嘩するなら貸し出し中止だ」


 ソウェイルとダリウスが言葉として意味の通らない声を上げた。


「黙って聞いてりゃ一緒に寝るだの何だの、お前もう十九なんだからいい加減にしろ。冷静に考えたらお前と母ちゃん血ぃつながってないぞ。十九歳男性と二十八歳女性がひとつの布団で寝るのはおかしいだろ」

「他人じゃないし。サヴァシュのが横入りだし。俺のが先にユングヴィと暮らしてたんだし」

「はいはい。じゃあな。たっぷり寝ろ、一人でな」


 サヴァシュはユングヴィを抱えたまま歩き出した。ユングヴィは呆然としたままサヴァシュに運ばれて部屋を出た。ダリウスの泣き声が聞こえる。入れ違いに女の子たちが入ってきて「ごめんなさい陛下」「あたしたちが坊ちゃまから目を離したばっかりに」と謝罪しているので、たぶんなんとかなるだろう。



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