第11話 この上なく哀れでございます
カノはここ半月ほど疲労を感じていた。時々強烈な倦怠感に襲われて起き上がっているのがつらくなり、横になることが増えてしまった。
食事もおろそかだし、運動も悦楽を
今日も途中でだるくなってしまい行為に集中できない。ソウェイルは「興ざめだ」と言い放つとカノを自分の部屋の寝台の上に残してどこかへ去ってしまった。
そのまま、敷布にくるまれてうたた寝をする。
胃の辺りにほのかなむかつきがある。不規則な生活が祟っているのだろう。起きていても他にすることがあるわけではなかったが、不快感などない方がいいに決まっている。
どうすればこの不調を解消できるのか。滋養のあるものを食べた方がいいのか。一人でゆっくり寝た方がいいのか。外を歩いた方がいいのか。
何もかも忘れてこのまま眠り続けたい。
不意に敷布を引き剥がされた。
我に返って上半身を起こした。
すぐそこに不愉快そうな顔をしたオルティが立っていた。
「なんだ、何も着ていないのか」
苛立ちを隠さない声で言う。
彼はカノに向かって敷布を放り投げた。敷布の端の
カノは面白くない。オルティが、照れたり恥ずかしがったりしている、というのではなく、汚いものに布をかぶせて隠そうとしているかのように感じるからだ。うら若い女性の裸体を見ることができたというのに彼はまったく嬉しそうではない。
自分が不潔なもののように思えてくる。
オルティの後についてきたのだろうか、出入り口からシャフラが顔を出した。彼女もあまり面白くなさそうな顔をしている。
居心地が悪い。
「何の用?」
結局カノはからだを隠さなかった。半ば見せつけるつもりで露出したままにした。見られて恥ずかしいものではない。オルティを動揺させて優越感を得たかった。
カノのそんな期待に反して、オルティは一切表情を変えなかった。ずっと冷たい目でカノを見下ろしている。
その目が意味するものは何だろう。
軽蔑か。
「お前に文句を言いに来た」
「何の?」
「俺の同僚に三人ほどお前と寝たという人間が現れてな」
心当たりはある。わざとオルティ周辺を狙ったわけではなかったが、彼やカノ自身と年の近い男はだいたい若さを持て余して女体に飢えている。白軍兵士には体格が良くて遊び慣れない男が多いこともあり、カノとしたら入れ食い状態だった。
「いい加減にしろ、このあばずれ」
怒っている。
「お前のせいで人間関係が破綻しそうだ。王妃がそれだと外聞も悪い。態度を改めろ」
カノは髪を掻き上げつつ舌打ちをした。
「そんなこと言いに来たの?」
オルティは迷わず頷いて「ああそうだ」と答えた。
「俺が言わなかったら誰も言わないだろ」
そして吐き捨てる。
「ソウェイルも馬耳東風だ。お前ら狂ってる」
唇を歪めて笑う。
「オルティは偉いね。ふしだらな悪い女を懲らしめてやろうと思ってここまで来たんだ。腐ったアルヤ王国を正しに来た正義の
寝台に手をつき、這いずるように寝台の脇にいるオルティに近づく。
「自分はおきれいでいられると思ってるんだ」
手を伸ばす。
オルティの胸に触れる。
「欲望に素直になりなよ。オルティだって興味あるでしょ? 同い年の男なんだもん、そういうの大好きなんでしょ? あたしいつでも相手してあげるよ」
ゆっくり、体の線をなぞるように、指を動かす。
「我慢することないでしょ」
そんなカノの手をオルティが見下ろす。
「それともやり方が分からない? したことないの? あたしが教えてあげようか」
次の時だった。
強い力で振り払われた。
カノは驚きのあまり何もできなかった。
肩をつかまれた。そして、寝台の下に叩きつけられた。
カノのからだが床に転がった。
「いった」
「ふざけるな」
嫌悪と、憎悪と、憤怒だ。カノに対する強い敵意が噴き出している。
「ひとを馬鹿にするのも大概にしろ」
低く唸るような声に不安を感じて、カノは目を逸らした。床を見ながら自分の肩をさすった。
それでも怖がっていることを悟られたくなくて、極力明るい声を出してみせた。
「馬鹿になんかしてないよ。オルティはいい男だと思うよ? 真面目に仕事してて偉いなって思うし、見た目も悪くない。だから受け入れてあげるって言ってるのに」
「お前は俺だけじゃなくて白軍兵士もソウェイルも馬鹿にしてるし十神剣の名誉も地に叩き落としている。お前みたいな女がいるとみんなが破滅する」
「すごい言いようだね。あたしがすごい悪女みたい」
「他の何だって言うんだ? この淫乱」
視界の端にあった彼の足が消えた。彼が自主的に踵を返したようだ。
「言っても無駄だな。お前とは俺がこの王国に来た直後からの付き合いだから話ぐらいできると思っていたが、俺が甘かった」
「何それ。冷たくない?」
「もう二度とお前に話し掛けない」
最後に彼は「宮殿から出ていけ」と言い捨てた。
遠ざかる足音がする。
腹が立つ。いかにもカノが悪いかのようだ。カノに責任をなすりつけて、カノを責めて話を終わらせようとしている。それで改心するとでも思うのだろうか。
彼の言うとおり彼は甘いのだ。それでいて自分に自信がある。だからあのような態度を取れる。
ソウェイルが彼を嫌いだと言う理由がとてもよく分かる。
「むかつく」
言いながら訳もなく自分の髪を手櫛で梳いた。
「カノさん」
名を呼ばれて顔を上げた。
忘れていた。そういえばシャフラもここにいた。
彼女は無表情だった。先ほどこの部屋に入ってきた時はわずかに怒りや呆れが滲んでいるように見えたが、今はどんな感情もない気がした。
しばらくの間カノを無言で見下ろしていた。
じわりと、不快感が込み上げてくる。
彼女は襟が高くて首がきっちりと隠れる服を着ている。高価そうな生地だ。顔と手の他には肌を露出していない。清潔そのものだった。
自分は全裸で床の絨毯の上に座り込んでいる。
たまらなくみじめだ。
「……何さ」
目を逸らした。
「言いたいことがあるなら言いなよ」
「いいえ。ございません」
軽く息を吐いてから、「ここに来るまではいろいろと言おうと思っていたことがございましたが」と呟くように続ける。
「今のオルティさんとのやり取りを見ていたら、わたくしもどうしたらいいのか分からなくなりました」
「好きにしたらいい」
カノは拳を握り締めた。
「シャフラの思うとおりにしたらいい。賢いシャフラちゃんならいつだって正しいでしょ。シャフラの言うことが正解でしょ、シャフラのすることが正義でしょ。きれいで綺麗なシャフラちゃん!」
肩で息をしながら、「いつだってあたしの方がバカ」と付け足した。
「あんたもあたしのことあばずれだと思ってるんだ」
少し間が開いた。
ややして、深く溜息をつく音が聞こえてきた。
「哀しいことですわね」
その声に憐れみを感じた。
中途半端に寄り添っているのが逆に見下されているように感じた。カノが自分より弱くて愚かであることを前提にして話しているように感じるのだ。
顔を上げた。
シャフラは相変わらず冷静な顔をしていた。
心の底から腹が立つ。こんなに怒り狂っているのは自分だけだというのを突きつけられるのが嫌だ。
「怒らないの?」
「何をです?」
「あたしがオルティを誘惑してさ。目の前で自分が唾つけた男に触られてあたしにイライラしたりしない?」
「特に何とも思いませんね。別に唾をつけたわけではございませんが、いずれにせよ、この程度のことでなびくようなオルティさんだとは思っておりませんから、予想どおりの反応でしたとしか申し上げようがございませんわ」
吐き気がする。
「何なのその信頼関係。もう寝たの?」
「それしか考えておいででないのですか?」
シャフラの声は、ずっと、落ち着いている。
「このご時世で、このわたくしが、そういう行為をひとに許すわけがないでしょう」
シャフラを傷つけたくて喋っているはずなのに、なぜかカノの方が傷ついて心が切り裂かれる音を聞いているのだ。
「まあ、いいでしょう。好きに勘繰ればいいですわ。本当のことはわたくしだけが、ついでに言えばあとオルティさんがご存知ならばいいのです。
たまらなくみじめだ。
「わたくしは貴女だけが悪いとは思いませんけれども。むしろ陛下こそ戒められて
泣きそうになるのをぐっとこらえた。
「貴女がご自分でご自身の価値を下げられているのはこの上なく哀れでございます」
それだけを言い残して、シャフラも部屋を去った。
カノは床の絨毯に突っ伏してしばらく声を上げて泣いた。
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