第24話 僕の正解

 階段を下りてくる音がした。

 フェイフューは座った状態のまま、自分の尻の後ろに短剣を隠した。

 足音が多い。今度は複数人だ。話す声も聞こえてくる。

 やがて下りてくる人物の姿が見えた。

 先頭を歩いているのは、どこかで見覚えのある白軍兵士だ。おそらくソウェイルのお傍付きの護衛官だろう。続いて二人目も白軍兵士で一人目の同僚であると思われた。

 三人目はサヴァシュだった。彼もまた顔面に包帯を巻き、三角巾で左腕を吊るしていた。満身創痍というほどでもなさそうだが、こんなに傷ついている彼を見るのは初めてだった。

 四人目はユングヴィだった。彼女はこの動乱に突入する前に見たことのある女物の服を着ていた。くるぶしまである丈の服に、長袖の胴着ベストで、さらにその上から分厚い肩掛けを羽織っている。その表情はどこか重苦しい。だがフェイフューが最後に見た狂気はもうなかった。

 五人目は、先ほど消えた見張りの兵士だった。小太りの醜い男だ。この男がラームテインに無体を強いたのかと思うと腹が立つ。

 五人はフェイフューの入っている牢に近づいてきた。鉄格子の前に横一列に並んで立った。

 見張りの兵士が、腰に下げた革帯から、鍵束を取り出した。

 鉄格子に取り付けられた扉の鍵穴に鍵を差し込む。回す。金属のこすれる音を伴って扉が開く。

 サヴァシュとユングヴィ、白軍兵士の二人が、牢の中に入ってきた。

 四人はしばらく無言でフェイフューを見下ろしていた。

「よお」

 最初に口を開いたのはサヴァシュだ。

「まだ生きてたか。たくましいな」

 次にユングヴィが話し掛けてきた。

「ね、今、どんな気分? ちょっとは反省してるの?」

 夫婦の物言いが上の立場からのものだったので、フェイフューは腹が立った。そしてまだ怒りという感情が残っていたことに驚いた。思いのほか体力が残っていたのか、それとも、ラームテインが掘り返したのか。

 見つめられている。

「――何か、言いたいことがあるんじゃない?」

 ユングヴィにそう問い掛けられた。

 フェイフューは、一度大きく息を吐いてから、口を開いた。

「ナーヒドが死んだというのは本当ですか」

 また、少し、間が開いた。

「ああ」

 答えたのはサヴァシュだ。

「俺が斬った」

 納得した。ナーヒドは彼に敗北したのだ。やはりアルヤ王国最強はサヴァシュだったのだ。

 そして後悔した。こんなことになるなら絶対に勝てなど言わなければよかった。決闘して死ぬのは致し方ないことだが、まだ話していないことがあったのだ。すべて出し切ってからにしてほしかった。

 それでも――ということは、今サヴァシュの体にある傷はナーヒドがつけたものなのか、と思うと、フェイフューは嬉しかった。最強の男に傷をつけたのだ。ナーヒドも強かったことの証だ。

「それだけ?」

「はい」

「そっか」

 ユングヴィが目の前にしゃがみ込む。

「まだ分かんないのか」

 何の話をしているのか分からない。

 彼女とは、もう、永遠に、分かり合えないのだ。

「命乞いしなよ」

 彼女が言う。

「頭を下げなよ。みっともなく泣き喚きなよ。死にたくないって、助けてくださいって言いなよ」

 「そしたら」と言う声には少しの苦々しさが滲んでいる気がした。

「助けてあげるよ」

 フェイフューは笑った。

 それは何よりもの侮辱で屈辱だった。

 尻の後ろに手を伸ばした。

 短剣の柄を握り締めた。

 足で鞘を踏んで、剣を、抜いた。

 異常に気づいた白軍兵士の二人が動き出した。サヴァシュも一歩分近づいてきて、ユングヴィも立ち上がった。

 だがもうフェイフューの決意は変わらなかった。

 自分の腹に短剣の切っ先を突き立てた。

 左手がまったく動かないので、右手片方だけで、押し込めるだけ押し込んだ。

 不思議と痛みは鈍かった。あまり痛いと感じなかった。ただ衝撃が重い。

「何やってんの!!」

 右手を横に動かした。ひどい音と悪臭をともなって剣が右から左へ動いた。

 まだ意識がある。まだ浅いのだ。

 前にかがみ込んだ。床に柄尻をつけた。腹と床で短剣を挟んだ状態で、倒れ込むようにして体重をかけた。

「やめなさい!!」

 刃が腹を食い破る。

「ふざけんなよお前」

 サヴァシュが肩をつかんで抱え起こす。

 その途端ものすごい激痛が襲ってきた。

 破れた皮膚から臓物が飛び出してぬらぬらと輝いている。

「早く! 早くお医者さん呼んで!」

 ユングヴィが怒鳴ると白軍兵士の一人が駆け出していった。

 しかしもはや何もかもがどうでもよかった。

 目の前が、白から黒へ、黒から白へ、反転する。

 痛い。苦しい。きつい。つらい。

 寒い。冷たい。

 悔しい。悲しい。寂しい。

 怖い。

 生きるということは、恐ろしいことだ。

 抱き締めてほしい、と思った。抱き締めて頭を撫でてほしいと思った。もう大丈夫だと言ってほしかった。独りではないと、皆が見ているから寂しくなくなるだろうと言ってほしかった。

 世界に注目されていたかった。

 いまさらになって、それが正解だったのかもしれない、と思った。

 ただ、自分を見てほしかったのだ。

 息を吐いた。血の味がした。

 サヴァシュの手がフェイフューの右手をつかむ。

「待て、絶対抜くな、それ以上動かすんじゃない、はらわたが全部飛び出るぞ」

 温かい。

 誰かに触れられたかった。

 これで最後だ。

「あの……、サヴァシュ……お願いが……」

 困った顔で「何だ」と返された。

「聞いてやるから、言ってみろ」

 よかった、と思った。

「介錯を頼みます」

 サヴァシュもユングヴィも目を丸くした。

「楽になりたいです……お願いです」

 二人とも、動きを、止めた。

「痛いです……痛くて、苦しくて……もう、これ以上無理です……」

 少しの間、沈黙が流れた。

 サヴァシュは、フェイフューから、手を離した。

「……待って」

 背に負っていた黒い神剣の柄を握った。

「待って、お願いサヴァシュ、やめて」

「こんなに苦しんでる」

「待って!!」

 黒い、闇色の刃が、姿を見せた。

「早く楽にしてやりたい」

 これで楽になれる。

「やめ――」

 階段の上からまた足音が聞こえてきた。急いでいる音だった。走ってくる。

 階段を駆け下りてくる。

 ソウェイルだった。

 彼は真っ青な顔で、荒い息で、こちらを向いた。

「兄上」

 ソウェイルが叫びながら手を伸ばしてきた。

「フェイフュー!!」

 最期にソウェイルが名前を呼んでくれた。

 嬉しい、と思った。

 名前を呼んでもらえた。

 こんなに大勢の人が――そしてソウェイルが、自分を見てくれている。

 もう寂しくない。

「やめてくれ!!」

 闇色の刃が、振り下ろされた。

 目を閉じる瞬間、フェイフューはナーヒドのことを思い出した。

 抱き締めて頭を撫でてほしいと言えばよかった。彼は言えばやってくれたのではないか。

 次に会えたらそう頼んでみようと思った。

 早く会いたい。

 抱き締めて頭を撫でてほしい。


 世界は闇に閉ざされた。

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