第19話 悪夢

 その時だった。

 少し離れたところから、声が聞こえてきた。

「どういうこと」

 ある者は振り返り、ある者は顔を上げ、声がする方を向いた。

「サヴァシュがナーヒドを斬ったの」

 サヴァシュも、そちらに顔を向けた。

 数歩距離を置いたところに、エルナーズが立っていた。蒼ざめた顔をして、目を見開き、唇を震わせていた。

「嘘でしょ、まだ誰からも連絡ないのにどうしたら――」

「……おい」

 サヴァシュがいつもより低く鋭い声を出す。

「お前、何してんだ?」

 エルナーズが「えっ」と呟く。

「これからお前に誰かが連絡よこす予定なのか」

「って……?」

「フェイフュー側の人間はお互いに連絡を取り合ってるのかと訊いている」

 手で口元を押さえた。ようやく今の自分が置かれている立場を理解したらしい。

「し……知らない」

「じゃあお前今ここに何しに来たんだ? 誰かに言われてナーヒドの状況を確認しに来たんじゃないのか。誰の差し金だ?」

「それは――」

「予定変更だ。お前にじっくりいろいろと訊くことにする」

 エルナーズは後ろを向いて走って逃げようとした。

 サヴァシュが顎でエルナーズを示した。黒軍の戦士たちが臨戦態勢を取った。

「捕まえて柱にくくりつけておけ」

 エルナーズより鍛えられた戦士たちの方がはるかに速い。彼が本当に宮殿の列柱のうちの一本に縛り付けられるまでそう長くはかからなかった。




 回廊の奥から、数名の集団がこちらに向かってきていた。

 赤軍兵士だ。統一された軍服がないので一瞬分からなかったが、全員赤い腕章を身につけている。いずれも人相が悪く体格がいい。

 中央、先頭を歩いているのは、ユングヴィだった。彼女は彼らの頂点に君臨する女王として堂々とした歩みを見せていた。

 彼女のすぐ後ろにいる二人が少し奇妙な動きをしている。

 近づいてきて、彼らが何をしているのか目で見て分かった時、エルナーズは震え上がった。

 彼らは間に挟むようにして一人の青年を歩かせていた。背中で両腕を縛り上げた上で、左右から二の腕をつかんで引っ張ってきている。青年はおぼつかない足取りだったが、両側から屈強な男に引きずられて歩かざるを得ない状態のようだ。

 ラームテインだった。

 顔の左半分が青黒く腫れ上がっている。左のこめかみからは出血してまぶたから頬まで赤く濡れている。歪んだ唇からも血が滲んでいる。硬い棒状のもので何度も殴りつけられたようだ。左半分だけ見ていると美しい原型が分からない。右半分は傷こそなかったが、血走った目は明らかに憔悴していた。

 ユングヴィがエルナーズの目の前で立ち止まった。

「いいよ。投げて」

 彼女がそう言うと、ラームテインを引きずってきていた二人もまた立ち止まり、ラームテインを突き飛ばした。彼はエルナーズの目の前にうつぶせで倒れた。

 ユングヴィが左足でラームテインの背中を踏みつける。

 エルナーズはしゃがみ込んだ状態で柱に縛り付けられていた。腕を動かすこともできない。

 動かせたとしても、何もしなかっただろう。

 エルナーズは自分が弱いことを知っている。サヴァシュと黒軍兵士たち、ユングヴィと赤軍兵士たちに見つめられている今の状況でラームテインを助けてあげることはできない。

 できることなら見捨てて逃げたい。もう何も見たくない。

「で、どこまで吐いた?」

 ユングヴィがサヴァシュに訊ねる。サヴァシュが答える。

「とりあえずお前らの方の状況と、あと、カノの居場所だな」

「それだけ?」

 エルナーズは「だって知らないし」と叫んだ。

「知ってることは本当に全部喋ったわよ! これ以上のことは俺は聞かされてないから分かんないんだってば!」

 サヴァシュが「おーおー元気のいい」と言って自分の頭を掻く。

「こいつ本当にべらべらよく喋ったからな。ここにくくりつけただけで俺らは何もしてないのに。よっぽど我が身が可愛いんだな」

「そんなに簡単に仲間を裏切っちゃうんだ? 情けない。多少の忠誠心はあるのかと思ってたよ」

「そんなクソの役にも立たないもの俺が持ってるわけないでしょ!」

 背中をぐりぐりと回すように踏みつけながら、「こっちは何にも吐かないのに」と言う。

 背中に回されている手を見て、エルナーズは血の気が引くのを感じた。

 両手の爪が一枚もない。

「次は歯を抜こうかな、って思ったけど、この子顔が可愛いのだけが取り柄だから、あんまり商品価値が下がっちゃうとな、って思ってやめたよ。それにそれでも喋らなかったら困るし、エルをゆすった方がもっと情報が出てくるかな、って思ってさ」

 その言葉は、サヴァシュに、というより、エルナーズに語り聞かせているようだった。ユングヴィの冷たい目は、エルナーズをしっかり見据えているのだ。

「刃物ちょうだい」

 そう言って左手を左に伸ばすと、赤軍の兵士の一人が小刀を差し出し、手の平の上に置いた。

 握り締め、胸の前に持ってくる。鞘を抜き、その鞘を先ほどの兵士に返す。

 しゃがみ込んだ。

 ラームテインの手首に食い込んでいる縄を切った。

 一瞬解放するのかと思った。

 左手首をつかんだ。

 ラームラインの頭の先、エルナーズの目の前に、床に手の平を押し付けさせるように置いた。

 ラームテインの背中にまたがった。

 ユングヴィは、左手でラームテインの左手首をつかんだまま、右手をそちらの方に向かって伸ばした。

「……何すんの」

 震える声で問い掛ける。

 彼女は、にこ、と愛想よく微笑んだ。

「よーく見ててね」

 左手の人差し指を、握り締めた。

 手首を押さえつけたまま、人差し指を、思い切り、引っ張った。

 ぼき、と。

 何かが折れる、音がした。

 左手の人差し指が、手の甲へ反り返るように、曲がった。

 宮殿の柱の上、高い天井の穹窿ヴォールトに、ラームテインの絶叫が響き渡った。

「ね、エル」

 エルナーズは声を上げることすらできなかった。

「まだ言ってないことがあったら聞かせてくれる?」

 次は自分の身に降りかかるのかと思うと恐ろしかった。

「やめて、本当に、何でも喋るから」

「ほんと? 嬉しいな」

「でも本当なの、本当に全部サヴァシュに話したの、俺はもうこれ以上のことは分からないの」

 ユングヴィがサヴァシュを見上げる。

「ね、うちを出たあとあの王子様がどこに行く予定だったかって聞いた?」

 サヴァシュは即答した。

「聞いてない」

「じゃ、もう一本行こうか」

 中指をつかんだ。

 エルナーズが「やめて」と叫んだがユングヴィは止まらなかった。

 指が反り返る。

 もう一度、悲鳴が響いた。

 見ていられなくて顔を逸らした。

「知らんのやって……!」

 エルナーズの方が涙が溢れてきた。一刻も早くこの場から逃げたいということしか考えられなかった。

 ラームテインは何も言わなかった。顔を床に突っ伏したまま悲鳴の他に声を出さなかった。

 ユングヴィの右手が、ラームテインの後頭部、乱れた髪を撫でる。左手は彼の左手首を押さえつけたまま、だ。

「ほらほら、そろそろ喋って楽になろうか。このままじゃ指が全部折れちゃうよ」

 くぐもった声が聞こえてきた。

「嫌だ」

 握り締めた右の拳が、震えている。

「絶対に喋らない」

「頑固だなあ」

 薬指をつかんだ。

 強く引いた。

 枝が折れるような音がした。

 ラームテインがうめき声を上げた。肩が大きく震えた。

「きりがないな」

 サヴァシュが言う。

「指を全部切り落としても喋らなかったりしてな」

「やだ、困る。どうしよう」

 ユングヴィの声は能天気にも聞こえる。

「殺すのはまずいんだよ。情報も入らないし、人質にならないし、何より紫将軍がいなくなったらソウェイルが困るでしょ?」

「ラームも知らないんやと思う」

 エルナーズが言うと、ユングヴィとサヴァシュの視線がエルナーズの方を向いた。

 舌がもつれる。

「話してないから。待ち合わせ場所とかなくて、そのつど蒼軍や白軍の人たちを通じて連絡を取り合って落ち合うことになってたから。せやから今どこにどう逃げてはるのか分からんのやと思う。フェイフュー殿下と二人きりの時に何か話し合うてたら知らんけど俺はそう思う」

「それをもうちょっと早く言ってくれたらよかったのにね」

 「どうする」とサヴァシュが問い掛けた。ユングヴィが「しょうがない、地道に捜すよ」と答えた。

「こういう時はエスファーナが縄張りの赤軍が役に立つんだなあ。私が捜し出して何とかするよ」

「そうか。じゃあ任せるぞ。俺はカノを捕まえに行く、さすがの俺も今の万全じゃない状態で戦闘行為はごめんだ」

「了解」

 そこで終わるのかと思った。

「さて」

 悪夢はまだ続いた。

「本人をひっ捕らえて連れてくる前に。みんなにソウェイル側に寝返ってもらおうかな」

 ユングヴィの声は、あくまで、落ち着いている。

「十神剣みんなにソウェイル側に来るって言ってほしいなあ。あの子を丸裸にしないと、私、安心してご飯食べれないよ。せっかくナーヒドが死んだんだし、残った人たちにももうあの子を諦めてソウェイルにつくって言ってもらわなきゃ」

 言い終わらないうちにラームテインが「嫌だ」と叫んだ。

「僕は絶対殿下を裏切らないから! 死んでも殿下から離れるとは言わないから!」

「強情だねえ」

 ユングヴィの手が、小指をつかんだ。

 もはや、ただの作業だった。

 淡々と、折り曲げた。

 左手が完全に反り返った。折れ曲がった指の付け根が内出血して赤黒い痣になっていた。

 ラームテインはもう一度叫び声を上げたが、やや間を置いてから小声で「絶対に嫌だから」と呟くように言った。

 ユングヴィの手が、今度は右手に伸びる。

「待って!」

 エルナーズは叫んだ。

「俺はソウェイル殿下につく」

 言うと、今度こそラームテインが顔を上げた。左目はまぶたが腫れ上がっているのでよく分からなかったが、右目は大きく見開いてエルナーズを見ていた。そこには驚愕と絶望の色が滲んでいた。

「俺がソウェイル殿下につくから。サヴァシュ、ユングヴィ、アフサリー、ベルカナ、俺。もう五人や。ラームが最後まで粘っててもあとカノちゃんしかおらんし、もうあかん。いいやろ」

 「それもそうか」とユングヴィが頷く。

「ここまでにしておくか。私もあんまり暴力沙汰は好きじゃないしね」

 彼女の言葉がしらじらしく寒々しい。

 ラームテインの上からどいた。

 ラームテインはふたたびうつむき、床に顔を伏せた。肩が細かく震え、すすり泣く声が聞こえてきた。

「可哀想。手当てしてあげて」

 赤軍の男たちが前に出て、ラームテインを抱え起こす。

「さて。あとはカノちゃんか」

「ちょっと脅かしてびびらせてやる」

「よろしく頼むよ。殺さない程度にね」

 「またね」と言って、歩き出す。「おう」と言って、見送る。

 エルナーズはその場で一人残され、しばらく呆然としていた。

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