第14話 運命の日の決定
壁という壁を書棚で埋め尽くされた部屋に案内された。紙のほこりっぽい匂いがする。ラームテインはよくこんな圧迫感のある部屋で過ごせるものだ。だいたいこれだけ本があって死ぬまでに読み切れるのだろうか。読書も得意でないカノは居心地の悪さを感じた。
昼なのに薄暗い。むしろ、正午が近いから、だろうか。太陽が高すぎて窓から光が入ってこない。
ラームテインが、部屋の中央の卓に、机の上にあった
「アフサリーは多数派に流れる可能性が高いです。彼には確固たる信念というものがありませんから」
ラームテインが言う。
「彼はオルティ王子との書簡のやり取りを通じてどちらにつくか考えていたようです。やり取りの詳細な内容はいまだ明らかになりませんが、おそらく、ソウェイル殿下がチュルカ人やノーヴァヤ・ロジーナ帝国との揉め事を回避したのをきっかけにソウェイル殿下を支持することに決めたのでしょう。彼はあくまで揉め事を回避したいだけなんです」
炎が揺らめく。
「また、秋分の時点ではソウェイル殿下の方が多数派でした。ソウェイル殿下側につけば、十神剣としても北部州の人間としても、立場は安泰でした」
卓を囲む五人の視線が、
「つまり、アフサリーはフェイフュー殿下の方が多数派になり、かつ北部州にとって有利な条件を提示すれば、転ぶと思うんですね」
「可能性は高いな」
ナーヒドが言う。
「あの男はいつもそうやって来た。サータム帝国にも抵抗せず、チュルカ人にも抵抗せず、戦うことを徹底的に避けている。このままでいくと叩かれると認識すれば手の平を返すだろう」
「しかもイブラヒム総督は大晦日まではいくらでも翻意を許すと言っているわけよね」
エルナーズも言う。
「大晦日の土壇場で態度を変えるのは危険よ。次の冬至にこちら側へ寝返ればまだもう少し様子見もできる」
フェイフューがまとめた。
「冬至までに、エスファーナにいる十神剣の過半数が僕側についていれば、アフサリーもこちら側に来る、ということですね」
全員が、唾を飲んだ。
「明日からの
カノは震え上がった。手足を硬直させて唾を飲み込んだ。
そんなカノに気づいたのだろう、ラームテインが「安心してください」と微笑んだ。
「非戦闘員のベルカナにそういう手段を講じることはありません。民衆に我々が乱暴な手続きを取ったと思われるのが怖いので」
「本当に、何か、酷いことするわけじゃない、よね?」
「多少暴力的な手段はちらつかせる必要がありそうですが、ね。もちろんちらつかせるだけですよ」
そこでフェイフューが口を開いた。
「一番の標的はユングヴィです」
彼の言葉にはためらいがない。
「彼女は今心身ともに衰弱し切っています。正常な判断力を失っているように見えます」
ナーヒドとエルナーズが「確かにな」「俺にもそう見える」と続ける。
「強く迫れば動揺するでしょう。そこに、兄上が王にならなくても来年の
カノは「どういうこと?」と訊ねた。フェイフューが頷く。
「イブラヒム総督は、王になった方が王にならなかった方の処遇を決めていい、と言いました。ということは、兄上がどうなるかは僕が決めるということです」
はっきりした声で「決めました」と言う。
「兄上には、来年から、蒼宮殿のあの勉強部屋で過ごしていただきます。一生」
背筋が、ぞわり、と粟立った。
「そんなに恐ろしいことでしょうか」
彼の瞳は真剣そのものだ。
「兄上は子供の頃何年もあそこに閉じこもっていたのです。それでも今現在の段階で心身に重篤な欠陥をお持ちのようには見えません。引きこもっていても何も感じないのです。今でも北の棟のご自身の部屋からあまり出られませんしね。どうして慣れ親しんだユングヴィの家で過ごされることを苦に思われるでしょうか」
「でもそれって、幽閉、ってことじゃない……?」
「そうですよ」
にこりと微笑む。
「僕が一生涯お守りするのです。この宮殿で。兄上を傷つけるものが何もない世界で。僕が死ぬまで、半永久的に大好きな空間で平和に過ごされるのです」
カノの緊張を見て取ったのだろう、「別に会えなくなるわけではありませんから」と付け足す。
「十神剣くらいは会えるようにしてもいいでしょう、兄上からカノやユングヴィとの交流まで取り上げるつもりはありません。あと、身の回りのお世話をする人間ですね。いずれにしても将来の白将軍と会うくらいのことは許可します」
「そっか」
それなら心配はいらない、のだろうか。不安を感じる。けれどフェイフューの言うとおりソウェイルは何日でもあの部屋にこもっていられるのだ。今の生活と大差ない気もした。それでいて、幽閉、という強い言葉を使えば、サータム帝国は納得してくれそうだ。
「ユングヴィにそう説明しましょう。兄上を三年間あそこに閉じ込めて育てていたのは、他ならぬ、ユングヴィなのですから」
全員が、頷いた。
「兄上がお元気ならユングヴィは文句は言わないのではないでしょうか。彼女には政治的な展望がありません。母性と家族愛です。それなら生きているだけで満足であると言わせましょう」
カノも、頷いていた。
「直接僕が出向きます」
フェイフューには迷いがない。
「僕が、直接、ユングヴィの家に行って話をします。僕が、ユングヴィを、納得させます」
「……分かった」
「問題はここでサヴァシュが邪魔をすることです。ユングヴィの傍で駄々をこねられたら困ります」
「俺がどうにかする」
口を開いたのはナーヒドだ。
「殿下とユングヴィの間で交渉が成立するまで俺がサヴァシュを引き留める。そう長くはもたんだろうが、しばしの間ユングヴィとサヴァシュを引き離しておくことくらいは可能だろう」
「斬ってください」
サヴァシュに関しては、フェイフューは冷たい声で言った。
「イブラヒム総督の意思に添うのは少々屈辱的ですが、よしとしてくれているのですから、乗っかろうではありませんか」
たたみかけるように続ける。
「どうせ僕が王になったら十神剣は形が変わります。新しいアルヤ王国にチュルカの野蛮人は要らないのですよ」
ナーヒドは少しの間黙った。その間もフェイフューは話し続けている。
「だめでも多少動けなくなるくらいには。冬至の多数決に参加できないくらいには。あるいは、もうアルヤ王国にいられないと思うようになれば。これだけ不必要であることを突き続けられればさすがに彼も分かるでしょう」
なかなか返事をしないナーヒドに、フェイフューが微笑みかけた。
「頼みますね。僕は、十神剣最強はあなただと、信じていますので」
ナーヒドが、とうとう頷いた。
「かしこまった」
「よかったです」
「その代わり」
フェイフューがまたたく。
「これがうまくいったら。殿下にお話ししたいことがござる」
すぐさまフェイフューは応じた。
「分かりました。どんな話でも聞きます」
ようやく、ナーヒドが力を抜いた。
「カノ」
急に名前を呼ばれたので、肩を震わせながらカノの名を呼ぶラームテインを見た。
「カノもベルカナに話をしてくださいよ。まあ、うまくいかなくても怒りはしませんが。せめて決行の日にユングヴィと接触しないよう引き留めておいてください」
不安に思いつつも、何もしないのも気が引けてこわごわ頷いた。
「その日一日だけでいい?」
するとフェイフューが言った。
「例の件。ベルカナに説明してもいいですよ」
そう言われた途端、カノの心はぱっと明るくなった。
フェイフューと目が合った。彼は穏やかな表情をしていた。
「その方がカノも気が楽になるでしょうし、ベルカナも安心するかもしれませんからね。むしろ、ベルカナには僕にゆだねた方が安心であると思ってもらった方がいいのです」
「分かった! あたし頑張る!」
エルナーズが「俺は何をしようかな」と言う。ラームテインが「宮殿にいてください」と告げる。
「黒軍が不穏な動きをしているという噂が流れています。白軍の人間も先鋭化していて非常に危うい。その辺うまく渡り歩いて情報を集めておいてくださいませんか? エルはそういうのが得意そうな気がします」
「まあ、得意だけど。あんたにそう言われると何となくムカつく」
フェイフューが「よろしくお願いします」と念押しすると、エルナーズは「はーい」と答えた。
「僕は殿下についてまいりましょうか。万が一話がこじれた時の仲立ちとして。失敗すると余計に刺激する気もしなくもないので、できる限り黙っていようとは思いますが」
「そうですね、それがいいです」
ナーヒドが「では、いつ」と問い掛ける。フェイフューが「そうですね」と少しの間考える。
「冬至まで時間があるとふたたび結託して意見を翻すかもしれませんし、ぎりぎりにしましょう。一週間前――
「そうね。逆にそれより遅くなるとアフサリーが帰ってきちゃって怖じ気づくかもしれないし」
「その日に決めましょう」
カノは繰り返した。
「
それが、運命の日だ。
「僕は、兄上とも。話をしようと思います」
フェイフューは、確かにはっきりとそう言って、拳を握り締めた。
「一番は。兄上が、王位継承権を放棄すればいいのですから。兄上に、僕が兄上にどうであっていただきたいか、説明します」
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