第12話 フォルザーニー邸にて

 フォルザーニー家の本宅は、エスファーナの中央、蒼宮殿の正面、その名も王の広場と呼ばれる中央公園の南側にあった。

 そびえ立つ豪邸は白亜の宮殿といったおもむきだ。アルヤ建築によく見られる蒼い石片タイルこそなかったが、積み上げられた大理石には精緻な彫刻が施されている。玉ねぎ型の丸い屋根が五つある。塔も四つ備えている。

「これ、私邸かよ……」

 オルティは呆然としてしまった。ずっと官公庁か宗教施設だと思っていたのだ。しかし実質貴族院議長のフォルザーニー卿の個人宅らしい。

 豪邸の正面、正門の前に立つ。オルティを二人分縦に並べたくらいの高さの両開きの扉がある。固く閉ざされている。

 扉の両脇に私兵の門番が立っていた。オルティはおそるおそる彼らに声を掛けた。

「すみません、シャフルナーズィア姫に会いに来たのですが……」

 つい敬語になってしまった。

 門番の兵士が苦笑する。

「アルヤ人の姫君は身分や民族にかかわらず私用では男性とお会いにならないよ。恋文なら預かってあげるから帰りなさい」

 どうやらオルティをアルヤ文化に馴染みのない異民族のシャフラ信者だと見たらしい。複雑な心境だった。身元が割れていても困るが、身の程知らずの一般人だと思われるのはもっと困る。

「いや、そういうわけではなくて……ベルカナ将軍の遣いで……」

 ベルカナの名前を出すと、門番の兵士同士で顔を見合わせた。将軍の名は効果があるようだ。

「俺は、その、暫定的にソウェイル殿下の小姓のような立場にある者で、オルティと申します。シャフルナーズィア姫とは宮殿にてソウェイル殿下のお足元で頻繁にお会いしているので、俺の名前を言えばすぐに分かってくださると思うのですが。そういうご縁で顔見知りなので、ベルカナ将軍に、俺の口から状況をご説明しろ、という伝言を預かってきました」

 何もかも捨てて草原に帰りたい気分だ。

 しかしそれで納得してくれたらしい門番たちは両側から扉を押して開けてくれた。

 中には広大な前庭が広がっていた。大きな池があり、池の真ん中には大きな噴水が一つと小さな噴水が四つ設置されていて、池から東西南北に水路が流れている。奥から回廊が翼を広げるように伸びていて東西の塔につながっていた。

 うち一人が「少し待っていなさい」と言って中央の玄関へ走っていった。

 ややして玄関から三人の女性が出てきた。シャフラとお供の侍女二人だ。彼女らは前庭を迂回して回廊を通り門までやって来た。

 今日のシャフラは無地で濃い紅一色の丈の長い胴着ベストを着ていた。頭には一応白い布をかぶってはいるが、緩やかな弧を描く豊かな長い黒髪はまとめられておらず完全に隠れてはいなかった。

「オルティさん」

 珍しくしおらしい表情で「ソウェイル殿下はいかがお過ごしですか」と問うてくる。彼女にもひとを心配する機能があったようだ。

 シャフラはテイムル将軍暗殺の報が王都を駆け巡って以来宮殿に出てこなくなっていた。彼女の祖父が外出を禁じたらしい。正しい判断だと思う。今や宮殿どころか王都全体の情勢が不安定だ。

「よろしくない。ほとんど自分の部屋から出てこないし、食が細っている。励ましてやりたいが、親しい人が亡くなって気落ちしているところでは逆効果かと思って俺も少し遠慮してしまって。話し掛けにくいし、ソウェイルからも話し掛けてこない」

「さようでございますか。気にかかりますわね」

 あの部屋は、今、オルティとカノの二人きりだ。

 そのカノも今日からは現れなくなるはずだ。

 昨日ベルカナが部屋にやって来てオルティとカノに解散するように言った。カノは何やら反発したが、オルティはすぐに受け入れた。ついでにその時忙しいベルカナに代わってシャフラに会いに行くことを自ら提案した。これについては少し失敗だった気もしなくもないがとりあえず会えたのでいいだろう。

「ですが……、テイムル将軍の代わりなどいませんもの」

「そう。ソウェイル自身が気持ちの整理をしてくれるのを待つしかないと思う」

「おっしゃるとおり。今回ばかりはわたくしも口を挟みません」

「せめてユングヴィさんが元気だったらと思ってしまうな。今の彼女はソウェイルが甘えられる雰囲気ではないから」

 シャフラが頷く。そしてうつむく。

「わたくしにできることは、何もないのですね」

 オルティは言葉選びに悩んだ。端的にそのとおりだと言ってしまっては彼女が傷ついてしまう。それは本意ではない。だが実際オルティはそう言いに来たのだ。

「それで、ベルカナ将軍の、わたくしにご用、というのは何ですの?」

 拳を握り締めた。

「王が決まるまで、蒼宮殿には来ないでほしい、とのことだ。次の王のお達しがあるまで、控えるように、と」

 彼女の肩も緊張したのが見て取れた。

「……かしこまりました」

 表情が硬い。悔しいのだろう。

 彼女は賢すぎる。カノのように駄々をこねたりはしない。ふだんどれだけ偉そうな口を利いてもこういう状況では一歩引くのだ。

 歯がゆい。ここで急に聞き分けがよくなるのを見ているのはつらい、いつもの生意気なシャフラのままでいてほしい。

「でもなシャフラ、けして、けしてお前が邪魔だからとか役に立たないからとか、そういうわけじゃないんだ。本当に、今の蒼宮殿は武力闘争が起こりかねない状況なんだ」

「気を遣ってくださらなくても結構でございます。わたくしはフォルザーニー家の姫です、立場はわきまえております。祖父や父に迷惑をかけるような真似は致しません」

「そうか」

 だが柳眉は寄せられている。

「……悔しいよな」

 言うと、彼女は顔を上げた。

「もちろんですわよ!」

 両の拳を握って、胸の前で振った。

「殿下はわたくしを救ってくださったのに! わたくしはあのお方を救えないなど!」

 黒真珠の瞳が潤む。

「剣を握れる男性だったらお傍にいられたのでしょうか? あなたのように!」

「……すまん」

「なぜ謝るのですか、同情するのはおやめなさい!」

 頭や肩を撫でてやりたかったが控えた。彼女は同世代の少年ではなくあくまで姫君だ。まして周囲では門番の兵士や侍女たちが見ている。オルティもわきまえていた。

「今ではないんだと思う」

 桜色の下唇を噛み締めてオルティを見上げる。

「俺たちの出番は、今ではないんだと思う。シャフラもソウェイルに必要な人間だけど、今ではない。その時がまだ来ていないだけでいつか来ると思う、近い将来」

「何を根拠に――」

「俺がお前はとても優秀な人間だと思うから。お前は来るべき時に備えて今は自重しなければいけないんだ。雌伏の時、というやつだ」

 シャフラは、頷いた。

「あなたは、今ですか」

 オルティは「俺も今ではないと思う」と答えた。

「俺にも、何もできない。事の成り行きを見守りながら勉強を続ける」

 それを聞くと、

「承知いたしました」

 彼女はむりやり笑みを作ってみせた。

「またお会いしましょう。わたくしたちの、王が立ったら」

「おやおや?」

 男の低い声が乱入してきたので、オルティは慌てて声のした方――シャフラの後ろを見た。シャフラも振り返った。

 そこに、蜜色の髪に帽子をのせた男が立っていた。

「やあ、久しぶりだね、オルティ少年。元気そうで何よりだ」

 フォルザーニー議長だ。

 彼は孫娘の肩に手を置いて軽く抱き寄せた。

「どうやらうちのシャフルナーズィアちゃんがお世話になっているようだ」

「議長」

「なに、そのような怖い顔をするのはやめたまえ。私は何もうちの姫と口を利いたことをなじりたいわけではない。若人わこうどよ大いに交流せよ、恋とは人生を豊かにするものなり」

「いやそういうわけではないです」

「このわたくしに女性としての魅力を感じないとでも?」

「勘弁してください」

 「それでだね」と、背の高いフォルザーニー卿が彼より少し背の低いオルティの顔を見下ろす。

「白将軍代理はまだ見つかりそうにないのかい? 十神剣はベルカナ女史がすべて一人で切り盛りしている、と」

 一瞬悩んだ。この男にどこまで情報を漏らしてもいいのか分からなかったのだ。だが、議会はアルヤ王国の機関だ。どちらの王子というのではなくとりあえずアルヤ王国を良くすることを考えているはずだ。そう信じて、結局、オルティは「はい」と答えた。

「ソウェイル殿下はまだお部屋から出られるご様子ではないのかね」

「はい、それも、そうです」

「つまり、ユングヴィちゃんやサヴァシュ君とも会っていない、と」

「はい……、俺が知る限りでは一度も」

「ふむ、ふむ。やれやれ」

 「分かったよ、ありがとう」と手を振る。

「十神剣は本来議会とは関係がないので情報が入ってこないのだ。とても助かる」

「まあ、俺もそんなに詳しいわけではありませんが」

 卿は胸を張って「よろしい、帰りたまえ」と言った。

「孫と同じ年の少年に何かあってはたいへん胸が痛む。軍学校の寄宿舎だったかな? 君も隠忍自重して外出を控えなさい」

 胸中にもやもやは残ったが、反発する理由もなかった。それにシャフラと必要以上に絡んで誤解されるのは嫌だ。

 オルティは「失礼します」と言って軽く頭を下げ、その場を離れた。シャフラが小さく手を振ってくれた。

「――さて」

 フォルザーニー卿が「誰かあるかい」と言う。扉の陰から隠れていた家令が出てくる。

「御前に」

「すぐに金を手配したまえ」

「はい、御意に。ですが何のための資金でございましょう」

「黒軍や赤軍に渡すのだ」

 「幹部たちに匿名で密かに武器商人を斡旋したまえ」と笑う。

「ソウェイル王子も将軍たちも動かない。止める者はないということだ。きっと近々ソウェイル王子側の人間がフェイフュー王子側の人間に報復するだろう。それに油を注いでやるのだ。フェイフュー王子側の人間には無鉄砲な若い高官が多いからね、今のうちに一掃しておけば我々保守派の政治がやりやすくなる」

 家令が「かしこまりました」と言ってその場を離れた。

 シャフラが不安げな顔で祖父を見上げた。祖父は穏やかに微笑み、孫娘の頬を撫でて「そんな顔はしないんだよ可愛いシャフルナーズィア」と言った。

「目を開いて見ていなさい。歴史の動く様を」

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