第11話 治安の悪化

 もともと多数決が始まった正月ノウルーズ以来ずっと殺伐としている蒼宮殿だったが、テイムルの訃報がもたらされてから状況はさらに悪化した。

 きっかけは分からない。ベルカナが通りがかった時にはすでに揉めていた。取っ組み合っているわけではなかったが、互いに睨み合っていて一触即発の空気が漂っている。

「ナメてんじゃねぇぞ豚野郎」

 汚い言葉を吐いているのは黒軍の若い兵士たちだ。まだ少年のような顔をしたチュルカの戦士たちである。

 彼らはグルガンジュ王国およびその周辺国が滅亡した時に亡命してきた者たちだった。もともと交易の活発なチュルカ平原の南部で生活していたため、ある程度アルヤ語ができる。意志の疎通はさほど問題ではなかった。

 行き場を失った彼らを、イブラヒムは、サータム帝国に絶対服従を誓うと約束させた上で引き取った。彼らは生活のために軍人奴隷ゴラームを選ぶはめになり、草原の戦士としての誇りを捨てさせられた。

 聞くところによると彼らは一緒にここまでやってきた家族との面会も制限されているらしい。女性やこどもは収容所に入れられて隔離された。生活に不自由はないとは言うが、実際に顔を見られないのでは不安だろう。

 あまりの待遇の悪さに業を煮やしたサヴァシュがイブラヒムに直訴した。イブラヒムは話を聞いてくれたようだったが、議会にかけると議員たちが収容所の解散や宿舎の環境改善を拒否した。いろいろな建前を掲げてチュルカ平原出身者の相手をすることを拒んだのだ。

 アルヤ人の政治家がサヴァシュの要望を聞き入れたためしはない。一連の騒動で黒軍の結束は固まったが、自分たちの将軍がないがしろにされていることを再確認してしまった彼らは、態度を極端に硬化させた。

 あちらこちらで黒軍の兵士たちが不満を撒き散らしている。

 対するは蒼軍の高級武官の青年たちだ。

「黙れ、愚かな小僧どもめ。貴様らの無礼千万な態度のためにアルヤ王国軍の節度が問われるのだぞ」

 常時三千の騎兵と数千の歩兵を抱える超巨大組織蒼軍の幹部たちは、総じて気位が高い。彼らのほとんどは白軍の軍学校で英才教育を受けており、乱暴で下品な言動を取る人間が許せなかった。彼らも若いチュルカの戦士たちがどれだけの不遇にあえいでいるのか知ってはいるはずだが、それでもなお個人の事情より集団の礼節と秩序を重んじた。

 蒼軍の連中が言いたいことも分からないではない。事実黒軍の態度は悪い。

 ベルカナは彼らのいるところでカノに出歩いてほしくないと思ってしまっていた。彼らが悪いとは思わないし、抑圧して飼い馴らせるわけではないのも分かっていたが、サヴァシュや黒軍の幹部たちが見ていないところでは何をしでかすかと思うと不安なのだ。

 彼らの影響で宮殿の治安が急速に悪くなっている。

「恥を知れ。己が振る舞いが貴様らを蛮族に格下げするのだ」

「何言ってるか分かんねぇ」

「貴様のアルヤ語の能力が低いためだろう。勉強しろ」

「何だと!?」

 ベルカナは悲しかった。

 これがこのままナーヒドとサヴァシュの対立なのだ。

 そして仲裁するテイムルはもうどこにもいない。

 白軍の兵士たちは、それぞれ、黒軍側と蒼軍側に分かれて、状況を見守っている。おそらく、黒軍側にいるのがソウェイル派で、蒼軍側にいるのがフェイフュー派だ。

「あんたたち何やってんの!」

 声を振り絞って怒鳴った。

 もう自分しか間に入れる人間はいないのだ。

 自分の言うことを聞くとは思えない。けれど何もしないよりはいい。ベルカナは双方ともを心配している。それを知らせることに意味がある、と思う。

「何揉めてんの。やめなさい」

 全員がベルカナの顔を見た。

 黒軍の兵士たちが顔をしかめて「なに、このおねーちゃん」と呟く。チュルカ平原から来て二、三ヶ月の彼らはまだベルカナを知らないのだ。

「貴様ら、よさんか。桜将軍ベルカナ閣下だ」

「よして、その言い方。あたしのことはただのベルカナでいいわよ」

 「へえ、桜将軍」と黒軍の兵士たちが笑う。

「派手な恰好だけど、商売者なのか」

 ベルカナは苦笑して「そうよ」と答えた。

「いいなあ。ヤらせてくれや」

「あんたたちが偉くなったらね」

 ベルカナ本人が大して気にしていないというのに、蒼軍の武官たちは怒鳴った。

「栄えある桜将軍を愚弄するのか!」

「下品なことを言ったな、この蛮族ども」

「徹底的な教育が必要だと見た」

 そしてベルカナを庇うように前へ出て「ベルカナ将軍はお下がりください」と言う。

「女性が出るような場ではございませんゆえ」

 溜息をついた。

「やめたげてよ。このコたち疲れてんのよ。不平不満はあたしが聞いたげるから、今は呑み込んで下がって」

「いくら将軍のお達しといえども見過ごせません。テイムル将軍亡き今我々蒼軍が蒼宮殿の治安を守らねばなりませんので」

「ちょっと、聞いた? 白軍のコたち。あんたたち将軍がいなきゃ活動できないと思われてるわよ」

 蒼軍の武官たちも白軍の兵士たちも気まずそうに黙った。

「喧嘩すんのやめてちょうだい。十神剣はあんたたちの対立を望んでいません」

 そこで「どうだか」と言ったのは黒軍の兵士だ。

「あんたはどっちの味方なんだ」

「どっちって、何と何?」

「今ソウェイル王子派とフェイフュー王子派で喧嘩してるんじゃねぇのか」

 痛いところを突かれた。

「うちのサヴァシュ隊長がソウェイル王子派でこいつらの将軍がフェイフュー王子派って以上は仲良くできねぇだろ」

「そんなことサヴァシュが言うと思ってんの」

「隊長本人が言わなくてもこんだけ隊長がバカにされてるんじゃ黒軍一同は戦ってもいいんだぜ」

 唾を飲んだ。

「なんてこと……!」

 蒼軍の武官たちが「いいだろう」「受けて立つ」といきり立つ。

「愚かな蛮族どもめ、神の軍隊の何たるかを思い知るがいい」

「やめなさい!」

 「絶対認めねぇからな」と口汚く主張する。

「ソウェイル王子はこんな俺たちにも優しい……! あの王子様が王になって議会と戦ってくれたら俺たちの生活が楽になる。俺たちは全力で応援する」

 「そのようなこと認めるものか」と冷たくあしらう。

「フェイフュー殿下は秩序と正義を重視なさるお方だ。貴様らのような野蛮人どもにも一貫した態度を取られるであろう。今から従順にならんとフェイフュー殿下が王になったあと痛い目を見るぞ」

「お黙り!」

 しかし誰もベルカナなど眼中にない。

 鋭い警笛が鳴った。

 音源の方を見ると、末端の若い兵士たちではない、白軍である程度の地位があると思われる中年の兵士たちが走ってきていた。

「やめんか!」

 さすがに彼らの前では敵わないと思ったのだろうか、黒軍の兵士たちは舌打ちをしながら踵を返した。黒軍の宿舎のある方角へ歩き始めた。

 蒼軍の武官たちは平気な顔をしている。

「貴殿らの目が行き届かないようなので我々が代行している」

「ありがたきお心遣い、お言葉だけ頂戴いたします」

 代表格らしい年配の白軍兵士がそう言うと、蒼軍の武官たちも「さようか」「では失礼」と言って後ろを向き、蒼軍の駐屯所に向かって移動を始めた。

 後には白軍の兵士たちとベルカナが残された。

「申し訳ございません」

 頭を下げられた。

 口では「いいわよ」と言ったが、緊張で脈が早まっていた。なんとか平気なふりをする。

「面目ございません。蒼軍の彼らの言うとおり、将軍が亡くなってからこちらうまく回っておりません」

「どうして? 白軍の兵士はそんなに減ったかしら。騒ぎを起こしたのは十九人って聞いたわよ」

「たいへん申し訳ございません、我々年寄りの穏健派と若い革新派の話が合わず」

 先ほどまで周囲を取り巻いていた若い兵士たちも動揺している様子だ。それでも黒軍や蒼軍の連中のように騒ぎはしないところに品の良さを感じるが、彼らも顔を見合わせて視線を落ち着きなくさまよわせている。

「白軍のような訓練された画一的な組織でさえ人間関係に潤滑油が必要ってワケね」

「お恥ずかしい限りです」

 年配の白軍兵士が、息を吐いてから語り始める。

「このようなこと、アルヤ王がおいでになれば。アルヤ王がその寛大なお気持ちを示してくだされば――そのご威光とご配慮で裁定してくださればすべて解決するのですが」

「その話はよしなさい」

 アルヤ王国において、威光、という言葉が使われる時、それはたいてい蒼い髪を意味する。同時に、フェイフューを褒めたたえる者は多いが、彼について寛大という言葉を使う者はいなかった。

 若い兵士たちが聞いている。

「もうよして。平和がお好きなソウェイル殿下も秩序がお好きなフェイフュー殿下もこんな騒ぎ嫌に決まってるじゃない」

 全員が「おっしゃるとおりです」と言って頷いた。

「お手を煩わせて申し訳ございませんでした。失礼いたします」

 白軍兵士たちも、それぞれの持ち場に戻っていった。

 ベルカナは深い溜息をついた。

 とにかく、こんなところにカノを置いておけない、と思った。あの子を危険から遠ざけなければならない。桜軍の宿舎から出さないようにするか、あるいは宮殿の外の信頼できる人間の家に下宿させたい。友達のシャフラもだ。彼女に何かあったらフォルザーニー家が謀叛を起こしかねない。アルヤ王国は政治も経済も止まる。

 何とかしなければならない。

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