第7話 ショマール門外の変

 テイムルは馬に乗って蒼宮殿を出ようとしていた。

 時刻は宵の口、月はすでに昇っているがさほど遅くはない頃だ。

 やらなければならないことは山積みだし、この状況でソウェイルの傍を離れるのは嫌だったが、他ならぬソウェイルがテイムルの嫁を気遣って早く帰れと言う。テイムル自身ここのところ考え込んでしまうことが多く少し疲労を感じるので、秋分の日以来おとなしく従って早めに帰宅するようにしていた。

 テイムルの小さな可愛いアルヤ王は家臣への気遣いができる――そう思うと温かな気持ちで宮殿を出ることができる。

 ただ、テイムルの太陽が玉座にのぼる前に越えなければならない壁がいくつかある。

 アフサリーは北部に帰っていったが、エルナーズは冬至まで王都にいると決めたようだ。

 彼はおそらくラームテインと共謀してよからぬことをたくらんでいる。フェイフューを囲んで何かしでかそうとしているのだろう。あの二人が揃うとろくなことがない。

 分かっていながら、テイムルは口を挟まなかった。

 理由はいくつかあるが、一番は、フェイフューを思ってのことだった。

 秋分の多数決で、ソウェイルは五人分の票を得た。十神剣の過半数を取ったのだ。

 議会がどうなるかは分からない。けれどイブラヒムはソウェイルにつく気がしている。

 この半年と少し、いろいろなことがあったが、フェイフューは一貫してサータム帝国を刺激する発言を繰り返している。サータム帝国本国を攻撃するだけではない、チュルカ平原の諸王国やノーヴァヤ・ロジーナ帝国とも敵対するような言動だ。

 一応体裁としては大陸の平和を司る者を自称している皇帝は、きっと戦争を望まない。大陸の中央にある巨大な保護国アルヤが軍隊を動かしたら都合が悪い。

 したがって皇帝はフェイフューを選ばない。

 一方ソウェイルは普段からサータム人官僚やサータム商人と慣れ親しんでいる。扱いやすいと言われるのは侮られているようで少し腹が立つが、イブラヒムに反抗的な態度を取ったことがないのは事実だ。不満を口に出したことすらない。ある日突然イブラヒムに牙を剥くとは考えられなかった。

 皇帝は従順なソウェイルが可愛いのだ。

 テイムルはソウェイルが意外と頑固で融通が利かないことを知っている。根の部分はよく似た双子だ。しかしソウェイルの方は他人にそうと悟られないよう振る舞うことができる。テイムルと二人きりの時、あるいはユングヴィやサヴァシュと一緒にいる時、ソウェイルがどれだけわがままを言うのか、身内以外は知らないのだ。

 ソウェイルは、どうすればおとなに可愛がってもらえるのか、熟知している。どんな発言をすれば宗主国に愛される属国の王でいられるのか、彼はよく分かっているのだ。

 そして、フェイフューが可哀想だ、と思う。

 どれだけ頑張っても、彼が兄以上に愛されることはない。

 それを、テイムルまで、多数決の場で彼に突きつけてしまった。

 十神剣の五人とイブラヒム、合計六人のおとながまだ成人したばかりのフェイフューを袋叩きにしているように見える。袋小路に追い詰められたねずみのように牙を剥くフェイフューが痛々しくて見ていられない。

 加担してしまったことが情けなくてつらい。

 しかしテイムルがフェイフューを選ぶことはない。遅いか早いか、秋分か冬至か大晦日か、それだけの話だった。アフサリーがこちら側について過半数を超えた以上、もうどうしようもなかったのだ。

 せめてフェイフュー側にいる三人がフェイフューをちやほやしてくれたらいい。少しでも慰められたらいい。

 彼は半年後ソウェイルが王になったら死ぬはずだ。

 残りわずかな時間が、少しでも安らかなものであったらいい。

 彼には次のアルヤ王の養分として土になってもらう。

 蒼宮殿の北門――ショマール門を出た時のことだった。

 テイムルは辺りの風景に違和感を覚えた。

 いつもは規則正しく街道に沿って並べられている統一規格のかがり火が、何となく、不揃いであるように見えた。

 暗がりの中よく見ると、今日ショマール門の前に並んでいるのはかがり火の木組みではなかった。

 松明を持った、兵士たちだ。

 夜の闇の中、白い軍服の青年たちの姿が浮かび上がる。

「――何か、あったのかな?」

 馬の歩みを止め、そう問い掛けた、次の時だ。

 突然馬がいななき、後ろ脚だけで立ち上がった。

 危うく振り落とされるところだった。テイムルは手綱を引き腿に力を込めて耐えた。けれど馬は荒れ狂っている。何もできない。

「どうし――」

 視界の隅に、炎に照らされて白銀に輝く刃が見えた。

 振り返った。

 兵士のうちの一人が、テイムルの馬の尻に刃を突き立てていた。

 目を丸くした。

 また別の兵士が、剣を抜き、向かってきた。

「天誅!!」

 馬を捨てた。跳び下りるようにして地面に降り立った。

 刃が馬の腹に食い込んだ。

 あと一瞬遅かったらテイムルの足が切断されていたはずだ。

 馬が悲鳴のようにいななく。

 左手に松明を持った青年たちが、右手で一斉に剣を抜いた。

「どういうことだ」

 テイムルも腰の剣の柄に手を伸ばした。

 相手は白軍兵士だ。いずれもまだ若いようだがテイムルの部下で白軍の末端の者たちである。宮殿を守る大事な任務に就いているはずだった。

 それが刃を向けている。

 うち一人が、剣を構えたまま答えた。

「見損ないましたよ、将軍」

「僕を?」

「未来のあるフェイフュー殿下を捨てて髪が蒼いだけのぼんくらについたあなたを、我々はもはや白将軍とは思いません」

 別の一人が怒鳴った。

「軽挙妄動、断じて許しがたし!」

 テイムルは笑った。

「いいだろう、納得がいかないなら僕を斬るといい。イブラヒム総督は気に食わない将軍を斬れと言った、君たちが十神剣でなくてもフェイフュー殿下の御為と思うならきっと許されるだろう」

 腰に携えていた純白の神剣を抜く。

 その光り輝く刃が白い意味を、テイムルは知っていた。

 それは純然たる愛と忠誠だ。白将軍のすべてが太陽に捧げられるにふさわしい曇りなき存在であることの証だ。この世のすべての闇に打ち勝つ力を持った色だ。何人たりとも冒すことのできない光だ。

 後悔はしない。

 自分の信じた太陽以外の存在を支持することは、絶対に、ない。

 一人が向かってきた。テイムルはためらわず真正面の腹を横に切り裂いた。抵抗する隙を一切与えない。

 すぐに二人目が迫ってきた。手首を返して、顔面を斬りつけた。

 夜の闇の中、赤い炎に紅の雫が飛ぶ。

 二人同時に左右から迫ってきたのであえて一歩引く。二人がぶつかりかけたところを斜め下から斬り上げて一度に二人分の首を落とす。

 誰も彼も白軍で大事に育ててきた兵士だ。白軍は誰一人無駄にせず少数精鋭の近衛兵士を育てる。王の親衛隊として、王国軍の憲兵隊として、自分たちは最強の存在なのだ。その一員としてふさわしくない存在はいなかった。

 白銀の刃のもと、次々と斬り捨てられていく。

 こんな雑魚に育てた覚えはなかった。

「そんなことで王を守れると思うな!!」

 背中に斬りかかってきた兵士に対応するため振り向いた。自分の脇腹をかすめるように後ろへ剣を突き立て相手の腹を貫いた。

 肉から剣を抜こうとした、その時だ。

 肩に痛みが走った。

 見るとある兵士の刃がテイムルの肩をかすめていた。

 白い軍服に紅いしみが広がる。

 剣を引き抜くのに時間がかかる。やむを得ず近づいてきた兵士を足で蹴り飛ばした。

 力任せに剣を引きずり出して辺りに臓物を飛び散らせた。強烈な汚臭が漂う。

 剣を振って血を払った。

 周囲を睥睨する。

 まだ大勢いる。すでに斬り伏せた連中を除いて今現在立っている人間を数えたが、とりあえず十人はいるようだ。さすがに多い。いくらテイムルが腕に覚えがあるとはいえ、猫も一度に二十匹近いねずみに跳びかかられたら大変だろう。テイムル一人を暗殺するためにこれだけの人を揃えたのか。

「みんなそんなに僕が怖いんだね」

 しかし余裕ぶってばかりもいられない。技術のない平民を斬るのとはわけが違う、皆訓練を受けた剣士である。

 ここでやられるわけにはいかない。宮殿の中に戻って反乱の芽があることを伝えなければならない。できれば自分の手で摘み取りたかった――ソウェイルの治世をきれいなものにするために。

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