第6話 どんな女性がお好み?

 まずは体だ。何においても重要なのは健康である。健全な肉体に健全な精神が宿るのだ。この一ヶ月でなおざりになっていた体調管理から始めなければならない。

 フェイフューは食べることから始めた。出された食事をすべて平らげるようになった。侍従官たちはもとの食欲旺盛なフェイフューに戻ったことを喜んでくれた。

 ありったけの料理をもって臓物を満たす。

 食べることは好きだ。腹の中に物を収めている時フェイフューは生を感じる。

 もう恐れることはない。

 やりたいのならやればいい。怯えて逃げ惑っていたら相手の思うつぼだ。向こうはフェイフューが困るところを見たいのである。見せてやる必要はない。

 あの時傍にいた白軍兵士は何も見ていなかったと言っている。フェイフューも否認した場合、その場の状況を説明できるのは彼女だけになる。

 彼女の説明を信じる人間はどれだけいるだろう。

 相手は女で、貧しい田舎の出身で、神剣を抜いただけのどこの誰とも知れぬ人間だ。

 対するこちらは、男で、二百年続いたこの王朝の直系男子で、王位継承権を持つ王子なのである。

 主張が食い違った時民衆が信用するのはどちらだろうか。

「よく召し上がりますわね」

 今日の昼食はエルナーズのたっての希望で二人で食べることにした。

 フェイフューは多数決に関する事柄を話したいのかと思っていたが、エルナーズは先ほどからタウリスのことを話したりエスファーナのことを訊いたりしている。世間話の域を出ない。

 しかしフェイフューは嫌ではなかった。難攻不落の城塞都市、古都タウリス――フェイフューからしたら憧れの都だ。タウリスの風土に関する話題は興味がある。いにしえのアルヤ帝国の残り香を感じる。

 単刀直入に無粋な政治の話題を突っ込んでくることはしないエルナーズの姿勢にも好感が持てた。遠回しに近づいてきて、さりげなくフェイフューの話を聞き出す。受け答えも軽快かつ明快で彼の知的な面を見聞きすることができた。タウリスの娼妓は会話がうまいのだ。

「食べることと体を鍛えることが僕にとっての二大関心事といいますか趣味といいますか」

「先ほどおっしゃっていた大学のお友達と食事をなさったりもするの?」

「ええ、もちろん。大学の構内にある食堂で間食することもありますよ」

「ねえ」

 エルナーズが身を乗り出す。

「男友達だけでございますか」

 目をしばたたかせ、「どういう意味です?」と訊ね返す。エルナーズがいたずらそうに笑う。

「女友達はいらっしゃらないんですか」

 反射的に返事をした。

「当たり前でしょう。女とはそんなふうに馴れ合わないのですよ」

「あら、そう? たまには可愛い女の子と二人で出歩きたいなどとはお考えにならないんです?」

「ええ。興味がない、というより、面倒臭いですね」

 「ここだけの話ですよ」と声をひそめる。

「あまり冷たくあしらうと何を言われるか分からないですし、ラームにもできる限り甘い顔を見せるようにと言われているのですが、正直なところ、こういう、多数決のような、ややこしい問題さえなければ僕はきっぱり拒んだでしょうね」

「そんなにお嫌いなんですの?」

「女とは議論ができないではありませんか。話し相手として面白くない相手と一緒にいるのは苦痛です」

「議論のできる、話し相手として面白い女性なら、一緒にいても苦痛ではない、と。そうおおせという解釈でよろしいのかしら」

 はたと考えた。

「考えたこともありませんでした。そのような女がいるのでしょうか。女というのはたいていが愚かで、知恵のある女は生意気でこざかしいですよ」

「あらら、そこまでおっしゃる? 話をしたこともないのに?」

 こんな指摘を受けたのは初めてだ。

 エルナーズの言うとおり、フェイフューが会話をしたことのある女性というのはごくわずかだった。大半は宮殿の女官で事務的なやり取りしかしない。私的な会話もしたことがあるカノやユングヴィは愚かな女に分類できた。

 確かに、ろくに会話をしたこともない人間を頭が悪いと批判するのはむしろこちらの方が愚かな気もする。話をしたら意外と気が合う女も現れるかもしれない。今のところ身のまわりにはいないが、すべての女をひとくくりにしてしまうのは時期尚早か。

 エルナーズの言うことがすべて正しいとすれば、タウリスの芸妓たちは機知に富んでいて教養があり、エルナーズ同様に会話がうまいはずだ。そして芸妓とは九割女性であろう。

「……まあ、僕があまり女性を知らないので、断言するのはよろしくないかもしれませんが」

 エルナーズが「そうでしょう」と微笑む。

「殿下も次で十六でしょ。そろそろ花嫁を迎える支度を始める頃ですわ。どんな女性ならお傍に置いておいても許せるかお考えになってもよろしいのでなくて?」

「そうですね……、王になったら王妃を迎えねばなりませんしね。サータム帝国かラクータ帝国かはたまた国内の貴族の娘は分かりませんが、きっとどこぞの姫君を推薦されるのでしょうし、ぞんざいな扱いはできませんよね」

 手を止めて考えてしまった。

 気は乗らなかった。ラームテインやエルナーズと喋っている方がずっと楽しいだろうと思えた。できることなら永遠に女を遠ざけて男友達と気楽に生きていたかった。

 女に人生を干渉されたくない――では干渉してこない女ならいいのか。そんな女は実在するのだろうか。女といえば、仕事と自分のどちらが大事か、と詰め寄ってくるものだ。そうでない女が見つかったら、自分はその女を受け入れるのだろうか。

 王族にとって結婚は義務だ。政治のために有力者と姻戚関係を結んだり、社交のために妻を用意したり――いずれも重要なことである。いつまでも逃げていてはいけない。

 女を遠ざけておくことは、こどもっぽい、幼い態度かもしれない。

 王族である以上は、子供を作る必要があるのだ。

 ふと、ナーヒドの顔が浮かんだ。

 彼は家にチュルカ人の女を引き込んでいた。

 だがフェイフューはあの女の顔に見覚えがある。切れ長の目、滑らかな肌、薄い唇――異民族趣味の端正な顔立ちはいつだか宮殿の中で取っ組み合ったグルガンジュ王国の王子とよく似ていた。噂の姉だろう。つまりグルガンジュ王国の王女だ。

 草原の王国のハンの姫君と、高原の王国の大貴族の御曹司――悪い組み合わせではない。

 むしろ、アルヤ王国の中に他国の王女を放し飼いにするのは危険かもしれない。信頼のおける家臣のもとにやるのは、政治的判断として正しいかもしれない。

「ね、殿下」

 エルナーズが目を細めて訊ねてくる。

「どんな女性がお好み? 話し相手として不足のない女? 知恵があっても生意気なことを言わない女ということ?」

 フェイフューは「そうですね」と頷いた。

「ちょうどあなたのような」

「えっ」

 彼にしては珍しく、あからさまに顔をひきつらせた。

「冗談ですよ」

「たちの悪い冗談をおっしゃる……! 心臓が止まるかと思いました! あー今度こそ俺ラームに刺される、って思いました」

「何ですかそれ。どうしてここでラームなのですか」

「殿下でも冗談をおっしゃることがあるんですね」

「冗談くらい言いますよ、冗談の通じない人間は友達がいなくなりますよ」

 胸を撫で下ろして、「そう、そうね……」と呟く。

「まあ、でも、女……、女ですか……」

 ちぎった薄焼きパンナンを口に入れる。咀嚼し、飲み込む。

「僕はより取り見取りでしょうからね」

「すごいことをおっしゃる王子様だこと」

「いえ、アルヤ王ですからね。別に僕自身が女に人気だと言いたいわけではありません。巷では人気だそうですけれど」

「今日の殿下、すごい勢いですごい発言を連発していらっしゃいますけど、大丈夫です? お疲れではございません?」

「興味関心がありませんでした。将来のことを考えたら、もっと考えねばいけませんね」

 手元の茶碗を手に取る。エルナーズが水差しを取って茶碗に水を注いでくれる。細やかに気を遣える。好感度が高い。給仕は本来身分の高い女がすることではないが、フェイフューはさりげなくこういうことができる女を妻にしたいものだと思った。

「とはいえ今は接点がありません。いったいどこでどう勉強したらいいのやら」

「やだ、ここで勉強と言うとちょっといかがわしいですわよ」

「失礼な、ただ会話をするだけですよ。今種蒔きをして実ろうものなら大変なことになります」

 エルナーズが両手を合わせて「あら」と微笑む。

「会話をするだけでいいなら身近にカノちゃんがいるのではなくて?」

 フェイフューは二度三度とまたたいた。

「それこそ頭の悪い女代表格では?」

「でもカノちゃんは女学校に通っているじゃありませんか。お友達を紹介してもらうのもひとつの手ですわ」

「それは……、確かに。きちんとした家の出の姫君へのつてはあるでしょうね」

「それにね」

 細められた目はいたずらそうで、

「カノちゃんを味方につけておかないと。最後の一人なんですから」

 言われてから気づいた。

「……そう、ですね。カノと会話をしなければ」

 何とかして、カノを懐柔しなければならない。カノはまだ、席についていないのだ。

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