第3話 秋分の日

 秋分の日、イブラヒムは大講堂に春分や夏至と同じ配置の用意をした。

 直前になって移動しなくても済むよう、最初から双子を向かい合わせに座らせた。

 フェイフューが、出入り口から見て左、壇上から見て右に座る。ソウェイルが、出入り口から見て右、壇上から見て左に座る。これも、春分や夏至と同じだった。

 何もかも半年前、あるいは三ヶ月前と同じのはずだった。

 フェイフューは蒼ざめた。

 この一ヶ月、ユングヴィの状況が気になっていろんなことがおろそかになったフェイフューは少しやせた。食事も運動も夏の盛りに比べると少ない。涼しくなって活動しやすくなったはずなのに、フェイフューは一人で部屋にこもることが増えた。

 対するソウェイルは何も変わっていない分冷静沈着に見えた。端正な顔立ちには何の表情も浮かばない。人形のようだ。

 フェイフューは、この兄は物事を深く考えていない分感情の起伏が平坦でこんな無表情になる、ということを知っていた。だが、今日になっていまさら、普段どおりであるからこそ、下々の者はソウェイルのたたずまいに安心感を抱くのではないか、ということに気づいた。ソウェイルは落ち着いているように見えるのだ。

 ソウェイルは、何もしていない。

 急に自分が多数決に合わせて慌てふためいた小心者であるかのように思えてきてしまった。

 胸を張れなかった。ソウェイルの顔を見ることができず、斜め下を見ていた。

 鼓笛隊の喇叭ラッパが高らかに鳴る。それがフェイフューには死刑執行の合図に聞こえた。

 イブラヒムが何らかの前口上を述べた。しかしフェイフューの耳には入ってこなかった。

 イブラヒムの顔を見ず、聴衆の方――十神剣の方を盗み見る。

 背中に氷を落とされたような寒気を感じる。

 十神剣は九人全員が揃っていた。

 息を、呑む。

 フェイフューから見て左から二番目、一番端にいるテイムルの隣に、ユングヴィがいる。

 見ていられない。

 ユングヴィは長かった赤毛をばっさり切り落としていた。この間まで背を覆うほど長く伸ばしてひとつにまとめていた髪を、耳が出るまで短くしていた。毛先が傷んでほうぼうを向いている。マグナエは巻いていない。化粧もしていない。素肌は荒れている。服装もくるぶしまで覆う丈の女物の服ではなかった。筒袴に遊牧民のような長靴ブーツを履いており、上は立て襟の襯衣シャツを着ていた。男物だ。背には深紅の長剣を背負っている。

 既視感がある。まだこの王国が死んでいた時、総督がウマルだった頃のユングヴィは確かこんな感じだった。自分の身なりに一切気を遣わず、少年のようななりをしていた。あの頃と今のユングヴィが重なる。

 なつかしい、とは思わなかった。フェイフューが見ていたユングヴィは貞淑な服装に田舎巻きのマグナエだった。あのユングヴィはどこへ行ってしまったのだろう。

 死んでしまったのだろうか。赤子とともに土へ還ってしまったのだろうか。

 自分が殺してしまったのだろうか。

 表情が硬く強張っている。周囲を警戒するように見回している。

 おっとりと微笑んでいたユングヴィはいない。

 口の中がひりひりと乾く。

「――では、座りたまえ」

 イブラヒムがそう言ったところで、十神剣のうち数名が立ち上がった。

 最初に動き出したのはユングヴィだ。彼女は一切迷いのない足取りでまっすぐソウェイルの後ろに向かった。そしてあぐらをかいて座った。その乱暴な振る舞いはならず者集団赤軍の頭領だ。

 次にユングヴィの隣へ座ったのはサヴァシュだった。彼も春分の時に見せたような間はまったく見せなかった。一分の隙もない態度でソウェイルの後ろに座った。

 一方フェイフューの後ろにもひとが集まっていた。

 まずこちらに向かってきたのはナーヒドだ。彼は確かな足取りで歩み寄り、フェイフュー側の筆頭として座った。

 だがフェイフューの心は晴れなかった。いまさらそんなことをされてもフェイフューの気持ちはナーヒドの方に寄っていかなかった。ナーヒドは裏切り者だ。もう彼とは遠く隔たってしまった。むしろ、何様のつもりだ、と言ってやりたかった。蛮族の女と睦み合う彼の支持はいらなかった。

 ナーヒドの隣にはラームテインが座った。相変わらず涼しい顔で、丁寧な所作で腰を下ろした。その目はまっすぐ前を向いていて頼もしい。

 さらにその隣、三番目の席にはエルナーズがつく。彼は口元に穏やかな笑みを浮かべて「失礼いたしますわね」と言いながら座った。膝を揃え、女性のように斜めに座る。

 まだひとが動いた。

 ベルカナが立ち上がった。彼女は隣のカノに声を掛けることなく歩き出し、ソウェイルの方へ向かった。サヴァシュの隣、三番目の席に座り込む。長いチャードルの裾を膝の後ろに折り込んで腰を落ち着ける。

 ここまでは夏至と一緒だ。

 新たな動きがあった。

 あのアフサリーが席を立った。

 フェイフューは両目を見開いた。

 アフサリーは、ゆっくり、一歩一歩を踏み締めながら、歩いた。

 ソウェイルの後ろへ、だ。

 もったいぶって、たっぷり時間をかけて、ベルカナの隣に座った。

 その表情はまったく読めなかった。

 立ち上がりそうになった。なぜ、と叫びそうになった。

 アフサリーは、平然とした顔をしている。

 後ろを見た。

 ナーヒドもラームテインもエルナーズも、驚いた様子はなかった。

 まさかアフサリーがこう動くことを知っていたのだろうか。フェイフューだけがこんなに動揺しているのだろうか。

 アフサリーがソウェイルを選んだ。

 これで、ソウェイル側が四人、フェイフュー側が三人だ。

 十神剣のもとの席の方を見た。

 眉間にしわを寄せ、何とも複雑そうな顔をしたテイムルが、立ち上がった。

 フェイフューは、目を見開いたまま、その流れを見ていた。

 白軍幹部専用の白い外套マントをはためかせ、ソウェイルの後ろへ行く。

 アフサリーの隣に座った。

 テイムルがソウェイルを選ぶことは最初から分かっていた。しかし、今、と思うと震えが走った。何を判断基準にしてこの機会に動くことにしたのか分からなかった。

 これでソウェイル側が五人だ。

 過半数を取られた。

 場がざわついた。この結果に列席している貴族たちも動揺しているようだ。

 耳障りだった。

 自分自身の心臓の音も耳障りだ。

 王国が、騒いでいる。

 ソウェイルの顔を見た。

 ソウェイルは、相変わらず、いつもどおりだった。彼は一切動じていなかった。あらかじめこういう流れになることを知っていたかのように超然としていた。涼しそうにさえ見えた。落ち着き払っている。

 動揺しているのは自分だけか。

「――さて」

 イブラヒムが言う。

 顔を上げ、イブラヒムを見上げた。

 イブラヒムはフェイフューより向こうの方を見ていた。

 目線を辿る。

 講堂の真ん中辺りを――十神剣のもとの席を見つめている。

 フェイフューは、思わず、「あ」と呟いてしまった。

 九つの席の真ん中に、カノが座っていた。

 彼女は、真っ青な顔をして、ただでさえ大きな目をさらに真ん丸にして、うつむいて震えていた。

 中央のその席以外の八つは、空席だ。

 カノ以外の全員が、立場を表明したのだ。

「カノ」

 イブラヒムが、低い声で、しかしどこか楽しそうな雰囲気をにじませながら、その名を呼ぶ。

「君はどうする」

 カノが顔を上げる。

 薄く口を開く。何かを言いかける。

 イブラヒムはカノに発言を許さなかった。何かを言いかけたにもかかわらず、遮ってわざと「言いたくないなら言わなくていい」と告げた。

「ソウェイルか、フェイフューか。ただどちらかを選べばいいだけだ。君は、何も言わず、座ればいいだけなのだ」

 カノが大きく息を吐く。おかしな呼吸だった。異常に緊張しているようだ。その姿はさすがに痛ましい。

 フェイフューは、この時、カノをどうにもできない、と思った。彼女自身が選択するしかない。そこにフェイフューが口を挟む余地はないだろう。

 カノはソウェイルを選ぶのではないか。ソウェイルは『蒼き太陽』で、すでに過半数を取っていて、しかもベルカナがそちら側についている。意志の弱いカノは流されるはずだ。

 そうであっても責めるのはやめよう、とフェイフューは決意した。この状況に陥ってまでカノをなじる気にはなれなかった。さすがに彼女が可哀想だ。

 フェイフューはカノから顔を背けた。

 しかし――声が聞こえてきた。

「カノ」

 新たな衝撃を受けた。フェイフューは心底驚いた。

 聞こえてきたのが、よりにもよって、フェイフュー自身に似た声だったのだ。

 顔を上げた。

「いい。無理はするな」

 喋っているのはソウェイルのようだった。

 フェイフューは頭が真っ白になった。

 自分が彼と口を利いていない間に、彼の声が低くなっている。まだ完全に安定してはいないようだったが、声変わりがだいぶ進んでいる。

 自分の声と、兄の声の、高さが重なる。

 隣に並んだことがないので分からなかったが――まさかとは思うが、背が伸びたりなどはしていないだろうか。

 体の成長の度合いでは、自分の方が圧倒的に勝っているはずだった。

 追いつかれる。

「今日はもうやめにするからな」

 ソウェイルが落ち着いた声で言う。

「まだ半年あるから。カノは、今日はまだ立ち上がらなくていいからな」

 カノは一度何かを否定しようとしたらしく震える声で「でも」と言った。

 だが次の時にはうつむいて「うん」と頷いた。

「ソウェイルの言うとおりにする」

 それはソウェイルへの服従ではないのか。

 フェイフューは目の前が真っ暗になった気がしていたが、自分の強健な体は多少やせたくらいでは倒れなかった。

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