第12話 王都は発情期です

 仕事で総督に届けなければならない書類が出てきたので、宮殿の南に向かった時のことだ。


 用事が済み、建物を出て蒼軍の施設に戻ろうとしたところ、玄関の広い空間の向こう側、二階に通ずる階段から、二人の人物がおりてきた。


 片方は、艶やかなまっすぐの夜色の髪を左耳の下で緩やかにひとつに束ねた男である。濃緋一色の生地に銀のボタンがついているだけの服は一見単純だが、着こなしの難しい高級な毛織物で、秋を感じる風流な装いだ。宝飾品を身に着けておらずとも、白く滑らかな肌は真珠にたとえられ、薄紅色の唇は珊瑚にたとえられ、何もしていないのに非常に目立つ。


 もう片方は、前髪を長く伸ばし、後ろ髪を断髪にした、独特の髪形の男である。濃い紫の絹の生地に金糸の刺繍の入った派手な服を着ていて、肩にはかぎ編みの黄緑色の羽織ものを引っ掛けている。空石ターコイズの埋まった大きな耳飾りに、同じく空石ターコイズを使った指輪をしていて、とてつもなく人目を引く。長い前髪を掻き分けて表に出している右半分の顔は秀麗で、おとなしくしていれば上品にさえ感じるのに、もったいなことこの上ない。


「ラーム、エル」


 二人――ラームテインとエルナーズは、二人で何やら盛り上がって話し込んでいたが、愛称を呼んでやるとすぐナーヒドに気づいてこちらを向いた。


 エルナーズがエスファーナに現れたということは、もうすぐ秋分で、十神剣による多数決が行なわれる、ということだ。


 時は、確実に、移り変わっている。

 気を引き締めなければならない。


 エルナーズと目が合った。

 途端、エルナーズがこちらに駆け寄ってきた。


 わざと少しだけ身をかがめて、下から覗き込むようにしてナーヒドの顔を見る。その右目は細められて意地悪く笑っている。


「聞いたでぇ! 女の人と暮らしてはるんやってなぁ!」


 ナーヒドは顔をしかめた。エルナーズはたいへん興奮しているらしくタウリス弁で「いややわぁ、なんで俺に教えてくれはらへんのん」と言いながら身をくねらせている。


 エルナーズの後ろではラームテインが「うわあ! どうして単刀直入に言ってしまうんですか!」と動揺していた。こういう反応ということはおそらく彼も前情報として耳に入れてはいたのだろう。遠慮してナーヒド本人に直接言わなかっただけで気に掛けてはいたということだ。


 ひとつ、大きく息を吐いた。


「ああ、そうだ。同棲している」


 エルナーズもラームテインも、目を丸く見開き、硬直した。普段は何事にも動じない、いついかなる時も自分の調子を崩さぬ彼らだ。とても珍しかった。


「王が決まるまでは話を進めてはいかんと思ってまだ婚姻誓約書は書いていないが、おそらく来年の春にはそういうことになると思う。正式に日取りが決まったら報告すればよいかと思っていた。したがってまだ俺の口からは十神剣の誰にも言っていない。すまんな」

「えっ、……ああ……、そう……なんですか……」

「あら……、うん。いや、いいことなんだけど……」

「殿下がたお二人にはまだ許可をいただいていないので余計なことを言うな」

「はい……分かりました……黙ります……」

「まあ……その辺は、空気を察して、ええ、そう……」


 先ほどまで楽しそうにしていたエルナーズが、ラームテインに小声で「何なの? 王都春なの? みんな発情期なの?」と問い掛けた。ナーヒドは「聞こえているぞ」と言っておいた。


「あのナーヒドが……どうしたらこんなことに……さすがの俺も予想外よ……」

「僕の方が聞きたいですよ……いったい何がどうなればこういう急展開に……」

「貴様らいつか痛い目を見るがいい」


 ラームテインが「とりあえず今ここで会えてよかったです」と言ってナーヒドに向き直る。


「いずれにせよ今日明日にナーヒドに声をお掛けしようと思っていたんです。今後の方針について話をしておかなければと思っていまして」

「今後の方針とは?」

「具体的に言いますと、カノをどう調略するか、です」


 彼は真剣な顔で「不穏な情報が入ってきました」と言った。


「アフサリーとオルティ王子が接触しているという情報です。オルティ王子がアフサリー宛に郵便物を出したとのこと。何が書かれていたのかまでは誰も確認していませんが、オルティ王子はソウェイル殿下と非常に親しい。アフサリーにフェイフュー殿下にとって不利なことを伝えていないか気にかかります」


 想定外の展開だった。

 オルティとはギゼムの弟だ。食い扶持に困って軍学校の寄宿舎に入れたところまでは聞いていた。しかし具体的に何をしているかまでは把握していなかった。


 ラームテインが続ける。


「万が一アフサリーがソウェイル殿下側に転んでもいいようにカノを確実にフェイフュー殿下側に引き入れておかなければ」

「可能なのか」

「できるかどうかではありません、やるんです」


 女のような顔をして勇ましい男だ。感心した。


「しかし僕らだけでは限界はあるでしょうね。何せベルカナがソウェイル殿下を支持しています。ベルカナに、カノに何かを吹き込まれたら、まずいんです。カノはベルカナを実の母親のように思って慕っていますから」


 それを聞いて、ナーヒドは唸った。本当は実の母親なのだが、カノが生まれたあとに将軍になっているラームテインとエルナーズは知らないのだ。


 桜将軍に家族がいてはならない。ベルカナ自身もその掟を守ってカノに出生の秘密を黙っている。彼女が沈黙を貫いているのにナーヒドたち周りの人間が勝手なことをするのはよろしからぬと認識していた。


 だがここにきてナーヒドは考えてしまうようになった。


 他人が産んだ子だが、ギゼムはアイダンを実の娘のように思って可愛がっている。

 ああいう姿を見ていると、自らの腹を痛めて産んだ娘に何も言えずに過ごしているベルカナはどのような思いでいるのだろう、と思う。

 ひとの子でさえ自らの手で養育すれば情が湧くというのに、血のつながった我が子を手元に置いておいて何も思わないはずがない。


「あまり、気は進まないが。カノとベルカナを引き離すようなことは、俺は賛同しかねる」


 ラームテインとエルナーズが、顔を見合わせた。


「……まあ、ナーヒドがそう言うのなら。僕も、フェイフュー殿下にとって丸く収まる状況に持っていけるのなら、誰にも無理強いはさせずに済ませたいですよ。別に、カノに乱暴なことをしたいわけではないですし。それに、どこかでひずみが生じると時が経つにつれてどんどん拡大していきますからね」

「ああ、そうだな。フェイフュー殿下にとって不利にならない範囲で、穏便に済ませることができれば」

「フェイフュー殿下側とソウェイル殿下側に分かれることが必ず対立につながるわけでもありません。今のところはね」


 今のところ、という言葉は引っ掛かったが、彼の言うとおりだ。目的を見失ってはならない。自分たちはあくまで王を決めたいだけなのだ。


「そう、僕らが無理してどうこうするより、カノはフェイフュー殿下ご自身に何とかしていただく方がいいかもしれない、と僕は思うんです。殿下にカノと話をしていただきたいんです」

「殿下に? 具体的には何の話を」


 今度はエルナーズが「決まってるじゃない」と答えた。


「年頃の男女の組み合わせと言ったら色恋でしょ。カノちゃんはフェイフュー殿下が大好きなんだから、フェイフュー殿下ご自身にちょちょいと転がしてもらってオトすのがいいわ」


 ナーヒドは目を丸くした。


「貴様ら、殿下にそんな汚い真似をさせる気か」


 ラームテインが言う。


「調略とは基本的にはより魅力的な条件を提示して気に入らせるものですからね。それに、こちら側が女なら嫁入り前におかしなことをすると損をするかもしれませんが、殿下は男ですから問題ないでしょう」


 エルナーズが言う。


「汚いって何よ。いいじゃない、好いた惚れたは人生でもっとも楽しい話題よ。しかも一番そういうことに興味がある年頃だわ。花の女学生にあんな美男の王子様をあてがって盛り上がらないわけがないじゃない」


 ナーヒドが言葉に悩んでいるうちに二人は話を進めた。


「問題は殿下ご自身がそういう手段を忌避されることですよ。だから、どう進言すればご納得いただけるかをここで話し合っておこうという話なんです」

「殿下、女の子があまり好きじゃないみたいものね。慎重に進めないと殿下のお心が俺たちから離れちゃう。ここで揉めるのは厄介よ」

「そんなにうまくいくだろうか、ひとの心は簡単に動かせるものではない」


 エルナーズに「ナーヒドのくせに浪漫的なことを言うわね」と言われてしまった。


「カノ、ちょろそう」


 確かに、カノはユングヴィの次くらいに感情論で動く娘だった。まして彼女がフェイフューに入れ込んでいるのは誰もが承知のことだ。あれこれ理屈で策を巡らせるよりフェイフュー自身が情に訴えた方が転びそうな気がした。


 抵抗はある。人倫にもとる行為のように思えるのだ。しかもよりによってフェイフューを汚すように思えて気が進まない。

 とはいえフェイフューは男である。ひとつやふたつ場数を踏んでおいても損ではない。


「しかし……、ひとの嫁入り前の娘を……」


 ナーヒドにはそれ以上何も言えなかった。

 代替手段を提案することが、ナーヒドにはできなかったのだ。





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