第11話 後を継ぐ者

 二人で階段をおり、半地下のとある部屋に向かった。

 重い扉を開けた。

 扉の向こう側は、窓がなくて真っ暗な、少しひんやりとした空気の部屋だった。

 ナーヒドが油灯ランプの光をかざす。

 狭い部屋の中一面に据え付けられた棚、そして棚いっぱいの硝子ガラスの瓶の姿が浮かび上がる。

「わあ……!」

 ギゼムが感嘆の声を上げた。

「これ、ぜんぶ、ぶどうのおさけですか」

「そうだ」

 二人で部屋の中に入る。

 棚の一ヵ所、たまたま目に留まったところに置かれていた一本を手に取った。瓶の表面の貼り紙を見て、「これはティラチス産の二十年物だな」と言いながらギゼムに渡す。

「てぃらちす? どこですか?」

「アルヤ王国の南部州の州都だ。王国で一番の葡萄酒の名産地でな。その昔、数百年前、サータム人の王国がここら一帯を支配してアルヤ人の民衆に飲酒を禁じた時にも抵抗して葡萄酒を作り続けた都だ」

 ギゼムが「すごい、すごい」と言って瓶を抱き締める。

「ぜんぶで何本あるのですか」

「もうすぐ百本になる」

「お一人であつめたのですか」

「ああ。趣味で」

 油灯ランプの光で瓶の表面を照らし出し、そこに書かれた文字や図表を目で読みながら、語り続けた。

「休日があまりにも退屈でな。本当にすることがなくて一日じゅう半分眠った状態で終わってしまう。父が死んだあとは特にぼんやりしていたので、ある時このままではいけないと思い、一念発起して市場に行って興味を引かれるものを探したのだ。以来、香りや味を気に入ったもの、貼り紙や瓶の意匠を気に入ったもの、手当たり次第手に入れてこの貯蔵庫にしまっている」

 「結局酒を飲んで休日を潰してしまうことになったが」と言うと、彼女は小さな声で笑った。

「アルヤのおさけはおいしいからしかたがないですよ。お休みの日ぐらいおさけをのんでだらだらしましょう」

「ああ」

 ようやく毎日一緒に酒を飲める人間と出会えたのだ。たとえば窓から夜空を見たら月が美しく輝いていた時、思いつきで気軽に誘ってささやかな宴を開くことができる。そう思うだけで、ナーヒドは嬉しかった。自分が十年近い歳月をかけて真っ暗な貯蔵庫の中でひとり積み上げてきたものが報われるように思うのだ。

「わたしはおさけがつよいですね。まいばんたくさんのみますね」

「言ったな。毎晩付き合うのだぞ」

「のぞむところですね」

 彼女も笑顔だった。瓶の首を撫でて、穏やかに微笑んでいた。

「――無理だと思っていた」

 小首を傾げて、「何がです?」と問い掛けてくる。

「こんなに集めて、俺が死んだあとはどうするのだろうな、と思っていた。俺一人では到底飲み切れまい。大量に余って、相続する親族もなく、この屋敷とともに朽ちていくのかもしれない。高級な、年代物の、かなり値の張るものばかりなのに。もったいないからいい加減やめた方がいい趣味だと考えていた。もう無理だ、と」

 ギゼムが抱いている瓶の貼り紙を、指の腹で撫でる。

「だがお前がこれから毎晩付き合うとなればきっと減りが早くなるだろう。買う本数に飲む本数が追いつく――あるいは追い抜くかもしれない。そう思うと――」

 それ以上は恥ずかしくて口にしなかったが、彼女は「そうですね」と頷いた。

「かぞくがいるのは、いいことですね」

 ナーヒドも、力が抜けた。

 彼女の言うとおりだ。これでよかったのだ。

「でも、」

 そう言って少しうつむく。

「その……、ほんとうにあきらめてしまっていいのでしょうか」

「何をだ」

「こどもを」

 顔をしかめて「またその話か」となじると、彼女は「少しかんがえたのですが」と言う。

「べつに、血のつながった子でなくてもよいのではないでしょうか」

 言われてから、気がついた。

「この大きなおやしきと、たくさんのお金と、ぶどうのおさけ、かざってあるつぼ、たな、絵。何もかも、だんなさまがなくなったらおわりなど、もったいないですね」

 考えたこともなかった。何せ一番肝心なのは蒼い神剣を引き継ぐ直系男児だと思っていたからだ。血のつながった息子でないとすべてが断絶するとばかり考えていた。

「まあ、そうだな。土地や屋敷や調度品のような普通の財産は他人の子でも養子に迎えて相続させる手もあるな」

「わたしのいなかでは息子がたくさん戦で死にますので、ぜんめつしたら、兄弟のこどもをもらってくるのですね。あたらしいこどもを作るまえに家がだんぜつしたらいけないですから、おいにつなぎをさせるのです」

「俺には兄弟がないが……、父の兄弟も皆軍人になって戦死してしまったので父方はもう近しい親族がないのだが、母方は結構残っている。誰か探してきてもいいかもしれんな」

 そして、「だが」と呟く。

「神剣は……、蒼将軍の地位だけは、どうしたらいいものか。ずっと考えないように、先送りにしてきてしまった」

「それは、かならずじぶんの息子でないといけないのですか。おやしきのようにはいかないですか」

 少し、考える。

 はたして本当にそうなのだろうか。この二百年、必ず直系の男児が生まれたので、うまくいっていただけかもしれない。誰も試してみたことがないのでやらなかったのではないか。

「ご相談するのも、ひとつの手かもしれん」

「ごそうだん? どなたにです?」

「ソウェイル殿下だ」

 伝説の蒼い髪の王子はすべての神剣の長として王国に君臨するのだ。

「ソウェイル王子ですか? あのお方はとくべつですか?」

「そうだ。『蒼き太陽』だからな」

 事実ソウェイルは神剣と会話ができるという。直接神剣に交渉して血縁でない貰い子に相続させることはできないか頼み込めないだろうか。それこそ、軍学校で選抜するような、蒼将軍にふさわしい優秀な男子を嫡男として養子に迎えるのだ。

 王になるにせよならないにせよ、この王国には『蒼き太陽』は必要だ。

 彼は神としてただ存在していればいい。権威として、象徴として、アルヤ民族の統合のために黙って宮殿にいればいいのだ。あの蒼い髪を見れば誰もがこの国は奇跡の国であることを認めるだろう。必要なのはそういう動機付けであって、実際に生きているソウェイルという少年がどんな能力を有しているかは問題ではない。

 そこを補うのが、フェイフューなのである。フェイフューはナーヒドが知るどの少年よりも優秀で、民を率いて戦う者としてふさわしい存在なのである。

 あの双子がそうして運命を共有することこそアルヤ王国に必要なのではないか。

「ソウェイル殿下ならば何とかしてくださるかもしれん。落ち着いたらお話しさせていただくか」

 一人で言いながら、「いや」と首を振った。

「落ち着いたら、などと悠長なことを言わずとも、すぐにでも。俺はあの方と一対一で話をしたことがない」

 ギゼムは「いいことですね」と微笑んだ。

「いい子でした。弟もなかよくさせていただいています。きっとうまくやってくださいます」

「ああ。信じよう。何せフェイフュー殿下の兄君なのだからそこまで馬鹿ではあるまい」

 そこで、部屋の外、一階の方から幼子おさなごの泣き声が聞こえてきた。アイダンだ。昼寝から覚めたのだろう。

 二人は顔を見合わせて、笑った。

「行ってやるか」

「はい。上にあがりましょう」

 二人で、貯蔵庫を出ていく。もうすぐ秋になるといえどアルヤ高原の太陽はまぶしい。窓から差し入る光は廊下を激しく焼いていた。

「だんだんアイダンをサヴァシュに返すのが惜しくなってきたな。完全にこの家の日常に溶け込んでしまった」

 ナーヒドが呟くと、ギゼムが頷いた。

「アーちゃんをヨウジョにもらうというのもかんがえてもよいかもしれませんね。あの家はもう男の子がいますし、まだ赤ちゃんが生まれそうですし」

 提案されてからその手段を認識して、ナーヒドは、視界がさらに開けていくのを感じた。

 ギゼムとアイダンと三人で暮らす日常が、この先も続いていくかもしれない。

 アイダンを挟んで三人で出掛けた日のことを思い出した。

 それはきっと幸福な世界で、

「そうだな」

 階段をあがりきると、廊下で下女に抱かれて泣いているアイダンの姿が見えた。彼女はナーヒドとギゼムを見ると一瞬泣くのをやめた。

「おじちゃん、だっこ」

 笑って、下女からアイダンを受け取った。

「サヴァシュに、頼んでみるか」

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