第10話 一方オルティはまた苦難にぶち当たった

 オルティは絶望した。

 まず、軍学校の入学試験に受かる気がしなかった。

 ソウェイルの口利きで軍学校の寄宿舎に入ったまではよかった。ところがこの先自動的に軍学校に進めるわけではなく、今、地方から来て王都に定宿のない他の受験生と同じ扱いを受けている。この冬、三ヶ月後の試験で不合格になったら退寮させられるらしい。試験の点数までごまかせるほど融通が利くわけではないそうだ。テイムルが裏から密かに参考書と過去出題された試験問題を横流ししてくれたが、ここから先は衆人環視の中自力で何とかしろと言われた。

「もうちょっと頭いいと思ってたな」

 ソウェイルに相談したところ、そんなことを言われた。「フェイフューを基準にものを言っていないだろうな」と言ったら目を逸らされた。

「言っておくがあいつはおそらく俺の百倍は頭がいい」

「オルティの百倍ってことは俺の二百倍くらいかもしれない」

「しっかりしろアルヤ王、お前本当に立派な王様になれるんだろうな、お前に賭けた俺の将来が木っ端微塵なんてないよな」

「いや……なんていうか……だいじょうぶ……奇跡はきっと起きる……」

「ふざけるな! 本当にしゃれにならないんだぞ!」

 結局家庭教師を斡旋してもらえることになったが、オルティは楽天家ではない。ソウェイルの人選ではどんな人間に当たるのか不安だった。『蒼き太陽』の圧倒的な権威をもってすれば何とかなると信じるしかない。


 おっとりしているソウェイルのことだ、はてしなく待たされるのではないかと思っていたが、手配は意外と早かった。

 翌日、軍学校の寄宿舎にソウェイルの身辺警護をしているという白軍の新兵が来て、ソウェイルの勉強部屋に連れていくと言われた。

 いわく、蒼宮殿の南東の隅にかつて十神剣のうちの一人――討論会に来なかった最後の一人だそうだ、オルティにとってはいまだ詳細不明の人物――が住まいとして使っていた小屋があり、その者が結婚して出ていったあと、ソウェイルとその取り巻きが使っているらしい。その取り巻きの一人がたいへん聡明かつ博識でオルティの勉強を見てくれるという。

 辿り着くと、確かに小さな家が建っている。椰子の木々に囲まれた、こじんまりとした家である。宮殿内の建物だが、土の壁には簡単な彫刻があるだけで、石片タイルなどの装飾はない。

 小屋の前、出入り口の戸の前に、白軍兵士二人とソウェイルが立っている。ソウェイルは能天気に「おー」と言いながら片手を挙げている。

「いらっしゃい。自分の家だと思ってくつろいでくれ」

「いや、勉強を教えてもらいに来たんだが」

「ごろごろするには最適だ」

「百万回でも言うが俺は勉強がしたい、一刻の猶予もない」

「そう焦るな。詰め込んでもどうせ入らないぞ」

「お前が言うな、お前が!」

 ソウェイルが「どうぞ」と言って戸を開ける。

 中は土間になっていて、目の前にすぐもう一枚壁があり、戸がついていた。戸の脇にまた一人別の兵士がいて、無言で二人を見守っている。オルティを連れに来た一人はどうやらここから来たらしく、彼も無言でもとの配置に戻った。

 もう一枚の戸を開けると、そこは居間になっていた。赤い絨毯が敷かれていて、その上にさらにひとまわり小さな蒼い絨毯が敷かれており、真ん中に大きな卓が置かれている。卓の周りには座布団やとうの箱が無造作に置かれていて、壁には壁掛けが、窓には窓掛けが掛けられ、ソウェイルの言うとおり居住区間としてなかなか居心地がよさそうだった。何となく既視感があるがどこで見たものかは思い出せない。

 卓の周りに二人の人物が座っていた。

 向かって右にいるのは女の子だ。おそらくオルティやソウェイルと同世代である。小麦色の肌は滑らかかつ健康的で、明るい色とりどりの刺繍の服がよく似合った。桃色の刺繍のある黄色いマグナエからはおそらく断髪なのだろう顎の下までしかない黒髪がはみ出している。肉感的な厚い唇は蠱惑的で艶っぽいが、大きな二重の目は可愛らしくもある。

 彼女の顔は見覚えがある。あの討論会にいた少女だ。つまり彼女は十神剣の一人だ。こんなところで再会できるとは思っていなかった。

 向かって左にいるのも、女の子だった。年齢はやはり同じくらいだろう。

 しかし――美しい少女だった。白い肌は絹のようで、花弁に似た控えめな唇は薄紅色をしている。美人にしか許されなさそうな藍の無地一色の服が似合う。同じく藍のマグナエからは、緩やかな弧を描く艶やかな黒い前髪が見えた。何より印象的なのは黒曜石のような瞳だ。黒目がちで、長い睫毛に縁取られ、どことなく物憂げであるところは細密画ミニアチュールに描かれたいにしえのアルヤ美人を連想した。

 ソウェイルはふだんからこの美少女二人に囲まれて勉強しているのだろうか。女のような顔をしてとんでもない男だ。

「上がってくれ」

「えっ、本気か?」

 靴を脱ぎ捨てながら、ソウェイルが二人に「待たせたな」と言う。右側の断髪の少女が人懐っこい笑みを浮かべて「ううん、大丈夫!」と答える。

こんにちはサラーム、初めまして! あたしはカノだよ」

「カノ――さん」

「ううん、カノでいいよ。気軽にカノって呼んで。あたしもオルティって呼ぶし」

 失礼な女だった。

「まあ、いいが」

 「えへへ」と笑う様子はあざとい。あまり関わりたくない系統の女である。

 ソウェイルは向かって左の少女の傍に立った。

「こちらはシャフラ。正式にはシャフルナーズィアという名前だけど、覚えにくいのでシャフラでいい」

 少女――シャフラがその形のいい唇を開く。

「ひとの名前を勝手に省略して失礼ではございませんこと? わたくしはシャフルナーズィアでございます。覚えなさい。見ず知らずの殿方に気安く愛称を呼んでいただきたくはございませんわ」

 こちらはもっと失礼そうな女だった。

「みんな忘れているかもしれないが、俺も一応ハンの子だ」

「あっ、忘れてた」

「しっかり忘れたよ」

「完全に忘れましたわ」

「そうか。もういい」

 ソウェイルが言う。

「じゃ、オルティはシャフラの隣に座ってくれ」

 シャフラが「はあ!?」と大きな声を出した。オルティは何を言われたか分からず土間に突っ立ったままだ。

「ちょっと、本気でいらっしゃいますの!? わたくし承知しておりませんわよ!」

「ええ。こまる。『蒼き太陽』の命令だと思って受けてくれ」

「何が命令でございますか、貴方様のおっしゃることなど真に受けませんわ!」

「ええ……とってもこまる……」

「このシャフルナーズィア、そんな簡単に魂を売り渡したりなどしません」

 カノが「おっ、いいぞやれやれ!」とはやし立てる。

「待て、おい、ソウェイル」

「なんだ?」

「俺は勉強を教えてもらいに来たのであって女を紹介されるために来たのではないんだが」

「うん。だから、シャフラに教えてもらってくれ」

 「よっこいせ」と言い、土間から見て正面、卓の周囲でも窓に近い辺りに腰を下ろす。

「シャフラはとっても、とってもとっても、頭がいいんだ。俺の知り合いではラームとフェイフューの次くらいに頭がいい」

 シャフラが「このわたくしがあの傍若無人王子の次ですって?」と顔をしかめる。

「わたくしはあの人と違って空気も読めますし思いやりに溢れておりますが繊細で高貴なので未来の夫以外の殿方と口を利くなどとてもとてもできません」

「ん? なんで俺とは口を利くんだ? お前も俺を男に数えてないのか?」

「シャフラそういうトコちょっとフェイフューに似てるよね」

「何だこの空間。俺帰ってもいいか?」

 ソウェイルが卓の上にあった本をめくり始める。

「ここにいろよ。他に手段はないんだろ。シャフラならタダだぞ」

 シャフラが「このわたくしを無料扱いするのではありません」と怒鳴る。

「この女本当にそんなに頭がいいのか」

「男だったらエスファーナ大学に入れるくらいには」

「お前のこと信じるぞ」

「どうぞ」

「男性二人で話を進めないでいただけません?」

 本をめくる手を止め、顔を上げ、ふと微笑んだ。

「シャフラとオルティが仲良くしてくれたら、俺、とっても嬉しい。アルヤ王国の未来がとっても明るい」

 それを聞いて、オルティは察した。

 ソウェイルは、オルティを白軍所属の武官にするように、シャフラにも何らかの地位を与えようとしているのだ。彼女もまたソウェイルの思い描く政権運営の中に組み込まれているのだ。オルティは将来的に彼女と協力して政治をやることになるだろう。

 シャフラと目が合った。

「仕方がありませんわね。お相手してさしあげてもよろしくてよ」

 彼女がそう言ったのを聞いてから、オルティも靴を脱ぎ、彼女の隣に座った。

 ほんのりと花の香りがした。茉莉花の香りだ。南方の女神の匂いだった。

「で、何をどう教えてほしいのですって? あまりできないようならばわたくし見捨てますからね。必ずついてきなさい」

 オルティは深い溜息をついた。

 やはり高慢ちきの美人より気立ての良い不美人がいい。

 アルヤ王国最上級の高慢ちきに当たってしまった。心からユングヴィを恋しく思った。

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