第3話 会話はそこで終わった
多数決があっても中央守護隊の隊長としての仕事が軽減されるわけではない。
出身地も、年齢も、最近は性別すらこだわりのない他の神剣たちとは違い、蒼い神剣は蒼将軍家の直系男子にこだわっている。
したがって蒼軍の組織も将軍は蒼将軍家の男子が継ぐことを前提とした仕組み作りをしている。
必ず軍を率いるにふさわしい文武両道の青年がやってくるものとみなして、祭司としてだけではなく、最高位の武官らしいはたらきを求めてくるのだ。
蒼将軍には事務作業を含む実務能力が求められる。
軍部の他部隊の副長をはじめとする高位の武官たちとの折衝、予算の策定、軍で行なわれる行事の立案および準備、軍事鍛錬の監督、新卒の幹部候補生兵士の採用活動および基礎教育、有事の徴兵に関する規則の整備とそれにまつわる貴族院との調整、軍馬の育成から処分までの管理、兵站として貯蔵する食物の管理――挙げるときりがない。
蒼軍は平時にも一万人ほどの兵士を抱えており、有事には一般人を徴用して二万以上を動員する、アルヤ王国最大の超巨大組織だ。当然多くの将校がいる。事務担当の、体を鍛えた文官のような武官もたくさんいる。ナーヒドが一人で全部やっているわけではない。
けれどすべての決裁が最終的には必ず蒼将軍に回ってくる。
その代わり、蒼将軍も完全に組織の業務へ組み込まれているからこそ、就業時間と公休日も他の部隊に比べればはっきり定められていた。三百六十五日『蒼き太陽』に張り付いている白将軍とは異なり、ナーヒドは、毎日、決まった時刻に家を出て、決まった時刻に帰宅し、週に一日ずつ休暇を取っていた。
この日もそうだ。
ナーヒドはいつもどおりの時刻に帰宅した。蒼軍の庁舎を出て、馬で丘をのぼり、高台にある武家屋敷街の自宅に戻ってきた。
一階の北の奥に家畜部屋がある。そこでナーヒドは馬を三頭飼っていた。
父が生きていた頃には馬が他にも数頭いた。フェイフューをこの家で預かっていた頃にも、フェイフューの教育にいいだろうと考えて羊や山羊を飼っていた。しかしフェイフューを宮殿に返すと、肉や乳製品はナーヒド一人分だけ食事のつど市場で買えばよくなり、馬も通勤と休日の多少の鍛錬にいればいいだけになってしまったので、思い切って処分したのである。
母屋の裏にまわり、裏口から家畜部屋に入ろうとしたところ、反対方向から別の馬が歩いてきた。
ギゼムだ。
彼女は、ナーヒドの馬に乗って、どこからともなくやってきて家畜部屋に入ろうとしていた。
目が合う。
「おかえりなさいです」
ギゼムが微笑む。
器用なものだ。全身に銀細工をつけた重そうな状態でも危なげなく馬に乗っている。姿勢は正しく、馬も不安そうでなく、見ていて恐ろしいとは思わなかった。
しかも彼女は左手首に鷹を留まらせていた。ナーヒドの鷹である。
鷹も、頭巾をかぶった状態で、おとなしくしている。ギゼムにすべてをゆだねているように見えた。
つまり右手だけで手綱を操っているということだ。
普通の女がすることではない。騎馬民族の娘だからできるのだろうか。
そういえば黒軍には女がいる。基本的には兵站や武器など
「どこに行っていた」
問い掛けると、彼女は素直に「川のむこうがわへ」と答えた。
「馬たちもうんどうしないとなまってしまうですね」
エスファーナの郊外の丘に出たのだろう。
「ついでにこの子も。たくさんれんしゅうしたですね」
左手を少し掲げる。重くはないのだろうか。鷹は最大級の猛禽だ。ナーヒドも扱えるようになるのに何ヵ月も練習したというのに、最近この鷹と知り合ったばかりの女にも扱えるとは、と思うと複雑な気分だった。
「かしこい子です」
「鷹はいい。俺の許可なしに外へ出すな」
「はいです。ごめんなさいです」
だが馬のことは言わなかった。何せ三頭いるのだ。他の一頭が蒼軍の庁舎に出勤している間他の二頭は使用人の
ギゼムをナーヒドの邸宅で預かるようになって、今日でかれこれ三日目になる。
家令や女中頭の話によれば、ギゼムはよく働くそうである。一応王族なので洗濯や掃除のような水仕事はさせていないが、彼女自身が希望したとのことで、家畜部屋で馬の手入れをしていることが多いようだ。ナーヒドからすればそれこそ汚れる仕事ではないかと思うが、本人はお構いなしで楽しそうである。
預かった以上は責任をもって教育しなければならないと考え、女中頭に言いつけて、アルヤ式の行儀作法やアルヤ語の練習もさせている。まだたった三日だがすでに効果が出てきたらしく、発話はだいぶ滑らかになってきた。ところどころおかしいところはあるものの、今日はなかなかすらすらと喋っている。
家畜部屋に入り、馬から下りる。馬房の所定の位置に導き、柵を開け、内側に入れる。ナーヒドもそれに続いた。
ギゼムが「上にあがります」と言う。鷹はいつも二階の専用の小部屋で世話をしていた。その小部屋のことを言っているに違いない。
二人で、今度は建物の内側に向かう戸を開け、家の中に入る。
誰もいない廊下は静かで、二人の声のほかに何も聞こえてこなかった。厨房では女中たちが夕食の支度をしているはずだが、ここに二人きりしかいないように感じられた。
「今日のおしごとはどうだったですか」
ギゼムが訊ねてくる。愛想よく微笑んでいる。そのさまはどことなく上品で、やはりチュルカ人であっても王の娘は王の娘なのだと思わされた。
「いつもと変わらん」
「そうですか。よかったですね」
それだけだと会話が終わってしまう。ナーヒドとしてはそれでもよかったが、このまま二人で無言で二階まであがるというのもどうかと思い、もう少し話してみることにした。
「ただ、
ギゼムが「まあ」と明るい声を上げる。
「わかい子が来るとにぎやかになりますね」
「家庭や軍学校で行儀作法の教育を受けた者たちだ、騒々しくはない」
「あら、そうですか」
結局会話はそこで終わった。あまり長々と話しても軍事機密に関わるので仕方がない。二人とも無言で階段をあがった。
鷹を置き、「おゆうはんのまえにかえりますね」と言い残してギゼムが出ていってから、ギゼムは日中どんな仕事をしているのか本人から聞いてやってもよかったかもしれない、と思った。
扱いに悩む。
家の人間以外の女と話す機会などめったにない。家の人間、使用人の女たちとも、事務連絡ばかりで雑談はしない。
もっといえば、そもそも、仕事以外の話をする機会はあまりない。性別に限らず、だ。それこそ、テイムルが遊びに来なければ、ない、と言ってもいいくらいだ。
しかしナーヒドはそれを苦に思っていなかった。むしろむやみやたらに話し続けるのは疲れる。できれば家にいる時くらい静かに過ごしたかった。
そういえば、ここにいる間のフェイフューはとてもおとなしかった。話し掛ければ受け答えはしっかりしていたが、ナーヒドが忙しい時や疲れている時にまとわりついてくることはなかったし、どんなことでも互いに質問や回答の内容が明確だったので、無意味な会話をだらだらと続けることはなかった。
当時は聞き分けのいい子だと思っていた。
今思うと、もう少したわいのない会話もしておくべきだったかもしれない。
すべて後の祭りだ。
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