第2話 ナーヒドの本音
夜、仕事から帰宅するとすぐ、家令が駆け寄ってきてこんなことを言った。
「サヴァシュ将軍がお見えです。いかがなさいますか」
普段サヴァシュがわざわざナーヒドの自宅を訪ねてくることはない。儀礼的に
「本当に本人か」
「はい」
「何の用だ」
「はっきりとはおっしゃいませんでしたが、例のチュルカ人の姫君をお連れになっており、この姫君のことで旦那様にご相談なさいたいことがあるとのおおせでございます」
例のチュルカ人の姫君、とは、先週婚約者として連れてきたあの女のことだろう。チュルカ平原の土人の女らしく全身に銀細工をつけた女だ。名をギゼムという。チュルカ語らしくいかめしい音だ。
婚約は破談になったのではなかったか。何らかの手配をして家の外に出すという話になっていたはずだ。それをナーヒドの家に連れてくるとは、いったい、どういう了見だろう。
しかし彼女はチュルカ平原のさる軍事国家の王女だ。野放しにしておくとアルヤ王国に不利益をもたらす。扱いに困って名家である我が家を頼ってきたのかもしれない。
サヴァシュもしょせんチュルカ平原の土人だ。ユングヴィは、本人がはっきり言わないので憶測だが、言葉に東方風の変わった訛りがある、田舎の貧しい家の出だろう。エスファーナのちゃんとした家の知り合いがナーヒドとテイムルしかいないのだ。
それならそれでもいいかもしれない、とナーヒドは思った。
サヴァシュもようやく分をわきまえてナーヒドを頼ってくるようになったというわけだ。
おのれの立場に自覚があるのはいいことだ。未開の野蛮人であるチュルカ人を高貴な身分のアルヤ人が導いてやるのはこの世の道理なのである。
「応接間に通せ」
家令が「承知いたしました」と言い、礼をしてから部屋を出ていった。
小姓に手伝わせて私服に着替えたあと、応接間に向かった。
一階で一番広い部屋だ。赤地に蒼い花の咲く模様の絨毯が敷かれていて、大華帝国から取り寄せた青磁器と
部屋に入ると、サヴァシュとギゼムは部屋の真ん中に腰を下ろして楽しそうに談笑していた。チュルカ語なので内容は分からないが、仲はよさそうに見えた。
ナーヒドは面食らった。こんなに親しそうなのになぜ婚約を破棄したのか分からなかった。別に不仲になったわけではないらしい。
「おっ、おいでなすったぞ」
サヴァシュとギゼムが振り返った。ギゼムが愛想よさそうに微笑んで「
「何か飲むか」
「もう飲んでる。さっき女中さんがお茶いれてくれた」
「葡萄酒なら貯蔵庫にあるが」
サヴァシュが顔をしかめる。
「お前、俺がいつでもどこでも軽率に酒を飲むとでも思ってんのか」
平原に住まう部族は水の代わりに馬乳酒を飲むと聞いていた。したがってもてなす時はこちら側も酒を出すものだと思っていた。果物の豊かなアルヤ王国の人間には果実酒を出す義務がある。それでどうして不機嫌そうな顔をするのか、ナーヒドには分からなかった。
「いらねー」
「……そうか」
何とも言えずにその話題は切り上げた。どうもうまくいかない。
ナーヒドもサヴァシュとギゼムの正面に腰を下ろした。若い女中がさりげなく現れ、ナーヒドの前にも
「で、何の用だ?」
「ギゼムをこの家で奉公させてもらえないかと思ってな」
想像とは少し違った回答に、ナーヒドは眉根を寄せた。
「奉公、とは?」
サヴァシュが珍しく饒舌に喋り出す。
「これからどこか貴人やら大商人やらの家に行くことになったとして、その前に、アルヤ人独特の礼儀作法とか、アルヤ王国のいいとこの家がどういう生活をしてんのか勉強する必要があるんじゃないかと」
「ふむ」
「うちじゃだめだ、定住チュルカ人の庶民の家みたいになっちまった。女房もふつーに家事してるし召し使いたちはアルヤ語とチュルカ語がごっちゃになってるしガキどもは走り回ってる。勉強にならない」
それは想像がついた。サヴァシュとユングヴィの組み合わせで行儀よくなどできやしない。雇う下女たちも寡婦ばかりで経歴が怪しい。実際に
ギゼムは黙って微笑んでいる。
「朝この家に来て、夜うちに帰る。一ヶ月くらいでいい、そんな生活をさせてもらえないかと思って頼みに来た」
「うちで教育し直すということか」
「まあそうしてくれたらありがたいが、本人は家事労働もすると言っている」
「人手は足りている。それに皆それなりの家の出の者を使っている」
「グルガンジュ王国の王族がそれなりの家の出とは言えないってことか?」
言われて言葉に詰まった。どんな田舎の小王国であっても王族は王族だ。ましてギゼムは異民族の女の身でありながらアルヤ語の会話ができる。そこは評価してやってもいいだろう。
「だが……、なぜうちに? 貴族の家がいいならば白将軍家もあるだろう。あの家は今赤子がいる上に奥方も体調が芳しくなく人手を欲しているはずだ、家事手伝いならばあの家に行ってやってほしいものだが」
それに、サヴァシュとテイムルは仲がいい――とは、さすがに言えなかった。二人の仲に妬いていると思われたくなかったからだ。しかしサヴァシュにとってはテイムルの方が気安いのではないか。
「アルヤ王国で一番の武家の名門って蒼将軍家じゃないのか」
ナーヒドは顔に出さぬよう必死で唇を引き結んだ。
そのとおりだ。
蒼将軍家は、白将軍家より、もっといえば王家よりも古くエスファーナを守護している一族だ。少なくとも、太陽の一番のお傍付きとして王国ができた時から将軍をやっている白将軍家より歴史が古いのである。伝統あるアルヤ騎士の家系であり、アルヤ王国で一番の名家だ。
そうして褒めたたえられることが、ナーヒドは好きだった。
けれどそれを顔に出すようでは大人物とは言えまい。あえて無言を貫いた。
「何だったか――蒼将軍家は武門の
あのサヴァシュもようやくアルヤ民族の歴史や伝統文化の何たるかを理解し始めたものと見える。そうであるなら無視するわけにはいかない。自分は優秀な民族、立派な家の人間として、受け入れてやる務めがあるのである。
「分かった。承る」
ギゼムが「うれしいです」と言った。
「いつからだ」
「さっそく明日からでも」
「構わん」
サヴァシュとギゼムが目くばせし合った。二人とも楽しそうだ。
「頼んだぞ」
念押しするように言われて、ナーヒドはつとめて平静を装いながら「ああ」と頷いた。
ところが、次のサヴァシュの台詞だ。
「じゃ、今日は帰る」
それには少し驚いてしまった。せっかく来たからには多少の饗応をする心づもりがあったのだ。
「もう帰るのか」
サヴァシュは当たり前の顔をして「話はまとまっただろ」と答えた。
「じゃあな」
「たまには少しくらいいたらどうだ」
「お前の説教を聞いていられるほどヒマじゃない。俺を恋しがって泣く娘がいる。二歳だぞ。長時間放置できないだろ」
子供のことを言われると弱かった。乳幼児を育てたことのないナーヒドには感覚が分からないのだ。
部屋を出ていくサヴァシュとギゼムの背中を見送った。
二人が完全に出ていってから焦りを感じた。そして、焦りを感じたことで、自分は本当はサヴァシュと話をしたいのだということを認識した。
王子たちの件をサヴァシュに相談したい。深い理由なく『蒼き太陽』だからというだけでソウェイルを支持しているテイムルより、ソウェイルとフェイフューの両方を見比べた上でソウェイルと言っているサヴァシュと話をしたい。
ナーヒドはフェイフューに政治をしてもらいたいと思っている。フェイフューは力強く民を統率する施政者、アルヤ民族の代表者にして支配者になるだろう。その考えがサヴァシュと話すことで揺らぐことはない。
国を代表する者に必要なのは決断力、行動力、指導力だ。はっきり自分の意見を言い、本を読んだり貴族の仲間と切磋琢磨したりしてきたフェイフューにはそれだけの力がある。ナーヒド自身もアルヤ王国の武家の人間として全力でフェイフューに軍事や武術に関する薫陶を授けてきたつもりだ。
しかし、フェイフューをアルヤ王にしたいかと言ったら、少し疑問だった。
フェイフューがもつ知識、意思決定能力、実務能力――そういうものが真価を発揮するのは、王ではなく、宰相の立場ではないのか。
フェイフューは内政や軍事を取り仕切る役人の頂点に立ち、ソウェイルは、最終責任者として、またアルヤ王国の象徴として、黙って玉座に座ってフェイフューのすることを見守っている――それが当初ナーヒドが思い描いていたアルヤ王国の政治の形であった。
しかもナーヒドは最近少しフェイフューを持て余している。
昔から負けん気が強い子ではあったが、次第に言うことが過激になってきた。このまま周囲に煽られていったらどんどん先鋭化するだろう。
それでいて、ナーヒドを振り返らなくなっている。
ラームテインに、フェイフューは最初の多数決の時ナーヒドが即決しなかったことを気に病んでいる、と言われた。
どうするのが正解か、ナーヒドには見えなくなっていた。
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