第19話 夜明けに見える星

 丸い印象になるよう巻いたターバンに短い胴着ベストの男と、帽子の上から巻いたターバンと長い胴着ベストの男が、レイ城で一番大きな中庭の奥にある前面開放広間イーワーンで、並んで茶を飲んでいる。金で縁取られた硝子ガラス製の茶器は華奢だ。すり潰した上で繊細な型で成形されて花の形になっているひよこ豆の菓子が小皿に山と盛られている。

 夏のアルヤ王国の夕暮れ、山に沈みゆく太陽の美しいことは、北部州ならではだ。

「――で、アフサリー殿? 貴殿は結局どちらになさるおつもりで?」

 丸いターバンのサータム男が、しれっとした顔で問う。

「お代官様もおひとが悪い。わざわざお訊ねにならずとも、私の性格をご存知のあなたならすでにお察しでしょう」

 帽子の上からターバンを巻くアルヤ男も、しれっとした顔で答える。

「ソウェイル殿下です」

「やはりそうですか」

 ひよこ豆の焼き菓子をひとつ口に放り込む。

「揉め事は回避したいですか」

「もちろん」

「ソウェイル王子はオルティ王子とお友達になれましたものね。アルヤ王国とチュルカ平原との間にまことの同盟が成立しますよ。我々サータム帝国からしても安心です、フェイフュー王子の言うとおり、チュルカ平原は最終防衛線ですから」

「あ、いえいえ、そんな難しいことではありません。私がソウェイル殿下を支持するのはもっと感情的な理由からです」

「と、おっしゃいますと?」

「ソウェイル殿下は、イブラヒム総督やフェイフュー殿下の前では、オルティ王子を生かすとおっしゃらなかったんですよね。その場は丸く収めて撤退した。そうして、後から手を回してなんとなくうまくやった。こういうのがね、私は大好きなんですよね」

「なるほど、なるほど。アルヤ紳士というのはつくづく恐ろしい存在ですな。私もいつあなたがたに丸め込まれるか用心しなければなりません」

「丸め込むだなんて、そんな。ただ、のらりくらり、うまくやっていきましょう。アルヤ人というのは元来商人なんですよ」

 一口茶を飲み、息を吐いてから、呟いた。

「フェイフュー殿下は、今はまだお若いからそんなことをなさっていても平気なんでしょうが、私のようなおじさんはちょっと疲れてしまいますねえ」

「確かに。私もおじさんになったので、ここだけの話、血気盛んなフェイフュー王子より、物静かなソウェイル王子の方が。まあ、こんなこと総督には申し上げませんがね」

 どちらからでもなく、二人は互いの顔を見た。

 目が合った途端、二人とも、吹き出した。

「どこまで計算なさっていたんですか。いつからこの展開を予想なさっていました? 本当は、最初から、ソウェイル王子を選ぶおつもりだったのでは?」

「そんな、意地悪をおっしゃらないでください。私もオルティ王子にお会いするまでは何も考えておりませんでしたよ。今だって、難しいことは、何も。私は、ただ、神剣に選ばれただけの、一般人ですからね」

 「案外歴史というものはそういうものかもしれません」と、アルヤ男は言った。

「誰も深く考えてなんかいなかったりしてね。ソウェイル殿下やイブラヒム総督でさえ、権謀術数を巡らせているおつもりはないかもしれません。誰もがちょっとずつうまくやろうとした結果大河のような流れができた。世界のことわりとは、案外、そういうものかもしれません」




 ギゼムもいい加減疲れてきた。

 この二ヶ月足らずで世界はあまりにも目まぐるしく変わってしまった。ノーヴァヤ・ロジーナ帝国が攻めてきた春の初めまでは、夏の終わりまでにこんな状況になるとは、つゆも思っていなかったのだ。

 グルガンジュが陥落してからこの一ヶ月と少し、姉として、ハンの娘として、恥ずかしいところはけして見せぬよう気を張って生きてきた。弱音を吐くことなかれと、強く気高くあれと、自分に言い聞かせて生きてきた。

 しかし――いい加減立ち止まりたい。

 さしたる理由もなく選んだアルヤ王国だったが、今となってはよかったのかもしれない。

 遠慮がなさすぎる血縁もなく、遠慮しすぎる地縁もなく、川が流れていて、果物がおいしい。

 このままここに定住することになっても、ギゼムとしてはもう受け入れていい気がしていた。弟に対してはさんざん煽って頑張らせてしまった負い目があるが、その弟も故地奪還を一時中断してアルヤ人の学校に入ることになった。卒業さえしてくれればアルヤ王国軍の高官になれる。自分で食い扶持を稼いで独立して生きてくれるのならそっとしておくべきかもしれない。自分も自分の生計のことだけを考えてひっそり生きた方がいい。

 そう思うと、今回の結婚は喜ぶべきことだ。石女うまずめでも養ってくれるというのだ。武芸の他に何のとりえもない自分の衣食住を保障してくれる。

 四度目の結婚だ。まして二十五にもなって一人も産んでいない。もう贅沢は言わない。正式な婚姻であるというだけでありがたく思う。

 ただ、ひとつだけ、気になる点がある。

 サヴァシュとユングヴィの間には死のほかに何物もわかつことのできない強い絆がある。自分には、絶対に、あの間に入れない。

 今日はサヴァシュと二人で十神剣の同僚たちに挨拶まわりをしている。

 先ほど、将来は弟の上司になるという男の家を訪ねた。彼も正妻一人のほかに妻を持たず、その正妻との間に三人子があると聞いた。仲が良さそうで微笑ましい夫婦だった。

 自分にはもう他人とああいう関係を築く機会は来ないかもしれない。

「この家で最後だ」

 言いつつ、サヴァシュが壁の向こうを指す。

 そこにあるのは今までに訪ねた家の中でもっとも大きな邸宅だった。壁に囲まれているが四本もの風採塔バードギールで分かる。

「できれば来たくなかったが、こいつが十神剣で一番挨拶だの儀式だのにこだわるから、無視すると厄介なことになる。うるさい上に失礼だぞ。お前も気をつけろ」

「なかよしですね。さいごのさいごです。おおとり、シメ、ですね」

「絶対違うから。本当に、まったくもって違うから。もっと警戒してくれ」

 サヴァシュは気さくで真面目ないい男だ。何の不満があるだろうか。これから先、自分はユングヴィが産んだこの男の子供を育てて暮らす。上等な人生だと思う。

 屋敷の中に入る。玄関先に私兵の門番がいる。サヴァシュがその門番の男に声を掛ける。門番は主人を呼んでくると言って引っ込んでいった。

 ほどなくして、屋敷の主人だという男が現れた。

 ギゼムは、ほう、と息を吐いた。

 背はすらりと高くギゼムより頭一つ分はある。手足が長く、腰が細い。まとうアルヤ人の民族衣装も粋な紺地に銀刺繍で彼によく似合った。

 扁桃アーモンド型の二重の目には黒曜石のような瞳が埋まっている。鼻は高く、眉はしっかりしている。

 何より特徴的なのは女のように艶やかな黒髪だ。まっすぐ下ろされた髪は月光を弾いて輝いていた。

 なんと美しい男だろう。理想の、チュルカ平原の娘たちが思い描くアルヤ美男そのままの男だ。これでウードを弾いて詩を詠むのだと思うと目眩がする。

 目が合った。

御機嫌ようサラーム

 ギゼムも慌てて「こんばんはサラーム」と返した。見とれていたことが知られていないといい。

「蒼将軍ナーヒド。アルヤ王国は王都エスファーナで二百年騎士をやっている家系エスファーニー家の当主だ」

 男が――ナーヒドが「ナーヒドだ」と言う。低くてよく通る聞き心地のいい声だ。

「こちらがギゼム。まあ、紹介しなくてもすでにいろいろ聞いているとは思うが」

 ナーヒドは、ギゼムを一瞥したあと、すぐ視線を逸らしてサヴァシュの顔を見た。

「アルヤ語は通じるのか」

「馬鹿にするな、チュルカ人のいいとこの人間は男も女もみんなアルヤ語ができるもんだ」

「貴様はアルヤ語ができなかったな」

「悪かったな、百万回くらい説明したと思うけど、俺は北チュルカのド田舎のだだっ広い草原出身なんでな」

「アルヤ語すらできないと貴様のように無教養で野蛮な感じになるのだな……哀れだ」

「それも百万回くらい聞いたな。いつか顔面ぶん殴ってやるから見てろよ」

 「それにしても」と、ちらりとギゼムの方を見る。

「ギゼム、か。ずいぶんと、勇ましい名前、というか、いかめしい音だ」

 一瞬何を言われたのか分からず、ギゼムは目をしばたたかせた。

 サヴァシュが「クソ野郎が」と吐き捨てた。

「チュルカ語で、謎めいた、とか、神秘的な、とか、そういう意味だ。遠回しにチュルカ語の音ががしゃがしゃしてるって言いたいんだろ俺だってそれくらいの嫌味は分かるぞ」

 思わず笑ってしまった。

「ナーヒドというなまえはきれいですね。何といういみですか?」

 ナーヒドは「アルヤ語が美しいからな」と前置きしてから答えた。

「夜明けに見える星のことだ。明星ナーヒド

「まあ、うつくしい! 女の子のようですね」

 ナーヒドが押し黙った。サヴァシュが手を叩き声を上げて笑った。

「親にいい名前つけてもらったな、ナーヒドちゃん!」

「貴様、憶えていろ」

 「感じの悪い夫婦だな」と言いつつ、半身を屋敷の中に引っ込める。

「貴様が結婚しようが離婚しようが俺の知ったことではないので好きにしたらいい」

「おーおー俺だってお前の許可はとらないですぅ」

「一応古女房の方も大事にしてやれ。アルヤではよく女房と猫は先にいる方から可愛がるというのだ」

「言われなくても! 俺ほんとお前のこと嫌い!」

 サヴァシュが「帰るぞ!」と言って踵を返した。ギゼムはおかしくなってしまって笑いながらサヴァシュの後を追い掛けた。

「では、しつれいしますです」

「ああ、達者でな」

 ナーヒドも屋敷の中へ完全に入った。

 門を出てから、サヴァシュがチュルカ語で汚い言葉を吐いた。よほど気分が悪いらしい。

「もう二度と会うこともないと思う、気にするな」

「いえ、気にしてる、わたしでない、あなたです」

 そして呟く。

『むしろ、なんだかとても可愛らしい殿方だったな。美しくて、気位が高くて、生意気で――人生一度でいいからああいう殿方と恋をしてみたかった』

 サヴァシュが立ち止まった。急だったのでギゼムも驚いて立ち止まりサヴァシュの顔を見上げた。また余計なことを言ってしまっただろうか、自分はどうも失言が多い。

「ひらめいた」

 ぱちん、と指を鳴らした。

「それなら全部が丸く収まるぞ」

「何ですか」

 意地の悪い笑みを浮かべる。

「婚約解消だ」

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